日がな本気でつらくて夕餉の途中に床へ伸びた。たぶん初めてじぶんがかわいそうだと思い、もしかしてこれは悲しみというものではという気持ちに。状況的なストレスを抱えて増幅してしまっている身体に、そのしんどさは自我がタスク化して処理するから渡してと語りかけてしばらくしたらすこんと楽になり、それでタスクを書き出しきょう片付ける範囲をこなした。そのあとは憑き物が落ちたみたいに楽になってる。この自我はいままでずっと矢面でじぶんを支えてきながら目立つ主張もせず、どんなときにも現実に対処してできることをして、じぶんをここまで連れてきたのだなと思う。身体が信頼して負荷を全て預けられるくらい、黙々と着実にこなすかっこよさと信頼感があり、仕事がなければぽんやりしていることを最も好むチャーミングな面もある事務方、という印象。こういう人物像がじぶんのなかで一側面として存在しているなんて、なんだか、意外だ。きょうやるのはここというように優先順位をつけラインを引いてひとつひとつ片付けるし、自分自身からの信頼に対して誠実に能力で応えてくれるからあまりぶれることがなく、こういう相手に呼びかけられたら苦しがっている身体もそりゃ信頼して委ねるかも。いままでじぶんが自己像として認識してきたのはおもに体と心の反応だったみたいで、それはかなり極端にネガティヴな感情の実感を含む像だったから、こういう頼りになる事務方がずっと一緒にいて支えてくれていたことに、思いがけずうれしいような落ち着くような気持ちを感じる。気分の忙しいこと。呼びかけにこれだけはっきり応じたあたり、身体/心/自我は互いに信頼関係をもとに対話できるようになっているのだな……。元通所先へは一区切りとなるメールを送った。喫茶店さんとのお話の件はメールが届き、ポストカードを商品として置いてくださることになった。その返信はあすのタスク。きのうの雑記は書き損ねたけれど、風の強さに季節を感じたため、たぶん初めてじぶんのために花屋で花を買い、珍事くらい珍しくスタバで甘い飲みものを持ち帰りして、うちでそれらを相手にしていた。
