大田原市佐久山・御殿山公園の紅葉祭へ行ってきた。箒川を渡って段丘を登り、佐久山街道へ。一見寂れた感じのある街路だが、この地域では結構頻繁にイベントや祭りが開催されている。
紅葉祭開催期間の末日・十一月二十五日までは、午後五時から九時半あたりまで園内のライトアップが行われているとのこと。もう時期的にぎりぎりだし、折角のいいお天気なので昼間に出掛けた。駐車場の脇ではおっちゃん達が仮設テントのもと談笑しており、公園の入り口で地元のおばちゃん達がおでんや甘酒、大判焼きを売っていた。財布の中に百円玉が一個転がっていたのでそれでおでんのこんにゃくを買った。ほんのり柚子の香る味噌を付けてもらって、まずは食べる。地元らしいそれなりな賑わいの中で、携帯電話から一眼レフまで様々にカメラを持った人が目の前を通り過ぎていった。
御殿山公園は山の側面にある。眺望の良い場所を探して傾斜の急な階段を上りながら、辺り一杯のカエデの大木を見渡した。名札を見ると土佐楓とある。何故土佐なのか分からずにいたが、今ググったところではこのページ那須高原の四季 佐久山御殿山もみじ祭が詳しい。以下、引用の引用。
佐久山御殿山公園の楓について
安永年間(1772~1780年)佐久山藩主として四国山内土佐守一豊の子孫である資敬公(福原家佐久山藩23代藩主)が養子として迎えられた時、純粋の土佐楓5~6本を持参し、佐久山城敷地内に植え故郷を偲んだと伝えられ、今は1本のみ現存している。
佐久山地区活性化協議会が配布する資料を引用
佐久山と聞くと僕はどうしても夏場の花火大会を思い出してしまうのだが、ここ御殿山公園は佐久山城趾であり、割と市内でメジャーな方の観桜、観楓スポットだ。丘陵の南東側にある展望台に登ってみると大田原市街地が一望出来た。少し下に目を動かすと箒川、佐久山街道(旧陸羽街道)、佐久山小学校が順に見え、学校脇の銀杏の木が見事ビビッドな黄色に染まっていた。
園内をぶらついているうち、枯れ草の茂みに鳥居が立っている事に気がついた。見ると御殿山稲荷神社とある。こんなところにも、と、思わず写真にぱちり。 駒狐さまはいなかった。灯籠の後ろに寄進と書いてあり、雑草に半ば埋もれるように石碑が立っている。
御殿山稲荷神社
縁起
此の稲荷神社は鎌倉時代則ち文治三年那須の守護那須太郎資隆公次男佐久山次郎泰隆公此の地に初めて築城せし折城内鎮護として京都より伏見稲荷の神霊を奉祀す
……
廃藩置県後は旧藩士により祭祀し護持されてきたがその社殿老朽し仍って佐久山在住藩士子孫十七名相計りここに新殿を建立す
……
平成十年七月吉日
漢字ばかりで読みづらいが、文治 – Wikipediaという年号は十二世紀、鎌倉時代のもの。那須太郎資隆というのは那須氏初代当主であり那須与一公の父親であるらしい。此の稲荷神社、かなり由緒と歴史ある代物だ。その割には参道は雑草で一杯だったし、こっそり覗かせてもらった内部は質素な造りになっている。まあいいや、こういう神社のあり方も、忘れられずにいるだけ恵まれているのだろう。
割とあっさりとした帰り際に近所の母の実家へ立ち寄っていこうと思い、手土産に大判焼きを買った。売店のおばちゃんの話で、近々市だったか地元新聞の写真コンクールがある事、上手いのが撮れたら応募するといいよという旨を聞いた。いやいや、と苦笑いしてその場を立ち去ったが、そうだな、そういう目標の建て方もあるなと思った。
それから実家に向かい、祖父と祖母に御殿山稲荷神社の事を尋ねてみた。「お稲荷さまといったら警察署の前のだろう」。どうやら地元の祖父母も御殿山の稲荷神社の事は知らなかったらしい。代わりに、近所で「お稲荷さん」と呼ばれている、個人のお宅で祀っている稲荷(神社ではない)のことを聞かせてもらった。ああ、確かにあの民家の脇には鳥居があるが、稲荷だったのか。そう話しながら、この地元の史跡の話もしてもらった。年上の人の話は聞くものだなと改めて思う。今度晴れている日にその辺りへ出掛ける事にして、今日はこの辺でおしまい。