芝張りをしたり、排水路を整えたり、手元に残っていた苗の植え付けなど。夕立が来る予報はさいわい外れた。電話で連絡を入れたところ、ありがたいことに面談の枠を作っていただけた。ふと思い立ち、網戸で風通しをよくした暗がりの中でぼそぼそと夕飯を食んでいた。ことし初めて焚く蚊取り線香のかぐわしさのなか、ときどき光る空や葉擦れの音が心地よく、風景やなにかを眺めながらの食事って普遍的な娯楽なのかなとか考える。古今東西の人々も、初夏の明るい夜空を前にもしゃもしゃやっていたのかもしれない。そういうのはまた夕飯のおりに考えると楽しいんだろう。自分を取り巻く状況はゆるやかに変わる一方、それを立ち止まって内的なものに変換する時間やゆとりは、仮にあってもいまは前に進むために使いたい。