2017年のオウムアムアに続いて、これから太陽系を通過するボリソフ彗星の記事を読んでいると、今どきの宇宙開発や天文観測は、かつてSFだった領域をたゆみなく浸食し拡張しているなあ、と思う。
そういった外からの来訪者は希で、たまたま観測技術が良くなったために見つかったのだろう、と思っていた。もしかすると、これまでは全く気づかなかっただけで、実は案外多くの訪問者が太陽系を訪れているのかもしれない、と思わせる発見なのである。
笹本祐一氏の『ブルー・プラネット』(ソノラマ文庫)という、木星軌道のラグランジュ点に送り込まれた探査衛星を巡るお話を引っ張り出したくなる。若干ネタバレになるけれど、この作品は系外惑星の直接観測というお話を通して、SFにふさわしい高揚感に包まれたエンディングを伴いつつ、人類が火星の次に目指すべきものを明確に教えてくれた。現実には、打ち上げ時期の度重なる延期と際限ない予算オーバーの果てにジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡がとうとう地上での組み立てを終え、2021年の打ち上げを予定しているとか。こちらは太陽から見て地球の後ろなL2でファーストスターを探すそう。重力波天文学やブラックホール撮影もよいスタートを切り出したことだし、いまの最先端を行く天文学ってもう、僕の知るSFを少しばかり越えつつある。
ていうか、現状の観測技術の枠内で都合よく検出できる位置にある系外惑星だけでも、既に四千個以上の惑星が見つかっているのだよね。先だって、大気に水蒸気を含むハビタブルゾーン内の系外惑星がニュースで取り沙汰されていた。長沼毅/井田茂『地球外生命体 われわれは孤独か』(岩波新書)の執念深い検証を読んだとき、地球の偶然や生命の掛け替えの無さは、宇宙ではありふれた出来事なのではないかなあ、ということを思った。
「生命って、そんなにひ弱な、発生するかしないかがダイスの出目で決まるようなものじゃないわ。気候が安定しない軌道の星なら、それに対応した生命体が発生する。月による潮の満ち引きがなければ、それに応じた発生体系をとる。環境が静止して安定しちゃった、エントロピー平衡の世の中でもない限り、必ず生命は発生するのよ」
「……それは、そっちの業界の最新の学説かい? それとも、スウの宗教かい?」
『ブルー・プラネット』
2000年に刊行された上記の作品でちらっと触れられていたエウロパ・ランダーは、こちらの世界ではエウロパ・クリッパーという名称で、2020年代の木星圏探査計画の旗手として織り込まれた。同様なプルートー・カイパー・エキスプレスは名称が二転三転してニュー・ホライズンズとなり、国家の威信をかけてみたらぶっちぎりで太陽系深部へ切込みを果たせましたみたいな、ちょっとよく分からないレベルの解像度で最果ての星の姿を送信してきている。きっと人類は技術としてはいまから二世代か三世代くらい先に、レーザー推進やなにかといった、先進的な技術を実用化して、太陽系近傍の有望な惑星を数十年掛けて目指すのだろう。僕は健康に生きながらえていれば、もしかしたらそういう科学の恩恵に浴せるかも知れない。