曇りで空気があたたかい。なんだかぼーっとしている。
2019年12月9日(月)
地元にて土井善晴さんの講演が来年二月にあるらしく、その整理券配布は来週月曜から先着順。去年だったか、三浦しをんさんがこの町へ来て講演をして下さったときも、自分が読む本の書き手さんを声で知ることが出来てよかったと、しっかり思えたのだった。僕自身はあまり遠くへ行く生活をしてないから外の風はなおさら欲しい。早めに整理券を手に入れられたら。
2019年12月8日(日)
このところ一日にぎんなんを20個ほど食べるうち、食後の体温がほんのり下がるかのように寒気を感じるみたいだ、ということに思い当たった。まあ、毒なんだものねえ。ギンナン |「食品衛生の窓」東京都福祉保健局 や 銀杏(ぎんなん)食中毒とは 和田啓爾研究室にぎんなんの毒性が詳しく載っていた。読んでいると、成人の20個というのは少し危うさのある量なのかもなー。美味しいけれど、食べる数をもう少し減らそう……。
椎名誠の『寝ころび読書の旅に出た』(ちくま文庫)は著者によるお薦め書籍の紹介本。ここから興味を惹かれた本をピックアップして、Amazonのリストに入れといた。クラフト・エヴィング商會の『おかしな本棚』(朝日新聞出版)のときもそうだったけれど、好きになった作家自身が気に入った本を紹介してくれてる状態って、こちらが読者ゆえに書物の世界を導いてもらえる贔屓感がある。僕の読書の基礎体力では本への集中力を上手くやりくりする必要があるし、傾向の掴めてる作家があたり情報を回してくれることに、心底助けられてる。上で挙げた二冊のどちらにも載っていた本は、妹尾河童『河童が覗いたインド』とつげ義春『貧困旅行記』。後者はもう手下にあって少しずつ読んでいるところ。そのほか、長い目で古典に手をつけられたら。
2019年12月7日(土)
なんか疲れた。寒い日。お歳暮のお裾分けでル・レクチェなる洋梨をもらった。
2019年12月6日(金)
昨日の夜、ふすまか米ぬかを蒸すもわっとした匂いが近所の農家さんから漂ってきた。しいたけ栽培の培地に使うのだと思う。今年も冬の匂いがやってきた。
買い物ついでに市街を見下ろす城跡の丘へ立ち寄った。葉をすっかり落とした桜の向こうに町並みがよく見える。ベンチに座り、温かい缶コーヒーと地域の風物詩なたい焼きをもそもそ食べながら、風花が舞う薄日の下、しばらくのんびりしていた。この眺望のよいベンチは現在は樹脂製のものに交換されているけれど、以前には塗装された木製だった。その背もたれの部分に、針かなにかの引っ掻き傷で書かれた、短い日記がいくつも残っていたことを思い出す。内容から察するにたぶん、近所の大学受験生の女の子が勉強の息抜きに来ていたんだろう。どういう弾みで文章に気付いたのか忘れたものの、僕がそこを訪れたのは、高校の授業をサボって風景がよく見えるところを探しに来ていたときだ。あのころはただ精神が不安定で窮屈で、校舎の屋上やマンションの階段なんかがひとりで過ごせる気楽な場所になっていた。ベンチの日記は明るい印象の文体で、日付は見つけたときより二年前の受験シーズンだった。こうして振り返って思う、僕は同じ場所で憩う者の痕跡を見つけたことで、そのころの窮屈さが少しばかり紛れただろうな。おそらくその人がそうだったように、僕もどうにか進学先を手に入れ、地元を離れるという経験をした。オチなし。状況はそれなりに変わっているのに、いまも当時と同じく先の見通しはほとんどない。でも、ずっと求めて来た心の安定なら、自分の元にそれとなく引き留められるようになったかなー、と思う。一つところに暮らすことで、風景に記憶が宿っていくこと、そこに人々の生活を思えること、そうすることが時に安らぎを伴うことを、眺めのいい場所へ来るときに実感する。
2019年12月5日(木)
さっきなんとなくポケモンGOを開いたら野生のラッキーがいた。残念なことに逃がしたけれど、長く躓いていた「グレートスローを3連続」というタスクは達成できた。おおー。
日中、青空の半分がくすんで黒っぽく見えた。風向きを考えると、それは山の上空からせり出した雪雲だったのかも知れない。今夜からあすにかけて、年末年始くらいの寒気が本州上空に下りてくるとのことで、土曜の八溝山域にも降雪予報がちらりと出てる。このあたりは風花くらい舞うだろうか。
連日のようにぎんなんを食べてる。おいしくてハマる感じ。今年実った種が道の駅によく並ぶから、買う側としては特に苦労なく手に入るんだよね。食べる際は封筒に入れてレンチンしながら、破裂するぼんぼんという音を数え、加熱しすぎない程よいタイミングで取り出す。宝石のように鮮やかな緑色をしたこのぎんなんの味って、なにかが突出してるわけでもなく、形容が難しいな……。苦みと、ほのかな甘さ旨さ、だろうか。山菜とナッツの間のものってこと? アレルギーを懸念しながら食べることへの背徳も美味しさに一役買ってるように思う。
喪中はがきは数が少ないこともあり、なんとか文面を書き終えた。あした投函する。こういう作業してるときのBGMとしてNetflixで水曜どうでしょうを流していると、なんというか飽きが来なくて邪魔もされず、いい塩梅。
2019年12月4日(水)
晴天。那須の山々は雪雲にすっぽりと覆われ、風景の中で白く消失したようになっていた。北日本は暴風雪警報が継続する天候らしく、秋田で積雪40cmだとか。冬場でも屋外の作業ができるここ平地/太平洋側の気候がありがたい。降雪の境目はすぐそこにあるんだもの。
なんか疲れた。祖父が工場で伐採した樫の丸太を八本、要るならやるというので一緒に回収してきた。彼の屋敷にプールされている桜と栗の丸太は追ってうちへ運ぶつもり。オンライン注文で取り寄せかなーと考えていたきのこの菌駒は、都合のよいことにいずれも、近所の園芸・農業向けホームセンターに入荷していた。やったー。なめこ/クリタケ/タモギタケ各400本を購入。祖父は椎茸ドリルをお前にやるから、菌は自分で植えろという。彼によればなめこは生の丸太(桜)にすぐ打ってよいというけれど、クリタケとタモギタケの要求する環境が分からない。あとで菌駒の取説を読む。広葉樹の丸太を手に入れ放題な環境は祖父がいるいまの期間だけだろね。
ニュースに登場する土地のことを知りたいという祖父に、やっと彼向けのタブレット端末を披露できた。といってもきょうは触りだけ。こういうことが出来るよというていでGoogleEarthを動かしたら、いまは便利なものがあるんだなあ、と話していた。祖父の周りにいる人たちに関わって欲しいと思ってここまで声を掛けてきたことだから、あとは叔父が去り繋ぐ糸の細くなっている従弟を巻き込めたら。
2019年12月3日(火)
午前の低い陽差しとその景色に、しみじみと冬を感じる。なんていうんだろ。弱く優しく注ぐ光と暮れの慌ただしさとの対比というか、『STILL LOVE HER(失われた風景)』の世界観だよね。
今日の昼ごろ、はやぶさ2が地球へ帰ってくるためにエンジンを噴射し始めたとか。それから喪中はがきが文具店にない。あした隣町の店に寄ってみる。
2019年12月2日(月)
二度目のローグ・ワン観た。この熱さは信念に手を貸す人々の熱さだなー。「この再会は、罠だろう」と半ば独りごちる、手練れなソウの猜疑心と孤独、そこから破滅に向き合った気高さを思う。ていうか登場人物みんなが渋いかっこよさを持ってる……謎触手に自白を強いられた元帝国軍パイロットのボーディーは、時の経過に従ってしっかりと基地の偵察やフライトをこなしており、それは元からあった責任感と誠実さに裏打ちされた行動に見える。デススターの設計図奪取となってから最初に手を貸したのも彼だったしね。「楽には行かないよな。ていうかかなりキツいけど、やれるさ」という台詞で見通しを持てた。野武士ぽかったベイズは、冷めたことを言いながらも本拠地まで一緒に来て奮闘してくれたし、キャシアンは彼自身の戦いを抱えていたものの、最終的にはジンと運命を共に行動した。彼が彼女の側にいてくれてよかった。また、ジンがK-2SOにブラスターを渡した場面の「これを使って。欲しかったんじゃないの」「ジン・アーソ。あなたの行動は、常に予測不能です」が、信頼を共有していて、よかった。そして盲目の武闘派僧侶、チアルート・イムウェがかっこいい。見えないものがあるが故に、信念がそれを可視化する、その熾烈さが、つよい。頼むからそこで死んでくれるなー。部隊全滅ってなんなん。そうか二次創作だったか、ごちそうさまだよ……。あまり上手く行ってない連中がひとときでも連携して未来を託したところに、伝説にはないヒリヒリする感じがした。
さっきもそうだったんだけれど、週二くらいの頻度で祖父が電話を掛けてくる。どうしたんだろうと思いつつ直近の出来事など交わしていて、最近になり思うのは、じいちゃんは話し相手が欲しいらしい、ということ。用事がなくても彼のもとに立ち寄ろう。格安回線のSIMが届いたんで祖父に渡すタブレットの調整をしているところ。
2019年12月1日(日)
産直目当てで道の駅三箇所を回る。川岸の堤防を行く道すがら、そこに繋がる私道の途中に後輪が脱輪&スタックした車を押している人たちがいた。いったん通り過ぎてから状況を飲み込んで原付を止め、押すのを手伝う。一斉に力を込めると、左後輪の下に敷いた板きれとタイヤの摩擦で白煙が上がり、車は堤防のあぜ道へ「のっし」という感じで復帰した。道の駅がすぐそこだったから原付にまたがると、笑顔のおばあちゃんが駆け寄ってきて、お礼を言いながら荷かごに千円札をねじ込んでくれた。僕が近寄ったとき「車屋呼ぶしかないよ」みたいな話が聞こえたのと、戻した際にその場の皆から歓声が上がったので、きちんと役に立てた対価として受け取れて、結果的によかったのではなかろうか。なお、うちへ帰る前に立ち寄ったスーパーはレジ前が混雑しており、並ぶ僕の後ろで「ここ並んでるんですが」「えっ、俺も並んでるよ」というやりとりが少々交わされ、僕は列の作り方が悪かったかもなと内心ぎゅっとしていた。世の中はこんなふうにしてバランスが取れている。
ぽつねんと思うこととして、先の即位礼正殿の儀の会場は香り豊かだったのではないだろうか。儀に用いられた衣類も、それに色彩を与えた染料も、古い時代の伝統を踏襲して全て天然素材だという記事を読んだ記憶がある。それなら、布を染め上げた色から木や草の匂い、香辛料の香りも漂うかもしれない。儀は映像で覗った以上に、様々な香りがしていたのかもと思う。そもそも昔の生活空間のにおいってどんなだろ。祖父宅の縁側や座敷のそれだろうか。