2020年4月30日(木)

あすあさってと業者さんが庭木の伐採に来る予定。自粛要請が出ている件を心療内科の先生に相談して、しばらくのあいだ処方を四週間ずつ出してもらうことになった。

2020年4月29日(水)

ほだ木を物置の後ろへ運んでいて、脚を蚊に刺され放題にしてしまった。気温は一気に温暖になってきた。ぽつりぽつりと蚊取線香を焚いてる。

2020年4月28日(火)

ここ数日は陽気がいいなあ。大型連休が終わるまで遅霜に気をつけろと祖父は言っていた。一般に八十八夜の別れ霜とも言われるけれど、この様子ならもうそんな寒気は訪れないように思う。冬の底から攫ってきたかき菜は素焼き鉢に根を張り、花期を終えて種をつけてる。当初の予定通り、連休中にこいつを地面へ帰してやろう。愛着が湧いたことに加え、くちなしやスイカズラといった植物を居室で飼う習慣が根付きそう。

2020年4月27日(月)

新型コロナウイルスの感染者が地元からも確認された。 市をTwitter検索すると、当該施設と感染者への怒りや怨嗟が目につく。そうかー、こういうことになったかあ。個人的には、これは確かに軽率だったけれど、すでにどうにもならないことで怒っても疲れるだけでしょう、罹患したひとや罹患するひとたちが早く治るとよいね、くらいに思う。市には非常事態宣言が出され、五月六日まで自粛要請が下された。対策として出来ることはこれまで通り変わんないし、衛生に気を配り出来るだけこもって過ごすつもり。

2020年4月25日(土)

個人的なポストカードに印刷したい写真の編集など。絹目調や光沢のあるはがき用紙は質がよい代わりに表面がつるつるしていて、文字を書くのに難儀するんだよね。インクジェット紙は逆にインクが滲むから、一長一短だと思う。細めのボールペンで書くべし。

仲野順也さんの音楽が耳に幸せ。bandcampでアルバムをダウンロード販売されており、 Phantasm (1st Album) の「Sampo」と「Elfin Dance」、そして Sky Watcher ( 3rd Album ) の「Lemuria」がひときわ輝いてる。想像させる力と精度が高くて、その光景や感情がまざまざと伝わってくる。Lemuriaは蒼茫とした海原と古の記憶が、滅びの悲しみと生きものたちの躍動が、もう、見えた。最近は Junya Nakano | Free Listening on SoundCloud に新しい作品をアップロードされているので、もっかそちらを拝聴することが楽しみ。20年くらい前のプレステのアクションRPG「デュープリズム」を気に入り、そのサントラを手に入れたことがこの方の作品を知る切っ掛けだった。こうしたイメージ豊かな電子音楽が心底好きなので、今後も長く活動して欲しいアーティストさんだなあ。

2020年4月24日(金)

午後より雨。なめことクリタケの菌駒を母と打っていた。意外と駒が多かったせいで、タモギタケのためのほだ木が足りない。あとで祖父宅に残された桜の丸太をもらってくるつもり。日曜に予定されていた四十九日の法要は、集まったり出掛けたりしないでとお触れが出ていることもあり、祖父の娘であるうちの母と喪主だった従弟の二人に代表して執り行ってもらうことになった。

2020年4月23日(木)

採った山椒の佃煮でごはん。穏やかな気候なのに手足の先が冷える。ぐったりしそうなときは早めに感知して休息を取るべきだろな。一年に一度くらいの頻度で不規則に体調を崩すけれど、ここに溜め込んだ文章の傾向から、春は特にそうなりやすいように思う。いったん不眠と不安に軌道が逸れると立て直すまでが大変で、いい季節がもったいない。やっと自分のものにした眠れることの快楽は、もう手放すつもりはないんだ。昨夜は流れ星を見たあとでふと「そうか、詩も哲学も必要なんだ」という考えが脈絡なしにピコンときた。風呂から飛び出してユーレカ! みたいに。そういうのを摂取していこう。

2020年4月22日(水)

4月こと座流星群を見た。二時間くらい空を向いて、五、六個の流星が視野を流れた。こと座は織姫星ベガを含むので、ベガが構成する夏の大三角も空に昇ってくる。夜も深まるころに見る星空って、季節を一つ先に行く。こんな生活圏内の時間に夏の予兆が見えるようになってきたんだなー。梅雨入り前のからっとして眩しい季節が惜しいというか、愛おしい。そういうのを夏が来る前に、一年分の補給をするつもり。

2020年4月21日(火)

山菜採りへ。あけびと山椒、それから採る者のいなくなった祖父宅のたらの芽が、レジ袋一杯に確保できた。目的地の林道脇に脱走園芸種じみたユキノシタ(たぶんハルユキノシタ)がわーっと生えている場所も見つけ、ぼってり感のある若い葉を二十枚、数えて摘んだ。一面にあるからとはやる自分を抑えたつもりだったけれど、こうして振り返るとだいぶん欲の出た数字だ……。夕餉の天ぷらはほのかに甘かったり苦かったりする美味しさだった。家族と食卓に着く安らかさが昨今はとても儚いことを案じたくらい。ユキノシタの天ぷらは癖がないというか、それはほろ苦さもえぐみもないことの裏表だったのだけれど。あけびの蔓のお浸しに卵の黄身とつゆを絡めたのが味わい深かった。あけびの蔓は細いので、食べるための量を山菜採りの片手間に集めるとなると、少し時間が掛かったのだよね。お浸しをそろそろと噛むうち、軽いほろ苦さの中に、微かに花の香りを感じた気がした。なんだろう、藤の花のような、口内でそうと薫らせなければ判らない香気があるような気がしたのだけれども。一緒に食べていた母は、食べられるけれどそれほどの美味しさは……という評価をしていた。山椒はあす佃煮か山椒味噌にする予定。

山からの帰り際、神社に立ち寄って桜の周辺をうろうろしていた。昨日は雨が降ったことだし、アミガサタケが生えていれば見つけられるかも、と思ってのこと。なんかあれだね、きのこってむつかしい。

マンガAI|アルというサイトにお薦めされた『パンプキン・シザーズ』をこれから読む。戦乱が終わってそして、というお話だとか。似ている候補にプラテネスやスプリガンという作品も挙げてもらった。そちらはそのうち。