道の駅の芝生に生えていたネジバナ。ガラス細工のよう。紫陽花撮りに行けたらよかったのだけれど、予想に反してきょうは朝から小雨が降りしきっていた。天気予報では一週間先まで傘マークが付いてる。機会を逃したかもね。紫陽花はちょうどいまが見頃らしいから、雨降りの隙を突けるかどうか、しばらく予報をチェックするつもり。まだ梅雨明けには二、三週間あると思うけれど、春から初夏の温暖な気候を過ごすことは生きがいと言っていいくらい幸せなことだった。あの新鮮で麗しい光の中にずっと留まれたら、と思う。またいずれ巡ってくるよ。
2020年6月29日(月)
曇りときどき晴れ、雨は降ったりやんだりとまとまりのない天気。道の駅に立ち寄って駐車場脇の芝生を見ると、今年もネジバナがつんつんと咲き始めていた。しばらく前に辺りの芝刈りが行われて芝生そのものは背が低い状態だから、次の芝刈りまでには十分な期間を持ってネジバナを観察できそう。あのガラス細工のような花を拡大して撮りたい。それから、地元で見頃らしい紫陽花を撮りに行けたら。もう六月が終わるんだなあ。この月の光加減を写真に残したほかは、振り返ってもなにをしていたかあまり覚えていない。今度の木曜はうちの猫の命日。
取り寄せた茉莉花につぼみが付いていた。今年は株を太らせて、花と香りは来年楽しめたらいいねと思っていたのだけれど。花芽が付いていてはなおのこと、お店の方はこの鉢の梱包に気を遣ったんだろね。眺めるうちに草姿もよい気がしてきた。ようこそうちへ。
小さいプランターのディルは上手く活着できなかったようでしおれてしまった。残念。もう少しポット苗を探してみる。となりのフェンネルはもさもさとした葉を伸ばしているのに。いま思いついて検索したら「ディルは直根性なので移植を嫌う」という結果が返ってきた。そうかー、根鉢に手を加えてはいけなかったみたいだ。一度くらいは収穫して味わえたらいいなあ。ディルとヨーグルトの組み合わせが気になってる。
2020年6月28日(日)
宵のころ、ふらっと散歩に出た。朝方の雨で塵が落ちた大気は、透明感を伴った艶やかな黒をしていて、まだ薄ら明るい南西の高いところに半月が昇っていた。ほたるの飛ぶ用水路に立ち寄る。真っ暗な竹藪に目を凝らすけれど、どうやら飛んではいないらしい。ちょっとだけ時期が遅かったのかなあ。それからふらふらと歩き、かえるの合唱に耳を澄ませたり、自販機の明かりをなんとはなしにスマホで撮ってみたり、夜の空気を好きなだけ嗅いでから、帰宅。
2020年6月27日(土)
うだうだしてたら一日が過ぎてしまった。金精峠とわたらせ渓谷を通るルートを調べてみたり。
2020年6月26日(金)
伝わることが全てなら深さは存在しないんだな……ということを、テレビのコマーシャルを見ながら思う。伝わることというのにはたぶん、共感も含まれる。理解できない淵や断絶を大切にできたらいいね。金曜ロードショーでバック・トゥ・ザ・フューチャー3を観た。タイムマシン機関車がさらに時空を跳躍していく高揚感がたまんない。三部作を視聴してるあいだずっとわくわくしてた、面白かったなあ。通院先にて、調子は上向いてきたものの今度は眠りすぎてしまう、ということを先生に話したところ、それはいいことですねと処方の一部を効果の弱いものに変えてくれた。
2020年6月25日(木)
楽天で茉莉花(マツリカ、アラビアンジャスミン)の苗をポチった。くちなしやロニセラを検討していたときに、ジャスミンティーの香り付けに使われるというこの茉莉花も候補にしていたのだった。ことし株を大きくすれば来年から楽しめるのでは、という気持ちが再燃してる。ニオイバンマツリや夜香木もどんな匂いがするか気になるところだけれど、茉莉花の時点で八号くらいのを五鉢+小さなプランターを世話することになるから、一年を通して自分の手が回るかどうか、様子見するつもり。
~していて、というふうに文章を切らずにつなげていく言葉遣いって、それまで氾濫していた~けど、の代用なのではなかろうか。
西日本からは大雨情報が届くようになった。本格的な雨降りの季節に突入したんだなー。なにごとも起きずにこの雨期が明けるなら、そのほうがいいよ。
2020年6月24日(水)
Webのタイプ別診断で「楽器を触った経験があったりするでしょ」みたいな結果が返ってくることがある。ハーモニカはひとつ持っているけれど、これまで熱心に練習したことはなく、聴く側に回って楽しめればそれでいいかなー、なんて思っていた。でも、いま気づいた。日常的に口笛を吹くんだよね。ひとりで音楽を聴くとき、その旋律に合わせて飽きもせず吹いてる。あまりに生活の一部だし、楽器の自覚はさっぱりなかったから、思い当たってちょっとびっくりというか、感動なのかなこれは。そうかー、口笛も楽器として捉えれば、それなりに長いこと親しんでいるなあ。ただ、演奏というより癖としての行為寄りなので、技巧的には素朴だろね。
2020年6月23日(火)
リングフィットのレベルは150へ。アイテムが二倍になるキャベツのソイポタージュをもりもり使い、経験値二倍のキャロットスープを集めているところ。こういうことしなくてもステージは進められるよなーとちょいちょい我に返る。寄り道のぶんだけ筋肉がつくので……。花期を終えてからのロニセラはびっくりする勢いで蔓というか枝を伸ばしてる。伸びた部分は意外にも、緩くではあるけれど巻き付く性質があるみたいだ。上手く支柱に沿えずびょんと飛び出す枝もあるから頼りないけれど。もとは藪を作って絡まる植物だものね。フェンネルも成長が早い。あの小さなプランターではすぐに根が回ってしまうかも。日中、あたりから虫の音が聞こえていた。季節というのは一つ先の準備も抜かりなく進めながら本格的になっていくのだなあと思う。
2020年6月22日(月)
当たり前のものに別の角度から光を当てて当たり前ではなくしてみるとき、ものごとが繊細な色彩の粒子を放つことは、感動の源泉だと思ってる。さっきまで煮物のにんじんを食べていた。こういうにんじんは、山や野で採ろうとしたらかなりの大物なはずで、その日の採集のハイライト扱いになるんじゃないだろうか。山菜採りでこういう手応えのあるものを手に入れたら晩ごはん作りも張り合いが出るだろうし、食べる行為だって余裕を持って向き合いながら味わうようになるはず。実感が必要なんだと思う。当たり前とか気にもとめない事柄って、そこへ視点が行けば遠くへ出かけるより簡単に新鮮さが得られるだろうから、そうしたものに慣れずいる態度を持てたら。
きょうは一日中涼しい風が吹き抜ける、梅雨寒の日だった。こうした天候の不思議な爽やかさってどこから来るんだろう。昨晩のラジオ深夜便で、吉田篤弘の『空ばかり見ていた』に収録されている、おでこが広いことを気にしながら喪失を抱える司書の話が朗読されていた。夏至を過ぎてかすかに色褪せるような感覚と、梅雨の涼しさや、これから暑い盛りということなんかが混ざり、やがて周波数が変調するような七月へ突入していくんだろね。風があるせいか、少し肌寒い。
2020年6月21日(日)
夏至。曇り。叔父と祖母の法事を合同で済ませた。それから大叔父と二人で他所へ移動し、こちらの抱えている疾患のことを聞いてもらったり、関連書籍を渡したり、彼の二十代や三十代の話を伺ったり。大叔父は私のない超然とした人で、話の要点を掴むのもうまく、「理解して欲しいってことだな」と数時間にわたり相手をしてくれた。押しつけがましくないように心構えも説いてもらったように思う。それからお弁当を食べて帰宅。夕方に部分日食があったそう。このあたりは予報通り、ときおり小雨のぱらつく曇天で、空を見ることはできなかった。いまになって網戸越しに雨の降る音がさああと聞こえる。
ファンタジー世界の地図を引くのにWonderdraftとInkarnateの二つを眺めてるけれど、どちらがいいんだろう。前者が買い切りに対して後者は課金形式。出力できる解像度の自由さは前者の方が高いぽい。InkarnateはMedieval Fantasy City Generator by watabouという中世都市の地図ジェネレーターと連携できるそう。redditにWonderdraftのトピックがあった。ネタ出しを再開したばかりだから、上記どちらのサービスを使うかはのんびり決めていくと思う。
きのうの雑記を書き忘れたことにいま気づいた。普段からたいしたことは書いてないけれど、日々の出来事を覚えていることが苦手なので、ここに書き付けた断片は過去を振り返るために重宝してる。手がかりさえあればほかのことも思い出せる場合だって多いしね。