午前から日が暮れるまで、庭木を掘り上げて移植していた。椿と山茶花それぞれ一本が定位置へ収まり、他の庭木は三本ばかりが素掘り状態。あした歯の治療から戻ってきたら植え替え先の穴掘りを続けるつもり。外の空気に触れながら身体を動かすのは気持ちのよいもので、こういった行動が封じられると活動的な人ほどしんどいだろなと思う。震災のとき多くの人々が後ろめたさを感じたように、自宅とはいえ外で活動する自分もそれをうっすらと感じるけれど、いまは置かれた環境でどう咲くかを考えるときだ。春が来たとき庭を自由に使えるよう冬のうちに整理しておいて、いずれなにを育てたいか想像していよう。季節の巡りは確かな予感。その予感が未来を向く力になってくれる。