2025年10月29日(水)

ふつうにお仕事いってふつうに仔猫の相手してた日。仔猫もまた主張する他者なのだなと思う。いっしょに暮らすと決めたからよいのだけれど、じぶんのひとりで過ごしたい欲求そのものは、仔猫⇔ぬいや植物たちとのあいだにラインがあるぽい。動物の存在感というのはただそこにいるだけで強い影響力を持つものね。仕事帰り、パンジーやビオラの下見に園芸店へ向かった。ひとつは休業日だったのでもうひとつのお店へ。店頭に並びはじめたという感じの陳列だった。品揃えがピークになる十一月末ごろに向けて、仕入れをチェックしに足を運ぶと思う。ことしも水耕栽培をするつもりで、青いヒヤシンスの球根をひとつ購入。いまの名前のない体感としては、なにかしらタスクがあったり他者へ注意を向けているといった状態だと、じぶんの身体に耳を傾ける=ある種の集中したコンディションにはなりにくく、散漫な感じがしやすいのだな。緩急がついてリラックスへ入った状態といえるかもしれない。その内側への集中というのがひとつにはマインドフルネスであったりもするのだろうね。各自律神経系のモードになるべく自覚的になろうと思ったらまとまった静かな時間が要るのかも。まあ現状の環境はリハビリも兼ねつつ適度に働いてしっかり休めるという、かなり理想的なものではあり、じぶんとの関係を結び直すために用意したような人生の時期だと捉えてる。こうしたときの知恵ってなんだろうと考えてみると、神経系の調律が取れた状態を想定してみる、まずは想像のなかで好ましいじぶんを先取りしたうえで、いまの行動をそちらへ寄せていくことだろうか。んー、思考で捉えたがりすぎ。しばらく前に訪問したギャラリーでいま、さまざまな作家が集まった展示会が開かれているのだった。この地域にどんな人たちがいてどんな活動をしているのか、その空気を吸いにいくがよかろ。

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