ワイヤーメッシュにまずは防さび塗料を塗る作業を母と一緒にやった。あしたはそれらにペンキを塗り、乾くのを待つあいだにクレマチスを植え付けたのち、トレリスとなったそれらを設置&蔓を誘引、まで行えるといいな。日曜は雨らしいからあす中に済ませてしまいたい。ワイヤーメッシュは鉄線の直径が2.6mmとおそらく最も細いもの。強度に多少の心配があったけれど、柱にかみ合うよう素手で曲げ加工を施すには都合がよかった。飛びだした鉄線を折り曲げるためには祖父の残した道具が役に立った。彼の道具類を欲しがったのは親族のうちでも僕だけだったけれど、こうしてありがたく役立っている。形見分けとして自分が引き取ってよかったと、しみじみ思う。『自転車泥棒』観た。題名の通り、不況のローマでやっと職に就いた父親が仕事に必要な自転車を盗まれ、それを息子と一緒に探し回る物語。やわらかいところをぎゅっとつかまれるような、居たたまれなさや容赦のなさが入り交じった映画だった。徐々に余裕を無くしていく父親は見ていてけっこうどんよりする。人々が剣呑なだけでなく振る舞いもどこか粗雑だと感じたのは、これが古い映画だからなのかなと思ったけれど、不況で殺伐さがはびこった風景でもあったんだろな。でも、こうしたやりきれなさ一辺倒ではないんだよね。盗まれた自転車は分解されて市場に出ているはずだと、仲間が朝から一緒に探し回ってくれたりする。盗品探しがばれないよう分散して探そうと言っているのに、なんとなくみんなくっついて歩き回ってしまうところは、ああそういうのってあるよねという感じがして少し微笑ましかった。物語のあとで親子は心になにがしかの傷を持っただろうけれど、二人が手を握り歩いていく場面を思い出すと、つらい世の中でも希望を手放さずに生きて欲しいと願う。……僕も子供のころ、近所の悪たれに自転車を盗まれたことがあり、そいつのひがみを酌量しても許せんといまだに根に持っている。こういう理不尽に降りかかってくる悪意って、無理に飲み込もうとしても喉につっかえて苦しいのだよなー。週末の夜につきラジアンF待ち。