念入りな掃除を終えて換気していると夕立がきた。新鮮な湿度が涼しい風と一緒に入ってくる。室外機の上で日差しを謳歌しているマツリカちゃんやくちなしにとって、この雨はいい葉水かもね。いま面倒を見ている五鉢のほかにもう少し植物を育てたいと思い、関心のあるものをリストアップしてる。ディルは確定済み。中東ではヨーグルトに入れて食べるらしくやってみたい。パチョリ/ウッドラフ/ローズマリーは香りも楽しみたいという色気による候補。規模の大きい園芸店へ足を伸ばしていろんな植物に触発されたい気持ちがあるけれど、もっか世が世であるし、手元にあるもので関心を探っていくのがよかろ。すいかずらの花芽はここ数日、急に膨らんできた。こいつは環境が合うと野放図に伸びる。そうした変化の多さには喜びつつも、あんどん仕立てが鳥の巣になっていくのは避けられなさそう。
2020年9月9日(水)
道の駅きつれがわの産直へ。戻ってくる道すがら、稲の収穫が始まっているのをちらほら見かけた。きょうは刈り入れ向きの好天だったものね。そのためか、夕方近くには夕立が通っていったけれど。ウマオイなどお盆のころの多様な虫の声と、アオマツムシが圧倒するいまの夜の声とを比べると、ひとには秋めいてきたばかりに感じられていても、生き物たちは季節の巡りの中を渡っていく真っ只中にいるのだなあと思う。きょうは根拠もなく負の感情が湧く、疲れる日だった。眠るべし。
2020年9月8日(火)
夕方の空にはうろこ雲が広がっていた。そういえば、春先は活力に満ちていても、夏の盛りには力尽きてしまうのが例年のサイクルだった。なのに、今年は体力をフラットに維持したままこの季節までたどり着いてる。疫病の流行や祖父の不在で閉じこもっていることが影響しているのかも知れない。
2020年9月7日(月)
台風は大陸へと向かっていった。庭からはアオマツムシの声が大きな層となって聞こえてくる。夜の気温は比較的過ごしやすいところまで下がってきた。窓のサッシへカメムシの忌避剤を塗布する作業は、例年通り九月中に済ませる予定。
2020年9月6日(日)
『カサブランカ』観た。美しいと評されるモロッコの街が題名なために気になった映画。なんだろ、よく分からないなーと思いながら(ちょっと眠くなりつつ)物語を追っていた。「昨日はどこに?」「そんな昔のことは覚えてない」「今夜会える?」「そんな先のことは分からない」というやりとりがばちっと痺れる。検索してみたら、「君の瞳に乾杯」というせりふはこの映画がオリジナルらしい。濫用された感のある言葉だけれど、劇中ではごくさりげなく発せられていた。視聴後にWikipediaであらすじを追い、こんなかっこいい話だったのかとびっくり。もう一度観たらほかの感想を持つのかも知れない。カサブランカの街の風景に興味があったから、そこに関してはカラーならと思った。
2020年9月5日(土)
道の駅ではフリーマーケットが再開されたようで、広場にまばらな露店を見かけた。夏の暑さを過ぎて出店しやすくなったのかも知れない。ふらーっと覗いて回った。間隔を開けるなどの疫病対策はできるだろうし、フリマは生活圏に戻ってきて欲しい楽しみの一つ。台風前に出かけておきたい心理があるのか、道の駅にはそれなりの人出があったように思う。そのあとスーパーに立ち寄って買い物をしていると、雷鳴とともに採光が暗くなり、にわかに夕立が来そうに思われた。軽く雨に降られながらも雨雲の下から離れ、帰着。
2020年9月4日(金)
通院。前回のこちらの提案に沿って処方を減らしてもらった。薬局での受け渡しの際、頑張って飲み続けてみてくださいね、と薬剤師さんから言われた。こうした言葉に気付けるようになってみるとありがたいなと思う。『きっと、うまくいく』を観た。癖は強いがランチョーよ、おまえはいいやつだ……。インドの名門大学を舞台に、三人の友情と教育問題への批判が繰り広げられる映画。観てよかった。勧善懲悪の強度やこの作品を流れる未来への信頼は、この国が持つ姿勢でもあるんだろうか。台風10号は月曜に九州へ接近するとのことで、危険だから安全を最優先にとの呼びかけが方々から流れてきた。
2020年9月3日(木)
星野源は聞きやすくて歌そのものもよいなあ。すでに手元にあるシングル『いくつかの空』『Trust my feelings』のMVが葬送や死に関連していたために、柴咲コウというひとはそうしたテーマで歌うのだろうかと思っていた。今回ベストアルバムを聞いたことで先入観はほどけたかも。ASIAN KUNG-FU GENERATIONにはおどろおどろしいイメージを持っていたけれど、思いのほか聞きやすくてすっと入ってくる。
上の写真はいつ撮ったものか定かでないけれど、編集してみたら雰囲気が出て気に入った一枚。
2020年9月2日(水)
『マトリックス』と『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』を観た。マトリックスは随所に攻殻の影響が見て取れた。ネオの「この結末をここで語るつもりはない」というような独白で物語は幕を閉じたけれど、これって「続く」という意味だろうか。マトリックス2があるのん? 検索したらあるぽい。それとなく始まってなし崩し的に物語へ没入していくマトリックスの導入には、仮想現実をなんとなく受け入れてしまっている培養槽の人々の意識のようなものを感じた。「私は本当に私だろうか/私が感じるものごとは本物だろうか」といったことがテーマなのかなと思った。疑いの視点を持ってしまったらこの現実を元と同じように見ることはできないっていうの、以前に別の作品でも触れた気がする。『トゥルーマン・ショー』だ。あちらは仮想現実ではなかったけれど、誰かが作り上げた世界の中で自分のものではない生を生かされる点は同じだった。『ちくま』にずばりこれらの映画に言及したコラムが載っていたなあ、と思い出して雑誌を漁っていた。2017年12月No.561の戸田山和久さん「飛び出せ教養9」に見つけた。「プラトンは我々の無知、自分が無知だと気付いていないほど無知な状態、『知らぬが仏』状態を洞窟に喩えた。」とか……この記事というか連載自体が面白くてこうして読みふけってしまうけれど、真理を希求する態度を持って(恐れずに勇気を持って)賢くあろうぜ、という感じの内容だった。映画の感想から脱線したな。
『シッダルタ』を読んでいるところ。創作のネタ出しをする中で、世界への祝福の顕れについて書かれた本が知りたくなったのだった。そのへんがテーマかなと思う本はほかにワーズワース詩集。詩の世界でならそうしたテーマは見つけやすいのかも知れない。
2020年9月1日(火)
九月入り。唐突に、またたび酒でも漬けたものだろうかと考え始めた。ほんと唐突だな……。道路沿いにまたたびの実る場所があるから、人目を気にしなければふらっと行ってもほどほどに収穫ができそう。虫えい(アブラムシによって変形した実、薬効が高いとされる)の落果し始めるシーズンが今ごろという文章をなんかの弾みで読み、野外へ出かける理由を探していた折、これではどうだろうかと思ったのだった。するとしてもなにかのついでに。博物画の放出セールが30日にオンラインで開かれていたことをいま思い出した。気に入ったものがあれば壁に飾ろうと思って開催時刻をメモしてたのだけれども。知らない音楽に触れたい周期が来ており、往時のベストアルバムやひとさまのおすすめを中古CDで漁っているところ。