2011年5月27日(金)

緑先週だったか少し前、大田原市街地の社寺巡りをしていて、ちょっと妙な目にあった。

一つは曰くのある神社へちょっかいを出した直後の帰りに、原付の鍵をシート下へ閉じ込めてしまったことに気がつき難儀したこと。もう一つは稲荷神社でおにぎりを食べていてきつね雨に降られたこと。ま、こじつけのような気もするが、後から考えると面白かったので、からかわれたんだろうと思っておこう。

社寺巡りなんて書いたが実は地名探りである。紫塚という地名にまつわる悲しい民話を聞いたことがきっかけ。えーと……

紫塚

昔々、大田原のまちを治める殿様がいたころのお話。お城に紫という名の美しい女中がいた。紫には婚約を交わした浪人がいたが、殿様は紫に惚れ、側室になれと迫る。紫は殿様の使いが来る度にそれを拒絶した。とうとう嫉妬に駆られた殿様は婚約者の浪人を打ち首にしてしまう。それでも紫は気持ちを変えなかったので、今度は彼女までも城の近くへ生き埋めにしてしまった。いつしか誰ともなしに、その辺りは「紫塚」と呼ばれるようになったという。

明治時代に入って。土地のものがその一帯を拓こうとすると、その度に青大将が現れたそう。そしてそれが現れると必ず近くの者が病に苦しめられた。人々は青大将を、紫の婚約者である浪人が彼女を想って生まれ変わり、塚のあった土地を守っているものと考えた。そこで小さな神社を建て、祀ったということだ。

神社の名前は出さないが、地図サービスで調べると出てくるので興味のある方はどうぞ。質素というか簡素というか、とにかくちっちゃな神社だった。

きつね雨きつね雨に降られたのは住宅地の奥、三吉稲荷という稲荷の境内でだった。詳しいことは分からなかったが、この稲荷神社は近所のとある会社の中の人が、商売繁盛とそのついでにしだれ桜の大木(三吉滝桜)をまつって、おまけに隣接する道祖神も巻き込む形で建てたものらしい。昭和五十二年三月吉日建之とのことで結構立派なものだった。

市街の社寺を回っていて気がついたこと。どれもこれも水場の隣にある。具体的に言うと水路とか川だ。風水か何かなのだろうか。この辺は城下町、宿場町だったからなあ。別段水場が近くにあっても驚きはしないのだが、少し気になる。

昨日の話。かねてから埼玉県春日部市のアズミノ工業さんへ修理に出していたポラロイドカメラSX-70初期モデルがニコイチになって戻ってきた。アズミノ工業さんでニコイチにして戴いたポラロイドカメラSX-70分かり易く言うと、海水に浸けて壊したもの、地震の時壊れてしまったもの二つのポラが手元にあって、日ポラのカスタマセンターへ修理依頼を出したところ、アズミノ工業さんへ送って欲しいと言われた次第。「二つのポラの壊れてないところをそれぞれくっつけて一つに直して下さい」……とまあ、何とも無茶な相談だったが、全くその通りになって帰ってきたのだから、アズミノ工業さんの錬金術には感心するばかり。以前にも一度あちらへポラロイドカメラの修理依頼をしたことがあり、とても好感の持てる対応をして戴いた。

画像に写っている二つのポラのうち、左は完動品、袋に入っているカメラは外のガワだけ。「残しますか?」と訊かれはいとお願いしたのだ。色々と思いを察して戴いた、良い修理だった。一万六千円とお金は掛かったが。ついでだし、SX-70 FOREVER辺りでカラーフィルムパックを買ってみようかな。

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