2020年3月9日(月)

午前中に小雨、そのあと微風の穏やかな春の日。陰影のある積雲が流れていた。

朝九時四十五分頃、祖父は周りの者たちに囲まれ、入院予定とは別の病院にて息を引き取った。今朝がた入院の支度をしているうちに容態が変わり、救急搬送されたらしい。心臓マッサージを施してもらったようで胸から電極パッドが覗いていた。大叔父を含む家族が揃い、延命しているだけとなった酸素マスクが外され、それが上記の時刻。本人が入院や点滴を長く拒んだことから、脱水と栄養失調が死因に直接関連したのでは、みたいな話は母から出たものの、少なくとも書類上は老衰ということになった。まばらに解散して再び祖父宅へ集まり、座敷周りの掃除をしたり、葬儀屋との打ち合わせに入ったり、それぞれが勝手に分担していた。日の傾くころ弟と僕は一足早く引き上げ。

祖母、叔父と来て三年連続で喪中か……。去年の秋に祖父を撮った写真をさっき出力し直した。写真嫌いな人だったから、そのほかの顔写真は運転免許証くらいだと思う。遺影向けだろなとここで書いたとおりになった。僕は同居しておらず外孫でもあるから、葬儀やその後の整理なんかの決定には関与しない。それでも「祖父が孤立しないように」という思いから、身辺の作業を手伝ったりただ訪問したりして、ここ数年では最も彼の近くにいた。集まった人たちの様子もほんのり見渡しながら思う、僕は祖父に接する動機を自分の外側に設けてここまで続けてきたことで、本人を含む親族みんなの心理的/物理的な負担をかなり軽くしてきたはず。家父長意識の強かった祖父に対して消化できない思いを皆が多かれ少なかれ抱えているなか、彼のやりたいことを手伝おうと心掛けたことは、それなりにいいやり方だったと思う。

祖父母と叔父が立て続けに去ったことで母がひとりにならないよう、兄弟で見ていく必要があるんだろうなあ。一段落したら屋敷周りの様子をいろいろ撮っておくつもり。

端末画面とオンラインの情報から一時的に離れる試みは「こんな簡単なことだったの」という気がした。まだ初日だし、大きな発見を求めてるわけではないけれど。祖父の死が重なったことで、自分と向き合ってみるときなのかもね、と思う。

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