寒さの訪れとともに関心が内向的になってる気がする、というのは去年もそうだったような。あのときはとにかく体力を温存して厳しい気候をやり過ごしながら、精神的にはずいぶん参って、ただ春を待ちかねていた。そういうやつれの対策として、長湯の習慣を付けたことにずいぶん助けられたように思う。というか、辛かったはずの前の冬をこうして俯瞰しているときの自分の感情の中に、懐かしさのようなものがあるのはどういうわけだろう。いま余裕があるということなのか、辛いなりに注ぐ感情はあったということなのか。それともただの、季節への哀愁か。もっかの冬への対策としては、生活の各所に工夫を差し込む、というのが冴えないなりに有効そう。先ほど触れた、入浴剤とお風呂でラジオの組み合わせとか、そういうの。