2019年4月16日(火)

神社のある高台から街並みと散っていく桜を眺めていた。陽差しは柔らかく風は穏やかに吹き上がり、下界の雑多な生活音が程よく聞こえてくるその場所でしばし、ぼんやりと愁いを抱く。神社の参道を逸れるけもの道に気付いてそれを辿ったところ、樹木の匂いがする森を抜け、桜に囲まれて半ば忘れられたような窪地の陽だまりの先に、普段は遠くから見るだけだった斜面の墓地が続いていた。セメント製の椅子とテーブルがいくつか設えてある。そこはどうも地元の人たちの抜け道か散歩道らしく、辺りの土はふかふかで靴が少し沈むようだったから、訪れるひとはそう多くなく、また日ごろから利用されているようだった。振り返ると桜のあいだから昇る昼の月が見え、遠く野外のステージで歌っている誰かの声が聞こえてきた。日が傾き始めていることに気付いて来た道を戻り、買い物をしにスーパーへと向かった。

叔父はおそらくあまり長くはない、というか、緩和ケアに移るために空き部屋を応募していると聞いた。近ごろは叔父に小言を言われるから会うことを避けていたのだけれど、そのうち顔合わせに行ってみるかという気になってる。僕の母方の家では去年に祖母が逝ったし、祖父ももうじき自分は死ぬと告白していた。思い出の風景が少しずつ変わっていく。

別にテーマにしているわけでもないのに春~初夏らしさのある本に、クラフト・エヴィング商會『テーブルの上のファーブル』(筑摩書房)があった。「昼月、昼酒、昼寝つき」「この世は昼でも月下です。」という言葉にピンと来た方は手に取ってみて欲しい。そういえば吉田篤弘の新著をずいぶんと読んでいないなー。

2019年4月15日(月)

気象庁の情報によると一週間先から高温の傾向があるとか。

ペンタックスのDA 20-40mm F2.8-4 LimitedとFA 31mm F1.8 Limitedで似たような条件の桜を撮ってみて、前者は今どきなエッジの効いた写りをするのに対し、後者はフイルム調に写るようだ、という感想を持った。DAがAPS-C向け/デジタルでFAがフルサイズ/設計が古いから当り前なんだけれどさ。このへんの画角は沼だね……。

2019年4月14日(日)

先日、くるぶしを小さなブヨらしきものに刺され、これを機会にと蚊取線香の小さいやつを買ってきた。この匂いがたまらなく好きで、好きな匂いを挙げてと言われたりしたら、潮/朽ち木とともに蚊取線香(金鳥の除虫菊の)がベスト3入りする。

春らしい本を読みたいねえ。吉田篤弘の『空ばかり見ていた』は一人暮しを始めた春のころの感覚が滲む。同じ理由からKyoto Jazz MassiveのアルバムであるBy KJM/For KJM/Re: KJMが耳にしっかり残っている。賑々しい宵を味わっていたいのだな。

2019年4月13日(土)

ふらふらと農道を行った。某所の山桜は山の中にあるためか、まだ全く咲いておらず。近くの仮設テントで大判焼きのうぐいす餡を買い食いし、キクザキイチゲが北側の斜面に咲いているのを見つける。平地のソメイヨシノは明日の雨で散り始めそうだ。

2019年4月10日(水)

日中ずっと、桜にぼたぼたと雪が降った。懸念していた虫歯は呆気なく治療された。そりゃ楽なほうがいいんだけれどさ。夜更けにイベント・ホライズン・テレスコープの成果発表があり、M87中心部のブラックホールの輪郭を撮影した画像を見たり、youtubeで会見を見たり。

2019年4月7日(日)

市内のソメイヨシノは今日が7~8割咲き。アーティチョーク2種類に引き続いてアシタバを定植したり、産直で蕗味噌や山椒味噌を買ってきたり。田には続々と水が入ってきてる。

2019年4月6日(土)

水芭蕉は意外と平地にひっそり生えてるんだろうなーと、その写真を撮っていて思う。

やっと冬を脱して体調が持ち直してきた、みたいにここへ書き付けていた記憶があるけれど、もしかして今もわりあい不調の中にいるのではなかろうか。というのは現在手持ちの関心ごとの乏しさに思い至ったから。春に転びたくはないなー、なにか対策していこう。