2020年10月31日(土)

ラジアンFからの(時間的に)午睡。椎名誠の雑魚釣り隊の本を読む。長いこと先の見えない暗闇をさまよい、やっと暖かい日の光の下に出てほっとしていたら、さらに広い夕暮れの草原へ道は続いていて、空の色の移ろいやあたりを吹き渡っていく風や草のにおいが地上の果てまで続いていると知る、そうと望めば広い世界のどこへにも行ける、そうしたしみじみと心の中を広がっていく現実への感動は、迷い続けた者がいちばんよく知っているんだろう。ただそれだけの実感のために支払う代償はあまりにも大きいのだけれど、この世界の驚異を受け止め、生きていることへの喜びを受け止める誰かが、例え歴史やかたちには残らないとしても、世界への敬意を払う主体として地上のどこかにいて、そのありのままを見届けるべきなんだと思う。

いつも何度でも / 木村弓

去年の五月の暑い日にフリマで発掘したシングルCDの曲。この歌の歌詞にほろほろと涙がこぼれる。

2020年10月30日(金)

通院先の先生にリハビリを目指せたらと話すと、隣町の支援センターでいろいろ話を聞いてみては、とアドバイスをもらった。電話を入れてからの方がいいかもね、という。あなたは趣味が多くてよい、よくやっている、というふうな評をいただいた。それから、どんなことでもリハビリになりますから、とも。つくづく思うのだけれど、外界へ出かけていく動機が欲しくて2008年頃にデジイチを手に入れ、写真を趣味にしたことは、その後の生活の質に好ましい影響を及ぼし続けているなあ。嬉しいことに性に合っていたようで長続きしているし、これをなんらかの形で生きていくことに活かせたら、やりがいがあるかもねと思う。

2020年10月28日(水)

『最強のふたり』を観た。ふたりの絆は今も続いている、とエンドロールの手前で言われると、特に実話を求めていなくともこちらの感情はほだされるものだね。障害を負った裕福な男性と、彼を介助するスラム出身の男性が交流する物語なのだけれど、「金はかかるけど私はリッチな障害者だからね」というせりふが、とにかくつよい。最初からそういう話と言えばそうで、こちらとしては「お金があるっていいねえ」みたいに思う。未明に幻想痛(幻肢痛?)の発作のあと河畔に連れ出されたフィリップが、「空気が気持ちいい」という言葉を皮切りにドリスと会話していく場面が、なんの変哲もないように見えるけれどしっとりとして人心地がついており、自然でよかった。まあ大麻を吸わされて饒舌になっていたというのもあるんだけれど。いまそのシーンを見直して気付いたことなのだけれど、フィリップが暗いなか幻肢痛で喘ぐとき、ドリスの後釜のおっさんは別室のベッドで寝ていたのに対して、ドリスはフィリップのベッドの横にいて椅子で寝ていた。ああ、そういうところもきちんと描写されていたんだなー……。フィリップの誕生日にふたりがお気に入りの音楽を披露し合う場面や、そうしてみなが踊ったあとでひとり寝しなに入るフィリップの真顔なんかが、よい対比になっていて好きだ。友達から、この映画が好きならこちらもよいよと『グリーンブック』という作品をおすすめしてもらった。『最強のふたり』は裕福な白人にスラム出身の黒人という配役だったけれど、グリーンブックはそれが逆転したような構図になっているそう。次に観る映画はたぶんこれ。ここなん日かでBOOTHにて購入し、すでに手元へ届いたアルバムは三つ。Recezza. (CD) は二胡+ジャズ。いいもの見つけ出したと思う。『Bird’s-eye Viewing』の、鮮明な風景の中を移動していく感じが好き。Iris Tears はデモムービーからの連想が入るけれど、夕方の散歩のようなアルバムに感じられた。ゆったりのんびりしていて、日中の日差しのぬくもりが辺りにたっぷり残っているような時間帯かなあと思う。pf_es はしんとして冷え込むような静けさ。各曲の題名を辿るとどうやら、秋ごろから大晦日を越えて春の夜へと時が経過してる。紙のジャケットもおしゃれ。今回たまたまBOOTHを漁ったらM3という音楽イベントに重なっていたらしく、浮上してきた美味しい作品に触れることができた。あと一枚も近く届く見込み。

2020年10月24日(土)

日没ごろに雷を伴った夕立がきた。もう十月も下旬だけれど、日中の陽気はよかったものね。もうポケモンGOのハロウィンイベントが始まっていたので、歩いてタマゴを割ったりゴーストタイプの飴を集めたりし始めた。シャンデラが欲しい。

2020年10月23日(金)

ポケモンGOでガラルポニータとネギガナイトを手に入れた。ハロウィンには規模の大きいゲーム内イベントがあるから、そちらへ向けてなんらかの準備をするつもり。さしあたってはタマゴの所持欄を全て空けておくことか。サークルを固定する方法だとエクセレントボールはばんばん出せた。『2001年宇宙の旅』を観た。並んだ惑星があけぼのを迎える場面と、それに続いて知恵を与えられた猿人が骨を振り上げるところに、おお迫力があるなあと気圧された。円筒形の通路を重力の影響なしに歩く場面に関しては、映画があまりにも有名なため、撮影者とカメラのほうを動かして撮ったという予備知識がいつの間にか入っていた。ので、へーこれかー、という感じ。特殊撮影の技術に慣れるのも善し悪しかもね……。猿人の前にそびえ立つモノリスはちょっと前にチョコレート工場でも見かけた気がする。このシリーズの中では小説の『3001年終局への旅』だけ読んでいたから、あれが名高いHAL9000かーとか、プールは千年後までああして宇宙を漂うのかとか、断片的に持っていた情報が結びついていくのが面白かった。やめてと懇願するHALは声こそかわいそうだったけれど、異論を持てば人を殺すこともためらわないというのであれば、仕方がないよ。あの発光する透明なメモリーが綺麗だった。そして「デイジー、デイジー」と歌う声は思いのほか低かった。作中で冒頭から何度も鳴り響く『ツァラトゥストラはかく語りき』は、存命中の叔父が一緒にドライブしているときにカーステレオで何度も流していたな、と思い出す。ボーマンがスターチャイルドへ進化するあたりは、美しさと恐ろしい感じの両方を受けて目が釘付けになっていたものの、映像が抽象的になっているために意図や思惑を受け取るのが難しくなっていると思った。そこに関しては小説ならディティールがはっきりするかもしれない。いずれ読むかも。いちじくの育て方の本はこれから読む。

2020年10月22日(木)

葉摘みして人工光源のない場所へ置き、花芽が出てくるのを待っていたシャコバサボテンの葉先に、砂粒のように小さな赤っぽい粒がついた。展開するときの葉も赤みを帯びるものだけれど、これはおそらく花芽だと思う。二週間絞ったおかげでうまくついた。このタイミングで水をやらずにいるとついた花芽が落ちるらしい。二つある鉢を自室へ運んで水を吸わせた。このまま日の当たる窓際に置いておけば室温にも慣れ、育った花芽が環境変化で落ちるなんてことはなくなるはず。しんしんと冷える冬場の生活空間でこの花を見ると、どこか懐かしい感じがする。むかし流行った植物だからね……。花がメタリックな透明感を持っているところはシュウカイドウに似ているかもしれない。育てやすさも共通しており、どちらも好きな植物だ。育ててみたいと思っていたいちじくについては、耐寒性や食味からある程度、植えてみたい品種が絞り込めた。その流れで趣味の園芸からいちじく栽培の本が出ていることを知り、そちらを読んでから決定するのがよかろうと判断。いまのところ、ビオレソリエス/バナーネ/ホワイトアドリアチックの3品種がわくわくする。写真の部屋|ワタナベアニ|note をきのうから購読し始めた。撮る技術よりも手前にある考え方のことが、それほど長くない文章でざくざく並んでる。滋養だ。