2020年4月20日(月)

眠い。日記雑記置き場を作ろうと思って作業をするうち、ヘッダーやフッターをphp includeでモジュール化し始めたり、CSSのflex-flowの使い方を調べなければならなかったりと、例によってまた手掛ける範囲が広くなってきた。このへんにして眠ろう。

春宵一刻直千金という言葉があるけれど、本当にそうだなあと思う。青い薄暮の中に橙の街明りを見ていると、市街がゆっくり呼吸をしながら眠りへ就こうとするように見えて、そんな時の明かりは春特有の潤んだような気配を持ってる。

2020年4月19日(日)

今さら菌駒を打ち始めた。残りはまたあとでやろう。風が強く肌寒い日。それでも冷暖房の要らない気候になってきたおかげで、窓を網戸にしたまま心地よく眠れてる。春から初夏にかけての自然は輝いててよいね。

2020年4月17日(金)

もらった診断書を見ると軽くへこむ一方で、べつに今更ではないでしょとか、よりましになってきたと読み取れるのでは、みたいな考えも浮かぶ。まあね、いつか穏やかさを手に入れるってことを、過去の自分に教えたいよ。あしたは強めの雨が降るとか。鉢のスイカズラを植え直した。自分の気分は自分で作ることや、感情を制御下に置くために必要な他者との距離のことを思う。

2020年4月16日(木)

唐突に「なんで人間は銀河を見て美しいと思うの?」と自問してびくっとしてた。進化の途上でそういうものに対応する機会というのはこれまでなかったと思うのだけれど、だとすると美の感覚って、銀河の構造や要素を捉える受容体みたいなものを備えているんだろうか。でもまあ、解釈であとから感覚を補強している、というのもありそう。

2020年4月15日(水)

乃木神社に立ち寄ると、神職さんたちがひとけの無い境内で雑草をむしったり、その様子を社務所の売り場から眺めたりしていた。

植木屋に頼んで邪魔な庭木を倒す話が進んでる。柚子には実やアゲハの食草という点で未練があったので、その枝を二本ばかり切り取って断面を整え、水に挿した。これらが発根すれば敷地の隅へでも移してやるつもり。

ものの弾みで哲学方面の本に手を伸ばした。論理的に考えることが苦手なうえ、いろいろと平行して読むたちなので、そちらをいつ切り上げられるか全く見当が付かない。実存主義はどうだろうかと思い、まずはそのあたりの源流らしいキルケゴール『死に至る病』(岩波文庫)へ着地予定。哲学は放っておいたらいつまでも縁が無かったんじゃないだろうか。

2020年4月14日(火)

二月半ばに注文したSSDの出荷予定日の連絡が代理店からきた。五月十二日。中国の内陸部でアウトブレイクが起きて、半導体製品の流通が滞るという焦りからパソコンの部品を慌てて揃えていたのが、冒頭の時期。世界がいまのようになってしまうと、海外から欲しいパーツを手元へ届けてもらえることを喜ぼう、って気になるかなー。

ムーミン・コミックスの変なコマをスクリーンショットにしたり(ひとりで楽しむ用)、ここの日記のログ置き場をWordpress経由で静的ぽく表示しようとしてる。あしたは晴れて気温が上がるそう。すごい、選り抜きの変なコマをスワイプしてると笑わされてしまう。

2020年4月13日(月)

大風と雨が吹き荒れて、桜の花びらがあたりに撒き散らされていた。いまも風のうなりや木々のどうどう言う音が聞こえる。近くの田んぼに水が引かれていた。かえるの合唱が楽しみ。

木曜に入っていた歯科の予約を来月下旬へずらした。いまが肝心なところというのなら、痛みもない小さな虫歯のようだし、出歩いてすぐ治したいというこだわりはないもの。

思い出した。日記をここへ毎日書くようになってから、先の土曜で一年が経っていた。それまでは週に一回や二回くらいのペースで書かない日というのがちらほらあった。もともと、ここに日記兼雑記をつけている理由は、「考えたことや起きたことを記録していかないとすぐに忘れて思い出せなくなる」「創作が書けなくなってる(というか想像が出来なくなってる)からせめて文章のリズムだけでもいつかのために維持したい」といったあたり。元気がないときは適当に書いていいし、書かない日があってもそれはそれでと気持ちを割り切ったら、こんなふうに意外と続いてる。一般化になってしまうけれど、なにかするときは動機が複数あると続けやすいのかもね。

今年のダージリン春摘みがリーフルに入荷され始めていた。始まったー。ダージリンでは青い草原の香りの茶葉が欲しい。ので、これから梅雨の終わりころまで入荷の様子を覗うつもり。

2020年4月12日(日)

あしたは日がな雨降りだとか。夜の田んぼからかえるの声が聞こえた。リングフィットを再開。一ヶ月くらいサボっても筋肉残ってるよという感じと、トレーニングで息切れしてあっ衰えてるって感じは、意外なくらい両立する。

理由があって外出時にマスクをしてないことが多い。

  • マスクの効果を考えると、ウイルスの拡散を防ぐことには寄与するけれど、ウイルスとの接触を防ぐことは期待できない(会話やくしゃみをしないんなら、マスクをしてもしなくても同じでは)
  • マスクをしないことは、入手のために店頭や人混みへ出掛けていくリスクを避けられたり、本当に必要とする人のもとへマスクを回すことにつながるのでは
  • そもそも人の集まる場所に逗留しないようにしてる

こんな感じ。ただ、例えば、スーパーにいるほとんどの人がマスクをしているのを見るとき、「マスクをしないことは他者の安心には寄与していなさそう」とか「大勢と足並みを揃えていないのでは」という引け目は感じる。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)で心がけていること の冒頭でマスクの着用について触れられていたので、こういう考えを持っていいんだーと気が楽になった。

2020年4月11日(土)

雨が降る。今年も松寿の生仕上げを二袋確保したから、そのうち淹れる。

野外へ出て行くのはいいんじゃない、みたいに家族から言われた。どうだろ。来週に入ってる歯科の予約も、疫病を拾ったり広めるリスクをちょっと考えてる。一方で、混乱の先が長そうなことを鑑みると、早めに治療されておきたい虫歯はたぶんあるんだよね。一月ばかりオンラインの情報に触れなかったことは結果的に元気さを温存したのかも。こういうときは不安を打ち消すために情報を集めたくなるけれど、心を疲弊させないためにはソースを確実なものに絞ったり、刺激から距離を置いてみることも大切なんだと思う。

平沢進の地球ネコがわりと好き。平沢進-地球ネコ この人の作品の陶酔感は定期的に欲しくなる。関係ないけれどマクロスFの星間飛行 の歌詞で「魂に銀河 雪崩れてく」を「魂に金が流れてる」と空耳してた。超新星爆発で作られる宇宙の金の話? みたいな。