2011年3月27日(日)

前の雑記で茨城の友達と連絡が取れないでいる事をちらりと書いた。先週の木曜にその友達と連絡が取れた事をここに書き留めておく。

Sさんその友達はSさんという。もう六十前後のお歳の方で、友達と書くと少し変に思われるかも知れないが、とにかく大切な人だ。去年の夏に自転車で茨城を旅行したとき海岸で出会って話し込み、そのまま一人暮しの彼の自宅に一晩泊めて戴いた。あのときは美味しい刺身とビールをたらふくご馳走になったなあ。気管支炎をこじらせながらの旅行で、夜中の三時ごろ僕の咳で二人が眠れずにいると、彼は嫌な顔もせず表へ連れて行ってくれた。家から1kmと離れていない海辺で男二人して夜明けが来るのを眺めていたっけ。随分と僕の体の調子を案じてくれた。

彼が暮らしているところはその茨城県高萩市の海辺からすぐそばにあり、あの近辺の港には4mを超える津波が押し寄せたと報道があった。あの夏の日に出会ったときSさんは、仕事が休みの日はよく海辺で過ごしているんだ、海が好きだからね、と語っていた。それを思い出して僕は心配だった。彼は鉄道職員で休みがいつなのか分からなかったし、自宅の電話番号は教えて貰っていたがそれをメモした手帖は部屋のごちゃごちゃのどこかだったからだ。そうこうしているうちに私事で日が経ってしまった。しばらくしてGoogleのGoogle Person Finder (消息情報): 2011 東日本大震災というサービスを見つけたので、それに覚えている限りのSさんの個人情報を入力した。そのすぐあとに手帖が見つかり、夕刻になって電話を掛けた。しばらくしてはっきりした声と繋がった。Sさんは無事だった。会社が混乱していてずっと自宅待機していたという。家の色んな物が痛んだけれども無事何もなく元気でいるよ、と言った。あれから海へ行きましたかと訊ねると行っていないと答えた。まだ危険だからという理由だったが、恐らく気持ちの整理など色々あるのだろう。近況を少し話し合い、落ち着いたらまたおいで、と彼は明るく言った。

海へ行ったことこれで僕の知りうる限りのつながりは全員、無事の確認が取れた事になった。嬉しい事だ。滋賀の友人にこちらの安否を知らせたとき、その人はこの状況下でむやみやたらに連絡する事が躊躇われて心配ばかりしていたと語った。遠方に知り合いのいる関東・東北の方は、まだであれば自分や周りの無事を伝えると良いのではないだろうか。人は互いに何かしら情報があると安心するものだ。それにこんなときは人と人との距離がぐっと縮まるものでもある。こういう事態でこそ誰彼の度量が試されるのだと思う。

そんなわけで、絶賛求職中な僕のコインがどこかで役に立つことを。

2011年3月21日(月)

今日は春分の日。明け方から小糠雨が降っている。

あの地震、東日本大震災や東北地方太平洋沖地震、East Japan Earthquakeなど様々に呼ばれているらしいが、あの3.11から疾うに十日が過ぎた。

Twitterで割かし呟いてしまったし、今、なにかを語るという気分にはあまりなれずにいる。未だに余震は続き、被災地で避難している方々は数十万のオーダーに及び、自宅から百キロやそこら先での原発事故という見えない脅威が暗雲のように立ち込めている。そんな状況の中で社会はいち早く現実へ立ち返り、ネットやテレビ、新聞などの各種メディアが日和見的な安心感を纏った煽りをまき散らし始めている。こんなときはしばらく情報から離れた方が良い。そう思ってこのサイトの配色を変える作業に取りかかった。昔弄っていた別のサイトで得た教訓──Webはスマートな構造であることが望ましい──のお陰で作業は数時間で終わってしまった。大して手の込んだことをやっているわけでもない。散らかりきった部屋の掃除は概ね済んでいるし、今降っている雨にはあまり濡れたくないし、こう揺れていては本を読む気も失せる。壊れた本棚の代わりが届くのはまだまだ先のことだ。なので、特段なんの宛もないのだが、とりあえず気を紛らわす為にお茶を淹れテキストエディタに向かっている。

猫は先ほどからこの部屋のセミハイベッドの上で丸くなって寝ている。あの日は家族が出掛けていたちょうどその時で、地震の第一波が過ぎ去った直後に、僕は火の付いていない煙草をくわえたまま家のどこかで寝ていたはずの猫を探した。僕の呼びかけに洗面台の下であお、あおと鳴いて返した猫をデジ一と一緒に抱え、ガス栓とブレーカーを妙に落ち着きながら落として家を飛び出し、全部で三つの大揺れが収まるまでずっと抱きしめていた。それからだろうか、猫は僕のそばにいることが少し増えたように思う。まあ、僕がいないときは家族にくっ付いているそうだから少し怯えているだけだろうけれども。

外飼いの犬はあのとき、地面が動くことは多少不審に思ったのかも知れないが、しゃがんで頭を撫でてやると尻尾を振りいつものように散歩を要求したので、安心すると共に少々呆れたことを記憶している。しかしすぐあとで自分の掘った穴に引き籠もってしまい、中々出たがろうとはしなかった。もとは野良犬だったから勘が良いだろうかと思っていたが、あいつは自身の第六感もどろんこも同じくらい信頼しているらしかった。家の基礎が剥き出しになるくらいでっかく深く掘った穴だ。たぶん、雨が止んだらしい今も、気が向いては自分が収まる穴を掘っているんだろうか。

あの金曜日の前日に頼んでおいたルピシアのお茶とAmazonのCDは、ちょうど一週間後に届いた。そのお茶を淹れて音楽を聴きながら今を過ごしている。僕が住んでいる家はヒビこそあちこちに入りはしたけれど、倒れるようなことはなかった。いつぞやのモニタの向こうには津波に押し潰された家屋がみっしりと映っていた。僕は自分や僕の家族、殆どの知り合いや友人が怪我も負わず無事だったことに感謝している。その一方で、なにか、なにか後ろめたいものを自分自身に感じずにはいられない。きっと無事にやり過ごした人びとはみな、同じ意識を心のどこかに隠し持っているはず。ネットの一部ではそれを自粛ムードとか何とか呼び出来るだけ敬遠している様子だ。きっとそれが良いのだろう。各々が各々の生活にいち早く戻ることがなによりの復興だからだ。だが、目に見えない幾つかの脅威から抜け出せる日は一体いつになるやら分からない。今こうして先のことを考えながら、のんびりと雑記を書けているのはささやかな幸運だ。

休題。ルピシアのオンラインショップで三千円以上買い物をすると、お茶のカタログと一年間ティーバッグのサンプルが届く。おまけにその買い物で三つ、お茶の試供品が数多くの種類の中から選べる。前回はさくらんぼの香りの日本茶、マンゴーの香りの烏龍茶、桃の紅茶を戴いた。前回というのはそのおまけの美味しさに釣られてフレーバードティーを先日買い足したからだ。有名どころの紅茶はだいたい戴いてみて、紅茶ってこういうものなのかと少し分かりかけてきたところへ毛色の違うお茶たちに出会ってしまい、味覚や嗅覚への欲望と好奇心がむくむくと頭をもたげてきている。色を連想させるお茶や季節を感じさせるお茶、寝起きの朝に飲みたいものやおやすみの前に飲みたいものなど様々に感じられることがあり、自分好みな淹れ方のコツもだんだんに分かるようになってきていて、いつか誰かに淹れてみたいなどと思う。

雨露に濡れたクロッカスこれを書いている途中に昼食を挟んで家族とテレビを眺めていたところ、九日ぶりに救助されたという少年とその祖母の報道が目に入った。僕の心は次第にすれて醒めてきている。放送する方は感動的なドキュメンタリに仕立て上げようと躍起になってるんだろうな、などと考えていた。娯楽の箱の前でお腹いっぱい食べておいて自分の良心が虚しい。

書くこと自体は僕自身の精神の健康なのだが、あまり考えすぎるというのは今は止めた方が良さそうだ。幸い食欲は満たされた。ガソリンなどの燃料は明日から流通の見込みが立ったし、原付にもまだ半分以上入っている。ひとり、茨城県高萩市の友達を除いて、遠方の友人知人らとも安否の確認は取れた。あとは出来るだけ暖かくしてぬいぐるみを愛でているとしよう。初日の夜もでっかいきつねを抱いていたお陰で割合眠れたし、彼ら彼女らとは実に長い付き合いだ。何もかもが不確かで乏しいこの状況、ひとまずぬい達の肌触りの良さは信頼に値する。

春雷らしい。クロッカスが咲くのももうじきだ。

2011年3月1日(火)

紅茶ネタで更新しようと思っているうちに月が変わってしまった。やれやれ。

リーフルのダージリン数ヶ月前から珈琲よりも紅茶を飲むようになったことをここでちらほら書いた記憶があるのだが、ここ一週間かそこらで本当に紅茶は美味しいかも知れないと思い始めた。今、隣の棚には紅茶葉の缶が既に五つもある。マスカテルだのウバだの何たら農園だのファーストフラッシュだのオータムナルだのBOPだのFTGFOPだの、にわかにはまだよく理解し切れていない表記がずらっと並んでいる。

こうなり始めた切っ掛けは二つある。一つはシルバーポットというネットのお店で安くチャイを仕入れようと思ったときに、ついでだからちょこっとだけ他の茶葉も買ってみようと思ったこと。もう一つは僕がごく個人的に応援している絵描きさん(サイトはこちら、所謂ケモノ絵メインなので苦手な人は注意)が久しぶりにpixivではなく自サイトを更新されて、そこのコンテンツに紅茶に関する紹介を載せていらしたこと。この二つだ。

ちょっと話がずれるが、初めシルバーポットから届いたマサラチャイには、胡椒とスターアニス・バニラが入っていなかった。そこでそこいらの店で買ってきた黒胡椒の実とその粗挽き・ハーブティーのペパーミントを適度に袋で混ぜて淹れてみたところ、中々美味しいじゃないかという結果になった。あとはアニスとバニラビーンズだが、これはブレンドする量としては少々お高いのではないかと思って躊躇している。まあ一缶50gやそこらで二千円する茶葉を幾つか大した躊躇いもなく買ってしまったのだから、どうとでもなってしまえとも思う。

話を戻す。シルバーポットで試しに購入したダージリンが気に入った、までは良かった。上記の紅茶のコンテンツを読み進めるうちに「もっと美味しい紅茶があるのだろうか」と考え始めてしまったのである。どうやらダージリンには季節ごとの違いや栽培農園の違いなど色々あるらしい。欲望に忠実であれ、という脳内のささやきのままに、気がつけば幾つかの紅茶葉を専門に扱っているお店、シルバーポットや紅茶舗 葉々屋リーフルダージリンハウスオンラインルピシアからパッケージやら缶やらが届いていた、という次第である。

以下、それぞれの紅茶を淹れ比べてみた感想。僕は紅茶に関してはにわかの素人なのであまり詳細なことは書きたくないのだが、これから先、もっと紅茶に詳しくなって舌も肥えてきて、本当に紅茶が好きなのだと言えるようになった時、そんな過去もあったなと振り返る為のメモとして書き記しておく。……余計なことだが、下手に知恵が付いたので覚えるために。以下に記す(S)FTGFOPというのはオレンジペコー(OP)のランクのこと。FTGFOPと書かれているのはオレンジペコーの分類の中でも「ファイン」で「ティーピー」で「ゴールデン・フラワリー」、要するに良いトコだけを選りすぐった葉っぱ、のこと。

条件は各茶葉ともスプーン大盛り二杯(7~8gほど)、お湯は近所の地下水脈から汲み上げられている水道水を沸かしたもの約350cc、抽出時間は5~6分。時間を計るのには3分と5分の砂時計を使った。一度淹れてみてからさらにもう一度自分に合っていそうな条件に微調整をしている。ダージリンの春・夏・秋摘み・ウバと順番に味わってみた感想。

  • ダージリン 2010年 1stフラッシュ プッタボン茶園 SFTGFOP1 DJ-14 ClonalQueen
    • なんだか紅茶らしくない……。水色(すいしき)は萌葱と褐色を混ぜ薄めたような感じ。茶葉はうぶ毛がたくさん生えていて、出し殻は鮮やかな若草色。全体的に「青い」なあ、と感じた。詩的なのは結構だが他に表現が見つからないのだから仕方がない。後述する茶葉と比べて渋みはあまり感じなかった。
  • ダージリン 2010年 2ndフラッシュ セリンボン茶園 FTGFOP1 FieryMuscatel
  • ダージリン 2010年 2ndフラッシュ オカイティ農園 FTGFOP1 DJ-94 MuscatelDelight
    • 農園の違いは今の時点では分からなかったが、他のシーズンと比べると明らかに、これは自分のイメージする紅茶らしさだ、という味がした。甘い香り、これはマスカテルフレーバーと言うのか。言われてみれば果物の香りに似ているかも。お茶の渋みがしっかりあり、他のものより爽やかで香ばしい印象。好みかも知れない。水色は何というか、紅茶色そのもの。
  • ダージリン 2010年 オータムナル キャッスルトン農園 FTGFOP1 DJ-375 SpecialChina
  • ダージリン 2010年 オータムナル ナムリン農園(Upper) FTGFOP1 EX-581
    • 春摘みと夏摘みの違いは割合明確だったが、夏摘み(2ndフラッシュ)と秋摘み(オータムナル、ダージリン地方での雪が降る少し前)の差はそこまでではない感じ。渋みは夏摘みよりは穏やかで、全体的にまろやかだと思う。秋という呼称に印象を惑わされている部分はあるかも知れない。構えて味わうより、気張らずのんびり飲みたい雰囲気。
  • ウバ 2010年 8月摘み ウヴァハイランズ農園 BOP VintageUva
    • これは初め、蒸らす時間を間違った。BOP(Broken Orange Pekoe)という品で茶葉が細かく、添付の淹れ方説明に三分ほどとあるのを上記のダージリンと同じ要領で倍の時間蒸らしてしまった。あれは少々苦過ぎたな。淹れ直してもう一度ポットの湯気から香りを嗅いでみると、花のような、上品な香水のような甘い匂いがした。本当。あまり嗅覚の良くない(五感がおしなべて良くない)僕がそう感じたのだから、普通の人ならとても香り高いと感じるはず。果物の匂いとはまた違う甘さ。渋みは一回目の抽出より確実に和らいでいたはず(二回目は三分ちょうど)だが、それでもダージリンの2ndフラッシュやオータムナル(このときは六分だった)くらいはあった。美味しいと感じるにはある程度慣れが必要かも。蒸らす時間をもっと短くして香りをメインで楽しむように淹れると良いのだろうか。

……と、それぞれの紅茶の第一印象はこのようになった。決して気取るつもりでは無いことを、これを読む人がいたら了解して頂きたく思う。それと用語を調べている途中で、他者の主観の混じった感想に僕自身の感じた印象がどの程度影響されているか、その辺はきっと分からない。それでも自分で香りや味わいを楽しむぶんには構わないと思う。珈琲を飲まなくなって代わりに紅茶を入れるようになり数ヶ月経つが、何となくコーヒーメーカーで淹れていたのとは変わって、より美味しい紅茶を淹れる過程での試行錯誤が結構楽しい。上で挙げた絵描きさんのコンテンツに「紅茶のしぶみを楽しむにはある程度の慣れが必要で」「大人になると舌も変わる」「当初は苦いだけだったが戴くうちに楽しみ方が分かってきて」という旨のことが書いてあった。好きこそものの何とやら、ということだろう。僕は現在、紅茶もどうやら好きになりそうでいる。

そして、休題。

僕は以前去年の冬に、あるお気に入りの音楽を静止動画に編集してYouTubeへ投稿した。そして今年になりポケデジSQ30mを手に入れ、たまにその動画撮影機能を利用するようになった。そういうわけでこれはそのお気に入りを出しにした、今後YouTubeに上げるかも知れない動画を貼るための練習。良かったら聴いてみて欲しい。僕はこの音楽を珈琲や紅茶と同じ嗜好品として聴いている。たまに聴く事でより、実に味わい深い曲だなあと感じるのだ。音楽は人並みには聴いてきたつもりで、この「bayaka – Amanece(2003 ode music production remix)」は今の時点で僕の中での評価は一番か二番目のもの。これから先、より佳い曲に出会っても、この音楽の輝きが衰えることはきっと無いに違いない。

bayaka – Amanece(2003 ode music production remix)