がっつりと掃除をする。その途中、物置のあたりに水耕栽培用のガラス鉢があるのが目に入った。じゃあ時期もいいからヒアシンスを育てようと思い、雑多な買い出しのついでにホームセンターを回って、大きな球根を一つ見繕った。ごく一般的な紫色の花が咲くやつ。いま手元でシャコバがつぼみを付けているから、このまま行けば寒くてこもりがちな季節にも、花の彩りを複数楽しむことができるはず。かなり小ぶりなプラ鉢は外のムスカリなど持ってきてみよう、と思って手に取ったもの。日中ばたばた動けていたわりにキーボード掃除が残ってしまった。これはあす以降に。キートップをぜんぶ外してきれいにする作業って不思議と心が安らいで好きなのだよね。文章入力でほかにこだわれる道具も見当たらないし、使い続けるうちこのキーボードへの愛着が湧いたってこともあるんだろう。ちょっと祈りにも似ている。『タイタニック』観た。いい映画だったのだけれど、細部のあちこちがラピュタと共通しているように思い始めてからは、そちらに気を取られがちだった。手を貸してくれるモリー・ブラウンや機関部の駆動、人がごみのように落ちていく沈没シーンなど、結びつけようとするとだいたいにつながりがあるように見える。それはそれで面白かったけれども。ラストで現在のローズが寝間着のまま現れるところは、つい先日聴いた木村弓さんの『いつも何度でも』の歌詞「閉じていく思い出のそのなかにいつも忘れたくないささやきを聞く」を思い出した。なんだろ、目覚めるともつかぬまま世界が小さな領域へ取り残される、そういう状況に抵抗と魅力を感じる。『BLAME!』のラストのあれ。海中へ没していく宝石の美しさが記憶に残る映画だった。