2022年1月30日(日)

交通量が多い道の真ん中に、まだ息のある轢かれたたぬきがいた。これではあんまりだと思って原付を止め、積んでいた軍手でたぬきをつかみ、道路脇の藪の前まで引っ張った。血だまりの中にいたし、ほんの少し移動することもままならない怪我に見えたから、遅かれ早かれ死ぬだろうと思った。検索結果に出てきた動物病院は日曜でどこも開いておらず、うちの猫がお世話になった病院も、掛けた電話はやはり繋がらない。通りすがりの方々に相談したところ「警察か保健所へ連絡する手もあるが、たぬきではまともに相手をしてもらえないだろうし、どちらもいずれ処分されるのでは」とのことだった。仕方がないから、そのたぬきがなんとか藪に身を潜めたのを見届けて、こちらも立ち去った。子猫くらいの大きさでひどい皮膚病に覆われたたぬきだった。続々と避けて通った車をとがめる筋ではないし、事故そのものは確率の問題でもあるけれど、はねた当人はおそらく知らんぷりをしたんだろう。僕だってなにかしてやれたわけでもないし。怒りと悲しみでぐったりしてしまう。しばらく誰とも喋りたくないな……。午前中はまだ訪れたことがなかった地元の湧水地二カ所を巡った。近場にこんな清らかな環境が保全されていたなんて、とほくほくするようなおいしい場所だった。腰を上げてよかった。最初に訪れた湧水地には先客の男性がいて、ここを定点観測していますというようなことを、挨拶のついでに教えていただいた。もう一方の湧水地には浅く入り組んだ水路も掘られており、これはまさか人の手で維持されている湿地帯かな、なんて考えたり。この地域はかつて水の利用に難があると言われた扇状地であるけれど、地下4~5mにはいい感じの流れが走っているかも知れないのだな。周囲も下草が刈られた環境で、冬のいまは日の光がまっすぐ差し込むけれど、春や夏には辺りの木々がほどよい木陰を作りそうだった。いつかまた来る機会があるはず。それから地元の城跡へ向かった。近くに秋冬のみ営業する地域の風物詩なたい焼き屋があり、そこのたい焼きを囓りながら市街を眺めると人心地がつくので、一冬に一度くらいはそれをやってる。たい焼き屋にはきょうも人の列があった。たぶん、なにより。高台のベンチに座ってもしゃもしゃと食みつつ、そういえばこの城跡でほとんど訪れたことのない場所があったなと思い出し、木々が生い茂る土塁の北側を回り込むように歩いた。つかみどころのない、けれど確かな懐かしさが湧いてくる、薄暗く陽の差さない遊歩道だった。ずっと昔にここへ来たきり、この歩道がどこへ延びているのか、どんなだったかも忘れていたのだと思う。もし長らく立ち入ることのなかった子供部屋へ入ったら、もし引き出しの底から古い手紙を引っ張り出したら、このときのように感じるかもしれない。嬉しさや悲しさのような明瞭さではなく静かに水が満ちるような思い、これはずっとここにあったのだなと目が細くなるような、記憶のなかに取り残されたままの場所をもう一度訪れた気分だった。そのまましばらく散策をして、冒頭のたぬきの件があってから帰着。自分の感情の激しさには中てられると容易にげっそりする一方で、なにかに深く思い入ることは替えの利かない自分の一面だ、とも思う。後者だけなら楽なのだけれどな……。そういえば、きょう訪れた湧水地の土手にたんぽぽの花をいくつか見つけた。今年初。ほかオオイヌノフグリやホトケノザが日当たりのよい場所にちらほらと咲いていた。

追記:
今回のような場合の連絡先を見つけた。いつか役に立つかもしれないからリンクを貼る。栃木県/ケガをした野生鳥獣の取扱いについて

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