2025年9月19日(金)

定期通院先へ通ったほかはうちでのんびり。何年も前から手元にあって気が向くと開くのに、いっこうにかみ砕けず読み進められないヤスパースの『哲学入門』のことなのだけれど、ここだけなんとなく通じるみたいな箇所にときどき気がつくようになった。「哲学者は答えねばならない」という項で書かれている、神について問われたら哲学者はなにかしら答えるべきで、そうでないならなんにも主張していないか、知ることができないことには沈黙するべきとして哲学することを止めるひとである、という内容。この本でつっかえているあいだにウィトゲンシュタインの入門書はひとつ読んだため、こちらの方への批判だったりするのかなこれと思えた。それから別のところの文章で「人間は、自分が決断し、道を見いだすということを、自分自身に負わねばならないのであります。」という言葉。以前に通院先で、判断に迷ったり後悔や後ろめたさを感じるということを相談した際に、主治医が噛んで含めるように説いてくださった「どちらを選ぶか、あるいはその判断そのものを保留しておくかということも含め、じぶんで決めて納得することです。そうすれば結果がどうあれ迷いはしませんよ」という内容がよりシンプルにびしっと書かれている。リハビリに通っていたNPOさんのところで利用者さんのひとりと雑談した際、分からないことに突き当たったらいったん引いて別のことを進めておくと、また戻ってきたときにはすこし分かるようになっているかも、という言葉をもらって、それはけっこう前のことなのになんとなく覚えているのだった。捗らない読書も分かることがときおり点のように見つかると、これはこれで楽しい気がする。そもそもこういうのを読もうとしたきっかけは、何年か前に春の流星群を眺めたあと、詩も哲学も必要なんだという思いが脈絡なく腑に落ちたから。それまでは縁も興味もなかったものの手を出してみたら、こんな巨大なセーフティーネットを人類は用意してきたんだなーとびっくりした。以降、細々と囓り取るようになっていまへ。本を読みたい欲求そのものは薄い周期にいるみたいで無理せずにいる。きょうは大気に涼しげなところがあって、夏のさなかには九月いっぱいは続くかと思われたあの暑さもほどよいところで落ちついてきた。買いもので食品売り場を歩いているとおでんや肉まんが目に入り、ふと、ごはんはあったかいものがよいなと思う。それから、冬の長い寒さに備えて食べたい果物はたらふく食べておこうという気持ち。

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