朝から産直へ向かい、そのまま裏手にある神社を一巡りした。参道入り口で買った鯛焼きはかりかり感のある薄い皮がおいしい。それを食べながら着いた境内にはテントが設営され、その周りでのんびりと菊まつりが開かれているところだった。本殿を参拝してからなんとなく後ろへ行ってみると古墳があり、その手前には小さめのお社が三つ四つ、傾くように立っていた。稲荷もあった。そこに並ぶ陶器のきつねにヒマそうだねと思う。やはりなんとなくお賽銭をして周り、この神社の由来のおおもとであるらしい古墳を一回りして菊まつり会場へ戻った。本殿後ろのそのあたりはひとけこそないものの来る人はいるようで、開けた足もとに生えるオオバコやイヌタデが、秋の朝の光を穏やかに受けていた。そのイヌタデの赤い穂を見ながら思う。こうした花は誰に見られるでもなく咲くけれど、そこを訪れるどんなに小さな虫でも、この花にとっては未来へつながるために待ち望んだ担い手なのだな。期待した相手が来ないこともあるかも知れず、それでも花は咲けばしばらくそこにいて、役目を果たしたらやがては土に帰っていく。なびかない者が持つ言葉にならない美しさを思う。ついでに地元の自然観察館へ向かった。常設の昆虫標本なんかに加えて県立博物館の移動展示があり、いまは昆虫化石と進化の旅がテーマとのこと。たまにしか来ないからと念入りに眺めるうち、それなりに時が過ぎていた。帰り足、立ち並ぶケヤキがわずかな風で一斉に葉を落とすのを、歩きながらぼんやり眺めた。去年も今年も紅葉には目がいかずにいたのだけれど、こうして見ていると、自然や景色は人の社会なんかにはまったくお構いなしに巡っていくのだな、と思う。ケヤキの落ち葉へ手を突っ込んでいる親子のそばを通ったとき、枯れた葉の甘く古びた、よいにおいに包まれた。そして帰宅。うちにいて創作の続きをしてもよかったのだけれど、閉じこもっていたら次第に考え方が煮詰まることだしね。天気のよい日に気分転換に出かけられてよかった。残っていたジギタリスやデルフィニウムなどの苗は、日没ごろに母と庭へ植え付けた。ことし仕込んだ植物が庭に馴染むのは来年から。次の春にそれらが勢いよく伸びるのを楽しみにして、冬を乗り越える。