快晴。買いものがてらパンを食べたいと思い、しかしさいきん近場にできたベーカリーは日月がお休みなため、ときおり話題を耳にするお店へ向かった。そこは住宅地のやぶに覆われた一角にあり、その雑木林を入っていくと年季の入ったというかうらぶれた小屋のなかに、手作り直売所のような薄暗く狭いお店があった。こう書くと大丈夫なのかなという感じではあるけれど、実際には独特のスタイルだというおもしろさが勝る印象。並ぶのはいずれもライ麦を使ったパン。固くて酸味のあるパンは個人的に好みで、どっしりしたのをつい三種類も買うことにした。出てきたお店の方にお会計はと訊ねると、じぶんでどうぞとのこと。それで電卓を叩き、硬貨や紙幣が無造作に突っ込まれている箱から金額分を取り出したり入れたりした。良心に委ねているというか無頓着というか、おもしろいのは間違いないね……。そのあとは市内を移動するうちに市主催の文化祭が開かれていることに気づき、そちらへ向かった。会場は人でごった返していた。ひとまずベンチでラーメンを食べてから、小中学生の図画工作の展示を見に建物へ入った。この展示はなんだかんだと毎年見にきている感がある。つい先日、千葉雅也『センスの哲学』(文藝春秋)を読み、そのなかで作品というものをどう見たらよいかのひとつの提示として、意味から離れリズムやビートやうねりを捉えてみる、という考えかたを仕入れたのだった。それでそのように見て回るうち、ものの見方を変えると感覚まで変わるのか、身体というか意識がふわふわしてくるように感じられた。そうしていることはそれ自体がちょっとおもしろいね。ひととおり見て建物を出、気になっていたフリマのほうへ足を伸ばした。クレープを歩き食べしつつ、とくになにか買うでもなく、いろいろあるねえという感じで露店を流し歩く。気になったのは座り込んでいる姿をした馬のぬいぐるみで、その眼差しが高貴なものに映ったのだった。うーん、いっしょに過ごすぬいが増えるならひとりと関われる機会は減るわけだしねえ。そんなんで心のうちでそのぬいを褒めるにとどめ、撫でて差し上げたい気持ちを引っ張り会場を後にした。気がつくと日は傾き始めていた。思いのほか充実した日だったように思う。ライ麦のパンはずっしりしておいしい。きょうのような過ごしかたができるのは満たされていることは間違いなく、その感情に名付けせずともよいからじんわり味わうとよいよ。