青果売り場の果物のバリエーションが減ってきた。桃の季節の芳醇な香りはまた来年かー。読みたい本を古本で取り寄せていたら、文庫の本棚を一段、積ん読で埋めてしまった。こういうのは好奇心の貯金だと思うから自分への申し訳は立つものの、一方でものを活用せずに蒐集することを僕は少し軽んじてもいるので、げんなりしはじめる前に読んで場所を空けていこうな。
2020年10月10日(土)
台風は勢力を落としながらの迷走気味。雨はもうそろそろ止むんじゃないかな。なにを書こうとしていたのか忘れた。早めに布団へ行こう。
2020年10月9日(金)
どこかで打ち上げ花火を上げる音がする。もうそろそろストーブを出す頃合いかも。
2020年10月8日(木)
シャコバサボテンの葉摘みをした。この春に植え替えをしてから、株はそれなりに貫禄が出るような葉の展開をしていたものの、花芽の付かない若い芽をもぎ取ったあとでは少しさみしい姿をしていた。これから2週間ほど水をやらずにおけば花芽が出てくるはず。吉田篤弘氏の著作一覧をWikipediaで確認したら、知らないあいだに知らない作品がずらりと並んでいる……。2015~2016年刊行の『ソラシド』や『レインコートを着た犬』『おるもすと』あたりが僕の履歴のしんがり。この方の作風は完全に都市生活者のそれだったので、一時期ずいぶんハマりはしたけれど、僕は土の気配を求めてほかの作者へ軸足を移したのだった。ここの雑記を椎名誠で検索すると、おおよそ五年前からそれらしい結果がヒットする。ただ、こちらの人は土というより火と風な感じ。
2020年10月7日(水)
台風接近の影響で、あすは日がな寒く雨らしい。『スクールオブロック』を観た。平日夜のJFN系列に同名のラジオ番組があり、おそらくこの映画からのネーミングなんだろうなーと思って気になっていた。ロックが命のおっさんが教師になりすまして自分の生きがいを生徒に布教するという、夢のようではあるけれどなにやってんだよという物語。熱くて破天荒でノリがよく、そしてこれが大切なことなのだけれど、ロックに目覚めていくみんなをおっさんことデューイは丁寧に細やかに肯定する。その動機が舞台で音楽をやりたい欲から来るものだとしても、生徒たちは彼に音楽の才能を掘り起こされ、一丸となってデビューへ向かっていく。冒頭に挙げたラジオの番組名は、この映画のそうした前向きで熱血な精神から名付けられたのではないだろうか。テンポよく進むので一気にがーっと視聴してしまった。観てよかった。
2020年10月6日(火)
朝焼けを撮るのは久しぶり。詰めた乾電池の充電がいい加減だったようで、こまめに電源をオフにしたりと、バッテリーの残量を気にしながらシャッターを切った。次にボディを買い換えるならフルサイズのミラーレスがいいな。デジタル現像は取りかかるときりが無いけれど、ある程度の時間で切り上げたら、それが自分の品質ってことだ。
2020年10月5日(月)
戦場ヶ原では九月三十日に初霜が降りたらしい。初霜 幻想の朝 奥日光、昨年より10日早く|社会,県内主要|下野新聞「SOON」ニュース|下野新聞 SOON(スーン) 奥日光で最初に氷点下を記録するのはこの日が多いという印象がある。この月の変わるタイミングが、このあたりでの季節の曲がり角なんだろうね。室外機の上に出している鉢植えも、もう少し冷えてきたら屋内へ取り込んだ方がよいかも。小くちなしの葉が一枚黄色く色づいているのは紅葉の先駈けなんだろうか。
2020年10月4日(日)
ぎんなんおいしい。朝から道の駅の産直とフリマを覗いたあと、目星を付けていた市街のあたりをぐるっと歩いて写真を撮った。市街といっても旧が付く山の手の静かな商店街と、その周りの宅地。そうした地域には生活の気配が根ざしているから、自分にとってはふらふらと散歩をするのに向いている。空は曇りで、そのために柔らかい光で撮ることができた。風景を探しているつもりでもいつのまにか花を撮っている……。写真を撮るときってなんとなく寄ってしまうのだけれど、街撮りでは引いたほうが状況説明を込められるのかもしれない。きょうは散歩といってもざっくり一巡りするに留めた。この余力でまた別の日に別の町並みを撮れたら。
2020年10月3日(土)
ハイネケンはめちゃめちゃいい香りがする。なんだろこれ、飲んだことはこれまでにもあったはずだけれど、その香りにはいま気がついたみたいだ。『シング・ストリート 未来へのうた』を観た。よかった。ヤク漬けでドロップアウトを自称するお兄さんのことがあまり人ごとに思えず、わりあい彼に感情移入していた。弟から出た「今さら?」という言葉は、つい口をついてしまったとしてもきついよなあ。ラストのお兄さんのガッツポーズは、弟のコナーに歌詞と未来を託したということなのか、そこに自分を説得する感情がこもっているのか、たぶん両方なのではないだろうか。バンド名が決まりみんなが小屋から出てくるシーンに、じゃあ始めるかーという前に進む力を感じた。それから、バンドのボーカルがあんなふうに抜けてしまったら、残されたメンバーはどうするんだろう。出入りが激しいとかでなんてことはないのかも。うさぎ好きなエイモンや張り紙を見てきたギャリーやラリーなんかは、音楽をやれるなら構わないという立場で集まったメンバーだしね。最近考えていることで、庭にいちじくを植えたいのだよなあ。実が美味しいから。品種が多数あるようなので、オンラインでざっと検索を掛けてよさそうな品種を絞り込もうとしているところ。園芸的にいうと、いまは春へ向けての仕込みの季節なため、冷え込む前に早いとこやることをやれたらいいな。
2020年10月2日(金)
祖父が気に入っていた栗の木には実が全く付いていなかった。いがの落ちた形跡も見当たらない。たまたま通りかかった母と、今年は不作だったのかもと話をする。その流れで、敷地内にいるいとこたちがあさってに引っ越しをすると聞いた。義母を始め彼らは、うちの祖父母から受けてきた仕打ちを根拠に、そうする権利があると考えているんだろう。周りで世話を焼く人たちにまでうっすらした拒絶と無関心で接しているのは、袈裟まで憎いってことなのか、あるいは周りの優しさも針のむしろなのかも知れない。地域との交渉は全て亡き叔父が引き受けていたものね。あの大叔父が転居先への新築祝いを出さないというのは、「つながりはここまで」という意図らしかった。祖父の喪中だからどのみち出せないけれど。僕としては、彼らがそこに生きながらそこからなにも受け取らずに、土地や自然といったものから遊離していったことが、むなしく思える。どこにいても同じというのは見えない牢にいるってことだ。それでもここにいるよりはましなんだろうし、それを引き留める権利は誰にもない。この件はいらいらしてむなしい。冬用の厚ぼったい靴下を買い求めたら一足99円だったので5組買った。リングフィットを合計一時間。食用ほおずきを食べた。パッションフルーツに近いほのかな柑橘の香りがあって甘酸っぱく、食感はブルーべリーに似てる。食べたあと口腔に残る品のよい香りは、方向性としてはいちじくのそれ。思いのほか美味しいものだった。