2025年6月30日(月)

あれこれと考えてそこはかとなくげんなりする日。気分は日々の気温のようなもので、平年値を期待しても実際にはそうはならないのだよね。あるいは容器に入った水のようなもので揺れ動いているのが常態。こうだから行き詰まるとかこうすればよくなるとか、それはわかるけれどねとか、こうした状態のときはおおむね思考する心身のコンディションそのものがよくないので、移ろうじぶんに期待して早めに休むのが吉。……仕事中、無理しないでとすごく気づかわれており、ありがたさとは別枠で「無理というわけではないのだけれど」という思いがある。たぶんこれにはいくつかあって、ひとつは無理の基準が高いせいで平気だと思ってしまうこと、もうひとつは多少無理しても素早く済ませるほうが話は早いと思っていること、あとはなににつけてものめり込んだり波に乗れる性質があるため無理と感じないこと。いろいろ考えはするもののどこに焦点を当てて振る舞うかというところに落ちつくのだろな。適当にやって周りも納得するならそうしたらという。しょっちゅう手は抜いているので、よりアピールする必要があるのだろう。そういうのもなんとなく面倒な気がするよ。休むに似たりにつきおやぷみ。

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