『マトリックス』と『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』を観た。マトリックスは随所に攻殻の影響が見て取れた。ネオの「この結末をここで語るつもりはない」というような独白で物語は幕を閉じたけれど、これって「続く」という意味だろうか。マトリックス2があるのん? 検索したらあるぽい。それとなく始まってなし崩し的に物語へ没入していくマトリックスの導入には、仮想現実をなんとなく受け入れてしまっている培養槽の人々の意識のようなものを感じた。「私は本当に私だろうか/私が感じるものごとは本物だろうか」といったことがテーマなのかなと思った。疑いの視点を持ってしまったらこの現実を元と同じように見ることはできないっていうの、以前に別の作品でも触れた気がする。『トゥルーマン・ショー』だ。あちらは仮想現実ではなかったけれど、誰かが作り上げた世界の中で自分のものではない生を生かされる点は同じだった。『ちくま』にずばりこれらの映画に言及したコラムが載っていたなあ、と思い出して雑誌を漁っていた。2017年12月No.561の戸田山和久さん「飛び出せ教養9」に見つけた。「プラトンは我々の無知、自分が無知だと気付いていないほど無知な状態、『知らぬが仏』状態を洞窟に喩えた。」とか……この記事というか連載自体が面白くてこうして読みふけってしまうけれど、真理を希求する態度を持って(恐れずに勇気を持って)賢くあろうぜ、という感じの内容だった。映画の感想から脱線したな。
『シッダルタ』を読んでいるところ。創作のネタ出しをする中で、世界への祝福の顕れについて書かれた本が知りたくなったのだった。そのへんがテーマかなと思う本はほかにワーズワース詩集。詩の世界でならそうしたテーマは見つけやすいのかも知れない。