2025年11月21日(金)

シルバー人材の草刈り担当の方から費用と日程の連絡が入った。思ったより早く庭にきてもらえる。お昼はふと思い立ち、中華料理店でトムヤムのフォーと酸梅湯を食べる。ああこれ美味しいなーと思いつつ、フォーの1,200円に対して、バンコクの食堂で食べたもっとシンプルなのがたしか40バーツだったことを雑念みたいに思い出していた。二百円弱。日本食、たとえばおにぎりが海外では高くつくみたいな話もこういうことなのかなと思う。こういうこと、のいい加減な使いかた。酸梅湯は初めての飲みもので、燻製にした梅と薬草数種を煮出して飲みやすくしたもの、だとか。奥行きと滋味があるなあという感じ。ちらと思う、閉じた世界にいたのによくここまで気楽に飲食店へ入って知らないものばかり求めるようになったね。じぶん的にはすごい変化。そのあと近場のカラオケ店で二時間歌っていた。やっと分かってきたこととして、お店や部屋ごとに入っている機種というのが違い、さらに個別の機種がカバーしている範囲というのもまちまち、なのだな。おそらく最初だけJOYSOUNDに触れてそのあとはずっとDAMに当たってる。いまはボーカルでガイドしてもらうほうが歌いやすくて楽しいのだけれど、ここがなんかまちまち。ほかのお店で一度「最新機種が入っているお部屋へご案内しますね」と言われたことがあり、そのときはたしかにそのあたりの選択肢が多かったような。タッチパネルの操作端末がデンモクっていうの、いま知った……。さらに検索して、端末を選びたいなら入店の際に伝えればよいそう。うん、まあ、伝えてなかったよね。二時間と大きめに時間を取ってももっと歌いたいという感じになる。思うのは、音楽は聴くもののように思っていたら歌うという需要があったのだなということ、それから聴く好みとは別軸で歌いやすいor歌っていて気持ちのよい歌というのがあり、そこは基本的にヒット曲が目安になる感なのだけれど、そうした歌探しをするのも楽しいのでは、ということ。そういえば持ち歌という言い回しを聞いたことがあるけれどこれだー。幾年か前にやっと邦楽に興味を持って過去のベストアルバムを漁りだした経緯があり、それがこんなところへ通じるなんて不思議。カラオケに踏み出した最初の目的は、じぶんの喋り方の課題や迷走神経系や胸郭にアプローチするなら歌うとよいのでは、というところからなのだけれど、すでに楽しいという軌道に乗ったからそこは自ずとよい感じになっていくと思う。馴染みがなかったことに対して楽しさの軌道に乗る、ということの地味なすごさ、そこに広がる世界へ開かれることを思う。ここ何年かで世界史や哲学に初めて触れてみたときのあれに似てる。なにもなかったところに急に大きな骨格が広がるときの抜け感、初心者だけの蜜。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です