2020年9月29日(火)

今朝の気温は12度近くまで落ちた。夜九時のいま16度あり、ベランダへ出ると手足の先がきゅんと冷える。手すりには夜露が降りるようになった。服装を変えたりストーブを出すまでもう少し。坂本龍一氏の『async』はとがった領域へ踏み込んでおり「うーん……?」という感想を持った。このアルバムの音を粒子の光と振動として捉えるつぶやきを読んだことがあったから、その線で耳に馴染むだろうかと聞き返してる。なんとなく、bayakaの『Irradiation』と『inner film』が近しい気がした。こちらは個人的なお気に入りのアルバムで、有機的な闇という表現がはまる。『async』もどちらも、空間の深度から見たときに類似点を見いだせないだろうか。

2020年9月28日(月)

髪を切った。風が通り抜けていく。リングフィットを再開して腹部重視のトレーニングをしているのだけれど、このゲームを始めたころよりもずっと身体が慣れて、息切れを起こしづらくなってる。空白期間を貯金で見逃してくれるところが筋肉の裏切らなさなんだろう、と解釈してる。きょうは穏やかで季候のよい、風の爽やかな日だった。祖父が裏庭に植えて気に入っていた栗の木に実がなるころだから、そのうち様子を見に行けたらと思ってる。いとこたちはそうしたことには無関心だろうし。

2020年9月27日(日)

果物市場に寄ってから道の駅へ。珍しく二つのグループのフリマが出店しており、路上には普段の休日よりもずっと賑わいがあったように思う。たまにしか見かけないグループの品々を巡るうちに「おっ」と惹かれた店があった。扱うものはアンティークなのだけれど、ほかの店よりも粒が揃っている感じ。周辺をうろうろして商品に見入るうち、店の前に置かれた一品300円のワゴンに、小さな花瓶やぐい飲みや徳利といった、小さくて形の似たものがころころと転がっているのを見つけた。じつは、フリマに来たらランプと花瓶は熱を入れて探そうと勝手なテーマを持っているのだった。それらは手のひらサイズの民芸品という感じで、眺めるうちすっと親しみが湧いた。背の高いとっくり型の花瓶やおしゃれな水差し型のものなど、それぞれを手に持って比べたりしながら、それなりの時間を悩んでいたと思う。安定性があり雑草を活けても自然なのを、ということで見繕ったのが画像のもの。ささやかな花瓶だけれど使っていけば愛着が湧くと思う。フリマの品々のよいところは、量販店で売られているものと比べて歩んできた経路が複雑で、おそらくより多くの人々の手を渡ってきているところ。今風に言うと物語が多い。そうした親しみを持ちやすい一品ものを探すのもフリマの楽しみだと思う。この花瓶には庭の花や野辺の花を挿すつもり。雑草の花は観察すれば面白そうなので、そうしたものを手元に置く手段としての花瓶にもなれば。眠たい。

2020年9月26日(土)

内側に起毛加工してあるジャージを出して部屋着とした。もう少し寒くなったらルームシューズも取り出そう。なんだか手足が弛緩していたせいで昼遅くまで布団の中にいたのだけれど、きょうは早めに眠りに就いていいかもという気がしてる。腫れた歯茎のために身体が若干だるい。路上を走っていて金木犀の香りに気がついた。

2020年9月25日(金)

やっぱり肌寒い、風の強い日。耳鼻科で薬を出してもらった。この数ヶ月はカメラを持って撮りに行くのがおっくうになり、気になったものがあればスマホで間に合わせる撮り方をしてる。世が世であるし、市街をぷらぷらするのもなんかあれだなーと思うと、出かけていく動機は弱くなるんだよね。祖父の存在はその動機にプラスの影響を与えていたんだなと思う。秋冬に入り関心は閉じていくから、別のことをやりながら春を目指してもよいかも知れない。タイムフリーで聴いた直近の『今夜はうまいぞぉ!』はしょうもない話が流れるようにつながり、可笑しくて笑っていた。また番組の枠が変更になるらしく、十月からは金曜夜に放送。もう八年ですよというグッチ裕三さんの言葉に、そんな長寿番組だったのと意外な気がした。茉莉花ちゃんはなおもしぶとく花芽を付ける。十月に入ったらシャコバサボテンの葉摘みをして、こちらも花芽を出させるつもり。シャコバの花は冬場の大切な潤いになるから、タイミングをうまく計って蕾をたくさん出させておきたい。

2020年9月24日(木)

雨は降らないみたいだ。日がな風が強く、手足の先が冷えた。クローゼットに仕舞っていたルームシューズを引っ張り出してくる時期かも。『キャプテンハーロック SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK』を観た。FF映画ぽいな……。999の系譜なのかなーと思って観ていたものの、キャプテン・ハーロックの生き様にスポットを当てたサイドストーリーのように思えた。いまWikipediaを読むと原作/TVアニメとこの映画ではけっこう相違があるらしく、キャプテン・ハーロックという人物もどちらかというと松本零士作品のスターシステム的なキャラクターらしい。映像やストーリーよりもおっと思ったのは、銀河中へ進出した人類がほかの知的生命体とさしたる交流も築けず、孤独をまとって潮が引くように衰退していくという設定の、その郷愁だった。松本氏が関わったらしい宇宙戦艦ヤマトにもそんな感じがする。漫画の『BEASTARS』がもうじき完結するそうな。本を仕舞ったせいでどこまで追っていたか忘れた。そのうちチェックしたい。

2020年9月23日(水)

夜になり食材を買いにいく道すがら、懐中電灯を点けて散歩する人の姿をちらほら見かけた。歩くのに快適な気温でもあるし、明日には台風が接近するから、それを見越してということもあるかも。もうそろそろ、夜には上に着るものが余計に欲しくなってきそうだ。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を観た。形ばかりの宇宙軍に所属する青年が下心を切っ掛けに宇宙飛行士へ志願し、史上初の有人宇宙飛行を目指す話。地上を離れることの社会から見たいかがわしさや、人類が繰り返してきた営みを圧縮するビジョン、手を汚した彼が軌道上から呼びかける祈り、そうした諸々を貫く、星の世界を目指すことへの力強さがじんときた。それができるならそうせずにはいられないという人の持つ欲求が、愚かしさよりも勇気やいたわりで人々の行く先を照らしていて欲しいと思う。目指す方向こそ逆だったけれど、その飢えるような好奇心は『猫の地球儀』がストロングに描いていたなあ。中盤でちらっと映る、どこかの海辺で散髪をするシロツグのシーンが、腹を据える感じと休日じみた穏やかさとを伴っていてよかった。そして作中の音楽がとても好き。頭上を臨むような浮遊感と静けさと、新しいものを迎え入れることへの確かな予感に満ちていて、それがこの物語の持つ展望をずっと奮い立たせていた。見終えてから開いたWikipediaに「堀江貴文は、本作の熱心なファンとして知られ、宇宙事業参入を目指し、ロケット開発への投資を行なっている[19]。」という文章を見かけた。僕は堀江さんが民間のロケット打ち上げ企業へ傾ける情熱と商魂を信頼してるから、この映画に同じものを感じたのではと思ってうれしかった。

2020年9月22日(火)

日陰に流れる風が涼しい。そのへんにしゃがみ込んでいたくなるような快適な気温だった。今年の春先に植えたクレマチスの’フォンドメモリーズ’がいまになり咲いていた。つぼみがほかにもいくつか付いており、時期的に今年の花期はこれで締めくくりだと思う。白い花のふちと先端に濃い桃色の覆輪が差し、その色は花びらの裏側を覆う。Webで読んだ説明よりは花が小ぶりな気がした。まあ、株はまだ小さいし、季節のこともあるしね。この品種を冬場に屋内で咲かせると、その桃色が緑色へと変化するらしい。花付きの良さはほかにも付いたつぼみを見てよく分かったから、このまま株は弄らずにこの冬を乗り越え、次の花期を迎えることを目標にしてみるつもり。植物を育てることのよいところは、確かな予感とともに季節の巡りを生きていけることだ。同じ時期に近くへ地植えにしたロニセラ(すいかずら)は、ぶっとい針金のような蔓を地面にぐるぐるとのたくらせていた。この種族には生育面で獰猛なところがある。強引に誘因しても構わなそうではあるし、思い切った剪定をしても平気そう。別の場所へ植えたあけびの’紫水晶’は、春以降それなりに成長し、これなら放っておいても勝手にもっさりするだろうという感じを見せた。あけびの実付きをよくするためには三つ葉と五葉の掛け合わせがよいとのことで、あとでそれらしき株を祖父宅から移植したい……のだけれど、なんか先延ばしになってる。この件はほかの植物も移植する予定のある秋以降に。

2020年9月21日(月)

お彼岸なので母と墓参りへ。寺では白い萩の花が盛りを迎えていた。きょうはつくつく法師が鳴いておらず、夜鳴くアオマツムシにも勢いが失せてきたように思う。