昨日のことは書いたと思っていたのに忘れていたみたいだ。といっても昼ごろおなかが空いて街中へ鶏白湯を食べに行ったくらい。子連れのひと家族分、お店の外で並んだ。じぶんはなにかで行列に並ぶようなことはしないから、こうした時間はめずらしいと思って周りの景色に目をやっていた。その子連れの奥さんが「なかに名前を書くとこありますよ」と教えてくださり、お礼を言ってそうした。優しいのはこうした人たちであり、じぶんはその恩恵に浴していると思う。濃厚鶏白湯美味しゅうございました。とくに美味しいもの、この場合、煮卵は最後まで取っておく派。おなかは空っぽだったはずなのに、ひと品食べたらもう満足というあんばいで、こうした料理の量ってよく加減されているねえ。あとはうちでのんびり。机のうえのヒヤシンスは芽が膨らんできて、もしよく覗いたら花芽も窺えるかも。そしてきょうはなにもせずひたすらのんびり。これが身体の求めていることで、それに応じられていると感じる。ごたごたがあったあとながら誰も責める気はなく、怒りの呪縛からいま解かれている、普通の気分という楽さ。じぶんの生きものとしての性質、いずれ変化するということに委ねて、当分はこんな感じに無為という贅沢でじぶんを潤していく。いまは港のうちで船の帆をたたみ、波の音を聞いたり潮の匂いを嗅いでいるところ。潮が満ちてきたとか季節風が吹き始めたとかは、身体の内なる感覚がそのときに教えてくれるよ。
