2019年8月6日(火)

ISSは天空を駈ける眩いのがばっちり見えた。ペルセウス座流星群に向けて幸先がよいね。近年の8月13日はたいてい、流星観望で夜更かしをしたまま盆の挨拶に行っているから、今年も寝不足でふらふらしていそうだ。

詩集という慣れないものが手元にある。Twitterで存じたayumu aizawaさんの『melancholia storytelling』。詩と、トレーシングペーパーに印刷され青みを帯びた写真が、一つの本になっている。気になった呟きなどあって取り寄せたのだけれど、こんなに繊細な本はたぶん初めて触るんじゃないだろうか……。

あまり疲労を感じていないのは後になって響いてくるからに違いない。少し前、今夏も夏ばてしてるかもみたいに書いたわりには、思ったよりも陽差しの下にいる。

この一年ほどで利己的というか、独りよがりな考え方が芽吹いてる。話題になったnoteの『いつか怪物になるわたしへ』で言われていたその「怪物」になりつつあるのかもな。

2019年8月5日(月)

桃のアールグレイマリネ、なるものをそのうち作ってみるつもり。今夕のISSは若干の雲に遮られたものの、とても明るかった。明日晴れたら更によい条件でISSが見えるはず。明朝は除草剤の散布でまた駆り出される予定。早めに眠ってしまおう。ときおり希薄な秋の気配がする。

2019年8月4日(日)

ポケモンGOにてトレーナーレベル30に到達&ミュウを捕まえた。ミュウのリサーチタスクに登場した「カーブボールでエクセレント」は実に運頼みだったなー。カントーの一般枠で未だ図鑑に未登録なポケモンは、残りカメックスとフーディンになってる。すながたりない。

2019年8月3日(土)

ポケモンGOのコミュニティ・デイだった。夕どきに近いとはいえ、強烈な陽差しの下で三時間弱、街中の公園をうろうろ。一帯はこんなにトレーナーがいるのかと新鮮な気分になれるような人出だった。どの人も日射を出来る限り避けたいらしく、ポケストップになっているオブジェや木の下に日陰を見つけながら、公園の周囲をぐるぐる移動したり、たむろったりしていた。汗はほとんど流れるようにかいた。歩き始めて一時間半で喉が乾き、ペットボトルのお茶を一本飲み干したのだけれど、始めから終わりまでトイレに用事はなかったな……。日が暮れて過ごしやすい気温になってからも、公園は同じような賑わいを見せていた。

コミュニティ・デイのタイムアップが見えてきたところで地元の夏祭りへ移動。辺りはすっかり薄暗い。ふらふらと人混みをかき分けながら、たこ焼きとかき氷を買う。駐車場に腰掛けてかき氷をしゃくしゃくやり、一通り人波に乗って祭り気分を満たしたのだった。そしてお待ちかね。「夏祭りの喧噪が届いてくる裏通りの、どこか緩んだ雰囲気」を味わいに、路地裏を抜けて一本隣の通りへ出た。そこは地方の飲み屋街なのでそれほど猥雑ではないけれど、路傍に椅子を出してうちわを仰いでいる人たちや、ブルーシートの壁から漏れる居酒屋のどよめき、浴衣姿の男女たちがそぞろ歩く様子など、全体的に緩んでいてかなりいい。祭り囃子というのは通り一つ外れて聞くべきなのだなー。ふと見上げると、濃紺の空に細い月が橙色をして昇っていた。お祭りから少し離れた場所でまったりしている、というシチュエーションはなぜだかしっとりして、とても好きだ。

帰着したのが八時少し前。コミュニティ・デイ終了から一時間後までに進化させたラルトスは特殊な技を覚える、ということを聞いていたから、ぎりぎりのタイミングで個体値を確認し、エルレイドと色違いサーナイトへ進化させた。ラルトスの飴はたんまりあるし、色違いの個体もたくさん捕まえた。あとでもう少し弄るつもり。

友達がDiscordで彼の飼い猫に関する相談を振ってきたため、さっきまでやりとりをしていた。仔細はここで触れないけれど、明朝に動物病院へ連れて行くのが最善では、という話に落ち着いた。

2019年8月2日(金)

つくつく法師とみんみん蝉の声が響くようになった。ああ、もう、盛夏なのだなあ。

フィルム風現像でGoogle検索をしたところ、レタッチの手順を書いたページがたくさん出てきた。すごい。ひとくちにフィルム風と言っても人によって手法が異なるみたいだ。ええー、トーンカーブもHSL/カラーも明暗別識別補正も、これまで意味が分からず触れなかったやつだよー。あんなふうにLightroomを弄るんだ……。フィルムに該当するのか少し不明だけれど、これまでひとさまの作品を見ていいなと思ったのは、黒が強調されてマット感と透明感が両立している、映画のような作風だった。そちら寄りの加工を手札に加えるべく、これからページを読み込んでみる。

2019年8月1日(木)

八月。

チタケが見たくて山へ向かった。Google Earthに植生図を適用して木々の生え方を確認していたから、特に悩むでもなく適当な上流部へ向かう。渓流沿いに家族連れのテントが二、三張られているような遊歩道に目星を付け、一時間ほど歩いただろうか。普通の雑木林に見えるそのあたりで、真っ赤なタマゴタケ三本と、なんらかの黒っぽくがっちりしたヤマドリ系を二本見つけた。後者は同定するだけのつもりだったからよいとして、タマゴタケ……たまたまあったにしても、生えているものだなあ。でかく真っ赤で存在感があり、ある場所では四本くらいまばらに集まっていた(虫に食べられたのや崩れたのもあった)。ほか、小さく謎なきのこはいくつも見かけたけれど、どういう分類になるのか見当の付かないものばかり。○○のなかま、くらいには特徴を引き出せるよう、図鑑をもっと読み返しておこう。きょうは出たとこ勝負でやって来たため、空振りにならなくて本当によかった。

晩ご飯。タマゴタケは塩水で虫を出したのち、塩コショウと小麦粉を振ってバターで炒めた。おそるおそる食べると、うまい! なんだろ、このうま味の強さは。バターの風味が乗っていることもあるけれど、こってりかつくどくない。香りをもっと味わえばよかった。柄は炒めてもしゃきしゃきしていて歯ごたえがよく、こちらも美味しい。これを書いている現時点で身体に変化はなく、もしも同定が間違えばなんらかの苦しみをきのこ三本ぶん味わうのだろうか、なんて緊張は杞憂に終わったみたいだ。探せば見つかるうまいものが一つ増えた。いちおう書いておくと、この辺りでは野生のきのこ(山菜も)に対して出荷制限が掛かっている。僕はもっか、自分で採って自分で食べるぶんには許容してしまおう、という方針だなー。

きのこを探す上では木の種類を見分けることが大切だと実感した日だった。いずれは、特定のきのこ(ほとんどチタケのこと)を狙うならこの辺りというふうに、歩留まりのよい探索が出来るようになれたら。

2019年7月31日(水)

オフライン地図を使いたくて、登山者御用達のヤマレコなるものを導入してみてる。二十年くらい前、父に連れられて渓流釣りなんかしていたころ、はっきりと覚えているわけではないのだけれど、父は事前に二万五千分の一地形図で水場やルートを確認していたような記憶がある。その地形図のうちいくつかはまだどこかに残っていたような。で、ヤマレコで閲覧出来る地図がうわすごいと言えるような便利さをしていてびっくりした。簡略化された認識しやすいマップサービスではなくて、等高線と地図記号がみっちり描かれている国土地理院のそれだ。地形の起伏は一目瞭然。当り前だけれど拡大縮小やスライドをしたり、現在位置を示したり出来る。紙ではなくデジタル媒体だという最大の懸念があるにしても、こういうのが使えるのなら心強いなー。課金無しでダウンロードして使える地図は二枚ぶんが上限らしい。飽くまで便利さに頼り切りにはならず、安全を心掛けていよう……。

ほか、原付に釣り竿を括り付けたり、山菜/きのこ採りもできるよう細かい雑貨を集めていた。どこかで聞いた話だと、炙って曲げた塩ビ管を荷台に固定すればそれで釣り竿挿しになるというけれど、ゴム紐でお気楽に縛っておくことにした。入れ物としては魚籠がいろいろに使えるはず。

マットレスはやっと目的に適うものが見つかった。ここで書いていた幾つかの出来事があり、一ヶ月以上もああでないこうでないとばたばたしていた。

Scoobie Doの新譜がSpotifyにあることを知り、ただいま聴いてる。『Have A Nice Day!』という、真夏に贈るアルバムだとか。個人的にScoobie Doを知った切っ掛けが『風の恋人/茜色が燃えるとき』で、そのときこのバンドに秋の印象が強く宿った。

明日からのスター・ウィークや、月の内側まで入ってきた100メートル級の小惑星の話題に関連して思う。ネットを覗き始めたころに出会ったAnima SolarisというSF/ファンタジー方面のウェブマガジンに、「彗星迎撃計画の端緒から未来」という内容の超短編競作企画『シェアードワールド』というのがあり(Weyback Machineへリンク)、そこの更新を受動摂取しているうち、1キロメートルもない小惑星でもぶつかりさえすれば文明は終わるのかもなー、という漠然とした尺度が根付いた。以来、隕石が月の内側を通ったみたいな記事を読むたび、脳内で大きさを引き合いに出してる。そちらで掲載されていた高本淳という作家さんの作品は未だに好きだ。『ボルツマンインターセクション』の断片的な叙情や『鯨時計』の途方に暮れる感じ、そこにある論理はほぼ分からなかったけれども、通底している余韻が心地よかった。

2019年7月29日(月)

アウトドアショップで熊よけの鈴を購入。より大きな音が出るカウベル型もあったんだけれど、今のところこういう鈴へのこだわりはないから、お手頃な値段のこちらにした。鈴はカラビナで吊り下げるようになっていて、十文字の口にマジックテープを差し込むと音が出なくなる仕組みになっている。現実的には、熊が出るような山深い場所には行かないことがいちばん良いのだろうな。きのこは林道脇なんかでもよく出るそうだから。

夜道を原付で走っていると、星々や街の光をはらんだ夜空がほんのり明るくて、べったり塗りつぶされたような地上の漆黒とは対照的だなあと思う。あの明るさは大気の層に宿ったものなのだろう。曇った夜空よりも晴れている夜空のほうが透明で奥深い感じがするのは、雲の有り無しに加えて、果てしない空間が直接広がっているその奥行きを映しているのかもしれない。たしか詩人の最果タヒという方が「夜空はいつでも最高密度の青色だ」という詩集を出されていて、詩も内容も知らないままにそのタイトルだけ覚えている。

Internet Explorer 5.5や6をVirtualPCでWindows98の環境にインストールすると、どうやらIEコンポーネントは当該バージョンに更新されるのだけれど、実機で目にしていた装飾的な機能はそぎ落とされるみたいだ。IE5.5のヘルプメニューから開けたクレジットにはかつて、スタッフロールと簡単なBGMが流れていて、そのメロディが好きだったのだよね。確認のためにそのクレジット画面を出したい。うーん、どうしたものだろ。

2019年7月28日(日)

久しぶりに星が出てる。土と樹がむせるように香る。有るか無きかの夜霧。

叔父の法要おしまい。従弟から婚約を進めているという彼女を紹介され、慌てて挨拶した。このごろ人生が奇妙でわけの分からないものに思えることがある。クラフト・エヴィング商會の作品に登場する「ロンリー・ハーツ読書倶楽部」を思い出す。ここに入部して、世界中に蔓延した悲しみを理解するとき、かすかに鼓動する「おかしな本棚」へ辿り着くという。僕にとって悲しみはまだ、幽霊か岩のようにそこにあるだけのものだなー。

今年のダージリン夏摘みは職人によって精度の高い製茶がなされているという話。紅茶に限らずお茶界隈はずっと追い風のようで、最近では春摘みや烏龍茶といった淡い香りに注目が集まっていると聞いた。お茶に関心を持った初めのころは、夏摘みのマスカット香にひたすら感動していたものだけれど、今となっては僕も淡い香り、その中でも青い草原の香りが好ましいなあと思う。そういえば日本茶の蒼風を少し前に飲んでいた。草原の青さとは若干毛色の異なる、でも色彩を持ったよい香りのお茶だった。