2010年10月23日(土)

朝早くから家族で出掛けた。行き先は茨城・国営ひたち海浜公園。コキア(ほうき草)の紅葉が見頃だというので行ってみる事に。大田原市湯津上から那珂川町などを抜けてひたちなか市へ。

常陸大宮市を抜ける途中で物産センターみわ・ふるさと館「北斗星」という、道の駅を兼ねている所へ立ち寄った。その名の通り近隣の作物の直売などを大いに行っている。来たのは十時ちょいごろだったか、かなりの人出と賑わいだった。道の駅みわ 近場で採れたきのこたち今はきのこの季節であり、軒先には採れたてのきのこが並んでいた。真っ赤な色合いで目を引くタマゴタケやぶっといマツタケなども並んでいる。クリタケだったかなんだかが一房、と言っても軽く一キロ以上ありそうな大房なのだが、3600円で売っていた。母が帰り道にまた立ち寄って無花果を買っていこうと言い、暫しの休憩ののち車に乗った。

揺られる事一時間ほど、東海村に差し掛かったところで緩やかな渋滞に捕まった。今日は実に良く晴れた行楽日和で、多分その為の渋滞なのだろう。原子力センターだかなんだかの敷地の柵が二重の鉄条網で囲われていた。

十時半ごろ到着。ひたち海浜公園の西口から入ると、渋滞対策のためか駐車料金の後払い用紙が配られていた。入園料は大人ひとり400円、小人80円。公園に入ってコキアの植えられている「みはらしの丘」へ向かいながら、人出に押し出されるように脇道の林へ。中の軽食屋でとりあえずコーヒーを飲む。傍らでわい性のちっちゃなシクラメンが咲き、クリスマスローズが青々と茂っていた。茨城県の特産品、お芋を使ったタルトが美味しい。

一息入れてまた歩くとみはらしの丘へすぐたどり着いた。が、コキアの紅葉目当ての人連れが多すぎて人間も渋滞している。人混みをかき分けて目の前に開けたのがもこもこしたコキアの埋め尽くす丘陵地だった。コキアの丘上記のWebサイトでは21日付けで紅葉が真っ盛りとの事だったが、本当に真っ赤っかだ。すれ違う人がみな携帯やカメラを持ち、草を撫でてまりもみたいと呟いている。僕自身は海ぶどうみたいとか呟きながらカメラとコキアの海へ飛び込んでいった。

みはらしの丘の頂上にはこれまた「みはらしの鐘」というのが突っ立っていて、訪れる人が皆それを揺するので始終がんがん音が響いていた。周りは三脚とバズーカみたいなどでかい一眼レフカメラを持った人ばかり、僕はポートレート向けの小振りな18ー55mmズームとぺったんこな15mm広角レンズを首にぶら下げているのみ。なんだか所在なげな気分になり、意識して気持ちを紅葉に向けた。多少のばらつきはあったが一面が赤紫に染まっていて、実に見事な風景だ。昨日の関東地方の天気予報では直近の明日23日が最も良く晴れるでしょう的な事を言っていて、これは日曜日よりも土曜日の方が混むなあと思っていたのだが、その通りだった。丘の向う側からはひたちなかの海が見下ろせた。左手にコンビナート、右手に岬、手前に防波堤、その先に水平線。コキアの赤とコスモスのグラデーション、セイタカアワダチソウの黄色が帯を作っていた。水平線へ。人混みの間を縫って海をぱちり。

海の見える丘を去るのは惜しかったが、お腹も空いていたので出店のある広場へ降りて行く。ウナギの蒲焼きが煙で人をおびき寄せて、何十人という行列を作っていた。日差しは飽くまで強く、木陰に座ってみたらしだんごをもそもそ食べたのち、ぶらぶらと園内を散策。手際よくビニールシートを貼って談笑している家族連れなどは近場から来たのだろうか。ぷお~っと気の抜けたサイレンを鳴らしながら汽車という名のトラックが通り抜けて行く。そのうち高くて目立つ観覧車が目に入ったので、それを目指してみる。

海抜百メートルという観覧車は「プリンセスフラワー」とか言うのだそうだ。乗車券もお高い。まあそれは良いとして母と乗ってみた。車内のスピーカーから流れる海猫と潮騒の音がわざとらしいが、気分も乗ってしまえば中々良い感じだ。「大」観覧車と言うだけあって上からの展望も良い。何より海と水平線がぐるりとみえるのだ。さっきのコキアの丘よりも目の位置が高い。内心はしゃいでいるうちに12分間の遊覧は終わった。

お土産屋で母の好物であるうまい棒納豆味を買い、常陸那珂有料道路を跨ぎてくてくと外周を巡っていく。西口ゲートの手前に公園事務所、兼屋上エコガーデンと言うのがあった。僕は個人的に常々屋上というものに興味を持っているので、迷うことなくその屋上庭へ向かった。が、見てみると、公園事務所の上にあるのに植木の水やりすらテキトーな感がする。枯れているものもあった。屋上を出しに使ってゆるせん。

それでもまあ案内板のマルチングとか軽量土壌とか色々の緑化のための用語を眺めて西口ゲートへ向かった。即席の虹と、脇を通っていった子供たちが正面の噴水を指さしてなにやら騒いでいる。よく見てみると、噴水の霧が立ちこめたところに日が差して虹が出来ているのだった。写真では見づらいがきちんと七色映っているのだ。少し感心してしまった。

道の駅みわの食事渋滞を避けるため午後の日が高いうちに撤退したが、再び道の駅みわへ着く頃には(山間部なので)日は落ちぼんやり薄暗くなっていた。無花果はまだ売れ残ってあったのでそれやらラッキョウの根やらを買い込む。ピーマンが大袋で一つ100円。遅いおやつ代わりに、子持鮎の塩焼きと柚味噌こんにゃくを買って食した。季節ものの子持鮎が特に美味しくてしっぽから頭まで丸ごと食べてしまった。

本日は海辺の紅葉を眺め虹を見、夕餉に鮎を食らったわけで、まさに満ち足りた気分で「imaginary inquiry : bayaka – Amanece – 2003 ode music production remix」を聞きながら夕暮れの帰途についたのだった。

2010年10月22日(金)

原付に乗って大田原市ふれあいの丘シャトー・エスポワールへ行ってきた。

ふれあいの丘というのは、僕の住んでいるこの市の公共宿泊を兼ねた多目的施設だ。僕が小学生の頃は毎年、学年ごとに研修だか何だかと称して泊まりに行っていた記憶がある。二、三年前に天文台とプラネタリウムが出来たのを思い出したので、興味半分、原付の運転練習がてら行ってみる事にした。

途中で道の駅那須与一の郷│栃木県大田原市に立ち寄った。この道の駅の事は後々またこの雑記に書くとして、とりあえず休憩。売店でコーヒーフロートを買った。ちょっと涼しい。コーヒーフロートとちびコウ「竹のギャラリー」と言う施設の一角で著名らしい方の工芸品を見学してから出発。

ふらふらと原付を飛ばし20分ほどで到着。時はもうじきお昼だったので、コンビニで買ったおにぎりを原っぱのよく分からないモニュメントに背もたれながら食べた。ふれあいの丘天文館というらしい施設は写真の建物の裏手にある。ごろりと横になって一休みしてから行ってみたところ、プラネタリウムは午後一時半からのスケジュールだという。一時間ほど暇が出来たわけで、そのあいだ天文館の隣の自然監察館へ寄ってみた。

一年前にここへ来たときは「世界77カ国チョウ展」と言うのをやっていたが、今回は「世界のクワガタムシとカブトムシ」の展示をやっていた。タイトル通りの事や様々なクワガタ・カブトの飼育法、標本集の展示だ。特に飼育法などは、名前は忘れてしまったが、市販のえのきたけの栽培瓶のようなものに幼虫を入れて育てるなど、真新しいものが幾つかあった。しかしどのクワガタやらカブトも生きているのかいないのか、飼育かごをこつこつ叩いたら動いていたからまあ生きてはいるんだろうけれど。季節を外した今は活気がないのだろう。標本それよりも約2000点という昆虫標本の展示が目に入った。多くが国内で採集されたもので、チョウやハチ、タマムシなどと幅広い。小一時間ほど見学して楽しめた。

天文館の入場料は一人300円。ここには県内屈指の反射望遠鏡があるというので、まずそちらの案内を受けた。ドームへ上がって二階でまず目に入ったのは65cm反射望遠鏡(フォーク式赤道儀)というでっかい望遠鏡だ。65cm反射望遠鏡壁にはこの望遠鏡で捉えた天体、惑星だとか星雲だとかが幾枚も貼られていて、折角なので色々と質問をしたりした。十年ほど前からの主流はパソコン制御による天体の補足追尾だそうで、ここの反射望遠鏡もある一流メーカーの品らしい。面白いのはこの望遠鏡が二人同時に観望出来る(デュアルワンダーアイ)という事で、人待ちが多くてもスムーズに見られる方法なのだそうだ。ドーム二階の表には屋外観測場があり、そこに10cm屈折望遠鏡(太陽望遠鏡)が設置されていた。あいにく本日は薄曇りで太陽は見られなかったが、接眼鏡から雲が流れていく様子は見られた。夜の観察会ではこの観測場に15cm屈折望遠鏡(ドイツ式望遠鏡)が二台設置されるらしい。

一通り質問をしたり案内を受けて、プラネタリウムを見る事に。平面の壁に投影するスクリーン型プラネタリウムというもので、僕が見たのは秋の星座のお話だった。ギリシャ神話の物語を中心に、ペガスス座がなぜ上半身だけなのかだとか山羊座やアンドロメダ座やらやらの由来だとか、ミラやアルゴルという変光星の話など、結構内容の充実した時間を過ごした。昼間だったので、見学者は僕一人きりの貸し切り状態。おかげでゆとりを持って見学出来た気がする。

しかし初めての距離を原付で運転してみて疲れた。天文館・自然監察館は上のふれあいの丘へのリンクから辿れるので、興味のある方はどうぞ。

2010年10月18日(月)

しばらく散歩を休んでしまったので方角を変えて出掛けてみた。割と近所の羽田(はんだ)沼へ向かう。

公民館の広場で老人連中がゲートボールと座談会らしきものを広げていた。道すがら缶コーヒーを買って店のあるじのおはさんに挨拶。アメジストセージの見事な花壇があった。

坂を登ると「この先750mに羽田沼」とある。道の脇のウド畑から、甘くて青臭いニオイが漂ってきた。昔、子供の頃は、このウドの実に細長い松などの葉っぱを引っかけはじき飛ばして遊んだものだった、と思い出す。畑の中からは雀の騒々しい鳴き声が聞こえてきた。大群が藪の中に潜んでいるらしい。と思うまもなく、遠方から害鳥退除のための「どーん」という発砲音が鳴り渡った。

大したことが起こるでもなく羽田沼へ到着。小さいながらも休憩所、トイレ、駐車場が整備されている。ベンチの一角に腰かけて、買ってきた缶コーヒーをちびちび飲む。ベンチから柵を一つ向こうにマガモがわらわらいて、おっさんが一人、カモだか鯉だかに餌をやっていた。マガモの群れ 羽田沼

この羽田沼は栃木県内で唯一のハクチョウの飛来地だ。昔、と言っても二十年近く前には、市の反対側の琵琶池(びわいけ)にもハクチョウが飛来していた。僕が羽田小学校に来た頃にはもう琵琶池になんかハクチョウは全くと言っていいほど来なくなって、代わりに毎冬の羽田沼のハクチョウの数を競うようになっていた記憶がある。僕が小学六年の冬には最大およそ300羽だった。白鳥(はくちょう)情報-栃木県大田原市にある白鳥の沼(羽田沼)の紹介 : プランニングオフィスワンによると近年では毎冬千数百羽が飛来するらしい。すぐそばの農家の方々や小学校の生徒が連携を取って餌付けを行ってきた成果だろう。が、目の前の看板には「水鳥にエサを与えないで下さい~」とある。読めば、水質の悪化によって池とその下流の生物相の減少が目立っているという。この羽田沼の下手にはミヤコタナゴが住んでいる用水路がある。ミヤコタナゴはこの辺りでは別名オシャレブナ、オシャラクブナとも呼び、栃木県では確か市内の数カ所にのみひっそりと生息していて、国の天然記念物にも指定されている。この羽田沼のミヤコタナゴは一時消滅の憂き目を見そうになったが、小学校内での飼育と近隣農家の理解などによって今も生きながらえている、らしい。僕は実際に用水路で捕まえたことは無く、学校の事務室の水槽で泳いでいるのを見た事があるだけだ。

話がタナゴに逸れてしまったが、十年前に比べてハクチョウの飛来数は数倍に増えたわけで、水質の悪化は当選の帰結だろう。ブルーギルやブラックバスの無責任な放流が一時期騒がれていたが(今もか)、この沼にもその手が伸びていて、それらの餌食としてミヤコタナゴが池から姿を消してしまった。上で下手の用水路に、と書いたのはその為だ。水が多少汚くとも、相が貧弱であれ、ブルーギルやブラックバスなどは強く繁殖出来る。ハクチョウがいない季節にはそれらを駆除するために網を張って対処したりもしていた。今現在は過去のそれほど過敏に周囲が反応することはなくなったらしい。池の水質改善とハクチョウ飛来数の維持がこれからの課題のようだ。

当然ながら今はまだハクチョウは一羽もいなかった。底冷えのする秋の終わりごろにぽつぽつとやってくるはずで、その時期になると駐車場脇にここ数年から、一件の出店が立つようになった。寒い中で喜ばれるのだろう、たい焼きとたこ焼きが売れる。ゴミ捨てかごを設置していないのでごみは持ち帰りになるわけだが、それでものんびりするぶんにはありがたい。そういえば、市の中央を流れる蛇尾川・蛇尾橋の脇にもだいぶ古くからこぢんまりしたたい焼き屋がある。秋冬のみ営業しているのだが、先日通りかかったときにはもう開店していた。このたい焼き屋では小倉あんとクリームがそれぞれ110円で売っている。以前寄りかかったときには写真撮影お断りですと言われ、ちょっとがっかりしながら小倉あんを近くの高台で食べた記憶がある。このたい焼き屋はこの市の冬の風物詩でもあり、ネット上のコミュニティでも時々話題に上る。必ず待ち人が行列を作って並んでいるので、場所は通りかかればすぐ分かる。

また話が逸れたが、とりあえず池の脇のベンチで一休みし、間近でマガモを眺めてみた。餌が貰えないと分かると向こうは興味を失ったのか、ガアガア言いながら離れて行ってしまった。そこへ近くにいたおっさんが穀類をばらまく。この場合、「エサを与えないで」にどう当てはめればいいのか分からないが、とにかく集まってくるカモの数はすごい。一瞬で50羽ほどが集まり貪っていた。

ポケットに空き缶を入れ再び出発。やはりというか慣れると歩きやすい。途中で何かの木の実がぎっしりと生っているところを見つけた。木の実この木の実も餌を求めるマガモによって、枝の下の方に実が少ししか付いていなかった。

家に帰ってきてから、テーブルの上のコルチカムに花が咲いているのを写真に撮った。コルチカムは日の当たり具合で花の色が決まるらしく、庭の外のそれは薄紫をしていたのに部屋の中のは真っ白だった。あとから植え替えてやったが、もう花の時期を過ぎているようでしおれていた。コルチカム

最近睡眠の浅い日が続いているが今日はよく眠れそうだ。今、ココアにベイリーズを垂らしたものを少し飲んでいる。そんなカクテルあるのか知らないが、美味しい。

2010年10月11日(月)

家族でりんご狩りに行ってきた。市をまたいで三十分程度、長井りんご団地と呼ばれる地域へ。

今日は朝早くから自宅の庭掃除をしたりと慌ただしかった為、途中のコンビニで朝食を買い、市の西を流れる箒川の河川敷で一時休憩。河川敷の両端はススキとセイタカアワダチソウでいっぱいだった。看板が立っていて、ここから上流16.9kmに塩原ダムがあり……とある。僕らが目指しているのは寺山ダムの方向だったのでさして気にもとめなかったが、その看板の脇に小川が流れていてうぐいだか何だか魚が数多く泳いでいるのを見つけた。確かこの近くにはオオタカの保護区があったんじゃなかったかな。

長井りんご団地の一帯の各農家ではりんご栽培を柱とした兼業農家をやっていて、一本の道を入るとそこかしこにりんごの直売所がある。直売というからには朝摘みが喜ばれるのだろう、早朝でも辺りにはひとけが多く、彼方此方の売店に家族連れが集まっていた。販売のおばちゃん達も忙しなく試食用のりんごをむいている。

しばし迷ったのち、僕らは加藤農園というりんご狩りとその直売を行っている売店へ入った。りんごジュースやら何やらと一緒に今年の新米が売っていて30kg7500円。りんご狩りをしたい旨を伝えると、まず現在狩れるりんご三種類の品種を味見して、それから、という流れになった。紅玉、秋映、ジョナゴールドの三つが今の時期に狩れる品種だという。王林は酷暑の影響で二週間ほど先にならないと、らしい。んで、味の方。紅玉は身が締まっていて酸味も強い。僕好みだ。秋映は口当たりがよい。さっぱりしている。ジョナゴールドは先の二つを足して割った感じで、身が程よく柔らかい。結局紅玉を狩ることとなった。

りんご1 りんご2 りんご3りんご園の木は太くてごつごつしていた。紅玉は園の奥にあるという。行ってみるとしたたるような赤いりんごがたわわに実っていた。下の枝の方はすでに狩られていたらしく良さげな実が残っていなかったので、脚立を使って上の枝を探ることに。手のひら一杯の大きな赤いりんごをもぎ取った。数えること、十個。写真を撮ったりしながら園内をぶらついて、直売所のカウンターでお会計、1500円だった。端数はおまけ。

売店の駐車場の脇には濃い色をしたコスモスが茂っていた。風が吹いていて上手く写真に収められなかったが、ビビッドなピンクとチョコレート色をしたコスモスがりんごと山々を背景にして花盛りだ。隣ののぼりに「クール宅急便 りんご便」とあって、こんな需要もあるのか、そうだよな、遠方から来る観光客もいるんだな、とそんな事を思った。

次に向かったところは栃木県民の森方面。こちらには寺山ダムと、その支流につながる尚仁沢(しょうじんざわ)がある。尚仁沢の上流には尚仁沢湧水があり、これは名水百選の水源地の一つに数えられている。高地の冷涼な風を突っ切り曲がった道を上って行く。途中の道のりでツクツクボウシが季節を間違えたように鳴いていた。15分ほどで下流の駐車場に到着。小さな駐車場だが車で満席だ。案内板には、ここから遊歩道を1500米登ると湧水に至る、とある。高原山の山麓590mに位置し、山岳仏教の盛んな奈良時代には修験者はここの水で身を清めたことから精進転じて尚仁となったという。

僕ら一行は沢の下流から来たが、母によれば十何年前に来たときには上流から下ってすぐの位置に湧水があるルートもあったはずだとか。来てしまったものは仕方がないし、体を動かせとも言うので、1.5kmの山道を登っていくこととなった。途中までの道のりは舗装されていたが、手前にあるあずま屋を通り過ぎると、途端に岩と木の急な斜面が広がっている。しばらくして汗がにじんだ。よくもまあ昔の修験者達はこんなところに道を作ったものだ。思い切り大股でむき出しの階段を上り下りしてぜえぜえと息を吐く。途中で何人かとすれ違って挨拶。降りてくる方は息が軽い。湧水はどこまで行けばあるんだろうなあと思っていると看板に500m先、湧水、とあった。スクウェア 締め付ける蔓ともすると下ばかり見て歩きがちだが、木の根がスクウェアに交差している所を見つけてぱちり。そのとなりでは太い藤蔓か何かが木をぎゅうぎゅうに締め付けていた。

下りの夫婦連れに後どれくらいかと尋ねると5分程度だという。登り道ではそれ以上に感じたけれども、しばらくして親子連れやカップル達が散らばって一休みしている場所に出た。どこに湧水があるのだろうと辺りを見まわすと、あった。尚仁沢湧水岩の隙間からぼこぼこ水が湧き出している。一息ついて清水を手に掬い、ごくりごくりと飲む。うまい。汗をかいたのが良かったのか周囲の冷涼な空気と光がそうさせるのか、ひんやりとして爽やかな感じのする水だ。手頃な木の根を見つけて腰かけ、目の前に立っている看板を眺めた。……日量6万5千立方メートルを噴出し、四季を通じ湧水量は一定で水温は年平均11度と変化なく……昭和六十年七月二十二日環境庁より全国名水百選の一つとして選定された……とのこと。名前が変わる前の環境庁とあるとおり、看板には苔と落ち葉が積もっており、脇に朽ち果てたテーブルが一つ転がって、そこにいろんなきのこが地味に主張するように生えていた。

辺りはまだ緑濃く一面に苔むしている。座ってのんびりしていると溶け込んでしまいそうな空気だ。ときおり眩しく日差しが差し込み生き返るような気持ちがした。しかし座り込んだままでいるわけにもいかない。しばし休憩を取ったのち下山することにした。

下りは足も軽い。先ほどすれ違った夫婦連れがあと少しと言っていたがその通りだ。行きは40分ほどだったか、下りは30分と経たずに歩くことが出来た。半ばで沢が三方から集まって集合しているところがあり、緑と白の調和した様子が目に良く映えた。

ふもとの駐車場に着いて、熊出没注意と看板が立っているのを見つけた。確かにこの辺りは広葉樹も割合多く、以前近隣の八方ヶ原で角の生えていない鹿を見た事やその仲間のふんを見掛けたこともある。秋口には熊も出るかも知れない。休憩を入れてから山を下りた。もう一度来るときには真っ赤に色づいていることだろう。ネット上の書き込みで茶臼岳の頂上は紅葉が始まっている、と言うのを見掛けたが、高原山や八方ヶ原はあとどれくらいだろう。

昼下がりの帰り足、塩谷町から各方面に出でる交差点で、宇都宮方面の道路が延々と渋滞しているのを見掛けた。三連休最後の日だからなあ。これからの紅葉シーズンはもっと混むだろう。一応は首都圏から日帰りで秋を楽しめる距離だしね。日光や那須に比べれば今いちマイナーではあるけれど、塩谷や八方も近年訪れる人が増えた。これからも身近にお山と親しめる地元であって欲しい。

2010年10月6日(水)

煙草の量は減ったのだが、イマイチ止められないので、医師から禁煙用の薬をもらった。

チャンピックスという煙草のニコチンがまずくなる薬なのだそうだ。もらうまでの各種診断測定やサイン書きにずいぶん時間を費やした。0.5mg錠を三日、0.5mg×2回を四日、1mg×二回を7日と、結構細かい処方になっている。飲み始めの七日間は煙草を吸っても良いよとのことで、昨日から薬を飲み始めているが、確かに煙草がまずい。わざわざ煙草をまずくするのは妙な感じだけどこれは吸う気が起こらなくなる。三ヶ月で禁煙が完了とのことなので、それまで頑張ってみるか。

朝夕の冷え込みが激しくなってきたので毛布を取り出すことにした。半年近くクローゼットの中に置いていたので、近所のコインランドリーで洗濯と乾燥機にかけることにし、合わせて一時間弱でおしまい。ふかふかだ。今晩は冷えなかったので、明日からお布団に入れよう。

ぬいぐるみもお洗濯にかけたいが、形が崩れるからやれずにいる。重曹水で拭くのが良いと聞いたことがある。そのうち試してみようかな。

2010年10月3日(日)

運動せねばと思い立ち、昨日買ってきた万歩計を持って散歩に出掛けた。手頃な距離の所に神社があるのでそこを目指し出発。

普段全く運動らしい運動をしていないので、歩き始めること十数分でヘタる。息切れはしていないのにふくらはぎの辺りがぱんぱんになり、神社に着くまでに計四回ほど休憩を入れる事となった。そういえば八月の半ばに自転車で海へ行ったが、あの時はふくらはぎより太ももの辺りの筋肉が腫れたなあと思い出し、ひとくちに足腰を鍛えるといっても色々あるらしいことを実感。

田畑の稲は見たところちょうど今頃が刈り時らしく、割合で言うと半分ほどの田んぼが刈り取りを終えていた。途中でおっさんと雑種犬が綱引きをしているところに出くわす。おっさんは犬を軽トラックに乗せようと、犬は車を嫌がっているのか、視界の端でチラ見しているうちに犬が首輪抜けをして稲刈りの終わった田んぼまっしぐらに逃げていってしまった。そんなおっさんと道をすれ違って少し苦笑いの挨拶。彼は慌てる風でもなく犬が逃げた方向へ車を向かわせるのだが、犬は追いかけっこのつもりでもいるのかどんどんあぜ道を走って行く。あんな風に軽々と走れたらいいなあと思いつつ興味が逸れたので再びひたすら歩いた。

那須篠原玉藻稲荷神社農道をてくてく歩いて行き、気がついた時には目当ての神社への入り口道。「那須篠原玉藻稲荷神社」とある。農道脇の石碑からおよそ200メートルほど奥まった林の外れに境内へ至る参道があり、その手前にこじんまりとした駐車場と公衆トイレ。朱の鳥居の横には境内案内略図が立っていて、神社の由緒と云われがこう書かれている。

那須篠原玉藻稲荷神社

ここは、お稲荷さんと称える作神さまと玉藻の前(九尾の狐)の神霊とを祭った由緒深い社である。……

建久四年(一一九三)源頼朝が那須遊猟のときこの社に参詣したという伝えがある。また元禄二年四月十二日(陽暦五月三十日一六八九)松尾芭蕉は、この篠原の地を訪れている。……

……また九尾の狐退治の伝承地としての「鏡が池」と「狐塚」の霊を移したという祠がある。なお「狐塚趾」は、ここより北東の地の県道沿いにある。

芭蕉の里 黒羽町

最後に黒羽町とあるのは平成の大合併で我が市に編入された町のことで、その頃からこの案内板は変わっていないのだろう。参道の回りに広がる杉林は下草から落ち葉まで整然と掃き片付けられており、どうやら近所の農家の方か誰かが常に手入れをしている模様。参道脇に小さな石碑があり、「稲荷神社創建八百年記念 奉献鳥居一基氏子一同 平成五年二月二十日」とある。僕は氏子ではないものの年始の初詣にはここを訪れることにしていて、大晦日の晩にはたき火が焚かれつつ、かなり多くの人々が年越しをしにやって来ているらしい。

御稲荷さんのかけら鳥居の脇の足下には、ところどころ欠けた陶器のお稲荷さまとお賽銭が置いてあった。社殿の脇ののぼりに正一位玉藻稲荷大明神とある。稲荷神社の裏手にはよくキツネの巣があったりするものだ(だから稲荷神社が立つとも)という話をどこかで聞いたが、裏に回ってみたところ本殿の延長が山の斜面にくっついていて何があるのかはよく分からなかった。初詣の時のお供え物には油揚げとお酒のワンカップがよく見られたけれど今の時期は農作物、りんごや梨らしい。正一位玉藻稲荷大明神 駒狐様とちびコウ実は家を出る際に財布を忘れてしまい、本殿の前でお賽銭をしていこうとして鈴を鳴らしたときそれに気がついた。二礼二拍手なんとかだったか、参拝の細かい作法なんて僕は知らない。とりあえずお賽銭を忘れたことを心の中でわびて、写真を撮るときと鳥居をくぐるときにもお辞儀をした。それぐらいでも良いだろう、また散歩で来るだろうし、とりあえずは。

狐塚祠こちらの写真が上記の引用の中にある狐塚。かなり小さい。玉藻の前、白面金毛九尾の狐伝説の一つの最後の地(諸説あるが)としては何ともあっけない感じだ。鏡が池この狐塚祠の鳥居の手前には小さな湧水池があり、季節になると周囲にミズバショウの群落が白い大きめの花を付ける。この「鏡が池」にもいわれがあって、へたくそな写真しか撮れなかったので文章で引用しておく。

八溝県立自然公園

鏡が池

三浦介義明が九尾の狐を追跡中、姿を見失ってしまったが、この池のほとりに立ってあたりを見まわしたところ、池の面近くに延びた桜の木の枝に蝉の姿に化けている狐の正体が池にうつったので、三浦介は難なく九尾の狐を狩ったと伝えられ、これが鏡が池と呼ばれるようになったという。

池の縁に立って辺りをざっと見まわしてみたが桜の木はどこにもなかった。むかしむかしのお話、ということか。玉藻の前の詳細についてはこのリンク先の「玉藻の前 – Wikipedia」をどうぞ。

さてさて。参道脇のベンチに腰掛けて休憩を取ることしばし、ふくらはぎをよく揉んで軽くならしてから帰途へと出発。前半よく歩いたのが効果があったのか、休憩したからかは分からないが、足取りもだんだん慣れてきたものだ。僕は飽き性なので、来た道とは別のよく知らない脇道に入り自宅方面へ向かって進んだ。農家の前の草むらで雑草と化している朝顔だか昼顔だかを見つけ写真に撮るうち、花が赤と水色との二種類あることに気がついた。小振りな花で葉っぱがカードのスペードのように丸いのが特徴。ヒエの畑脇の草むらでも元気よく雑然と蔓を伸ばしている。外来朝顔そういえば、と以前Webで見掛けた新聞記事のことを思い出した。今引っ張ってきたこの記事がそうなのだろう。アサガオ類、全国で雑草化 大豆畑覆い、収穫妨げる 記事には、夏から秋までだらだらと開花して、とある。すでに十月の頭で日差しの強い日中に、まさしくだらだらと咲いている。見るぶんには構わないが除草のことを考えると投げ出したくなりそうな生え方だ。

再び歩くうちに犬の散歩でたまに通るあぜ道に出た。ここから自宅まではさして、と言っても今来た距離を考えればのことだが、遠くはない。気力も出てきたし、道脇のアザミやら落ちている栗を拾ったり、近所の梨畑から聞こえてくるラジオに耳を澄ましたりと、足取りも軽いもの。そうこうしているうちに昼のサイレンが正面にある鉄塔から鳴り渡ってきた。自宅を出たのが朝の十時少し前だったから、休憩を除くと一時間半ほど歩いていることになる。最後の道は上り坂でふくらはぎが腫れるようだったが、とにかく足を引きずらないように注意を注ぐ。ようやく家に着いた、と思うまもなく我が家の犬がすさまじい剣幕で吠え掛かってきた。大抵のことでは吠えない犬だが、何をどうしたのか見知らぬ他人と間違えたらしい。こら、と呼びかけて近づくと、一瞬妙な顔をしてお腹を見せるように仰向けに転がった。この野郎。

自室でくつろぎながらお茶を飲み、パソコンを付けてちょいちょい弄り、はっと思い出して万歩計をジャージから引っ張り出した。僕は万歩計なんて使うのは初めてなので、歩ききってから何歩だったか見るのを楽しみにしておいたのだ。液晶の表示板を見ると2686とある。そんなものなのかな、もっと歩いたような気がするけどな、と各種機能を弄っていて気がついた。表示を逆さまに見ていたのだった。正しい結果は9892歩、6.92km。もう少し歩いていれば一万歩か。まあ常日頃から出不精の僕にしてはよく動いた方だろう。これからも出来るときは歩いてみようか。