2019年11月22日(金)

意味のよく分からないことで励まされることってある。かつてのサークルの友人が虹色の旗を持っている写真を見かけた。今朝は雨が降っていて、とても寒かった。アメダスによれば夜半には氷点下の冷え込みとなっていたそう。いまも降ってる。明日より開催のAPOLLO 10で掘り出し物を聴いて回りたい。

2019年11月20日(水)

風が強かった夕暮れの空に、虹の七色を含む全ての色彩が宿っていた。橙も緑も薄紫も。日没とは反対側の空に見えていた地平に接する青空と、その少し上部に見えた藍色から桃色の領域、あれはもしかして、それぞれ地球影/ビーナスベルトと呼ぶのだろうか。ビーナスベルトに関しては「朝焼けや夕焼けが反対側の空にまで投影されているもの」という理解でよいみたいだ。都市部であれば高層建築が地平を遮るから、こういう仰角低めな現象は認識しづらいかも。ものごとって名前がつくと世界観が広がるものだなー。

以前にも書いたこととして、矢野顕子さんの『クリームシチュー』が心に響く。作詞の糸井重里さんは個人的に、Twitterの「冷笑的な人は……」発言で馴染めない感じの人なのだけど、この曲に関しては勇気づけられた部分がある。冒頭の『傷つくことはとても痛いけど 傷つくことは怖くはないんだ 激しい雨が降る夜は 晴れた朝の空をかくしてる』が本当に心に残った。

買ってきた屋内履きのジャージをちくちくと裾上げしてるときの妙な生活感はなんだろう……。

2019年11月19日(火)

ほんとに那須颪が強い。只見や尾瀬の深い方角からこちらへ向かって、那須連山に波濤のような冬の雲が打ち寄せていた。これからの季節、あの雲の下にある塩原は寒く閑とした印象があるけれど……高原山の裏手のスキー場には、ウィンタースポーツを楽しみにする来訪者が数多いそう。それにあの谷は温泉郷だものね、凍り付く季節でもくつろぎを求めて旅行者はやって来るはず。安心してさみしさを心地よさに変換できるような。

桜の樹皮でできた小さな茶さじが手元にある。加工しやすい竹でクリップぽいお香立てを作り、そのさじに組み合わせたら、いい感じのインセンスホルダーになるんじゃないかなーと画策してる。お香の軸周りが炭化することを防ぐために3mm径の鳩目が要る。あとで手芸店に寄ろう。竹はなー、祖父からもらってきたものが部分的に虫食いにやられていて、ちょっと美観を損なう。青竹の手に入るルートはないかなあ。こうした自己満足性の強い、いくら時間を掛けても構わない生活上のひと品みたいなのは、計画を抱いていると日常が楽しいかもね。

かつて写真講座(ごく初心者向けだった)を受けていたときにお薦めされた書籍をいまさら思い出し、Amazonの古本市場で取り寄せることにした。大竹昭子『眼の狩人』(新潮社)という、14名の戦後写真家の軌跡が書かれているそう。

2019年11月18日(月)

オーシャンズ8を観た。食指が動いたレビュー「ダサいこととかクサいことを誰もやってなくて、純粋に自分たちの能力だけで仕事をやる姿がセクシーでカッコよかった」の通り、見終えたあと爽やかになれてよかった。この作品はシリーズ映画の3作目なのだとか。登場人物の一人ひとりに落とし穴みたいなツボがあった中、『2年で1800万ドル使った』ローズがとりわけダメ人間そう&生徒からの信頼が厚い国語教師みたいでおいしい。それと、フランス語がめんどくさいひとたちの言葉として使われていたのは、あちらでもそういう認識があるんだろうか。

前からここへ書いていた、春に菌駒を打って椎茸の菌が回ったほだ木を五本、祖父のところからもらってきた。母は紆余曲折あって彼女の親である祖父に確執を抱いているのだけれど、きょうは僕を含め三人で普通の雑談をしていた。いがみ合うことをやめようとしてるのかも知れない。椎茸のほだ木は寒さを経験したらきのこが出るらしく、ひとまずうちの整然とした木陰に並べてみたところ。

十日前にやってしまった腰がほんのり痛む。里芋の入った箱を持ち上げようとして、ごきり、という音が脊髄に響いたのを、痛みはないから放っておいたのだった。基本的に姿勢が悪いのかもなあ。こういう身体の痛みって冬場は治りにくい気がするよ。ストレッチを検討する。

2019年11月17日(日)

祖父宅にて、僕が錆び付かせて使いものにならなくしていた肥後守と共柄切出を、砥石で研いでもらった。そのあと帰宅して部屋を掃除し始める。日付の変わったいままで掛かりようやく片付いた。シーツの洗濯ばかりは明日でよかろ。年末はゆるく埃でも掃い、のんびり窓を磨いて暮れていくのだ。

2019年11月16日(土)

大晦日ぶんまでの部屋の掃除をやったものかとか、今年は年賀状を出すつもりなのかとか、そういうことを考えるようになってきた。もう秋も終わるね。

2019年11月15日(金)

市の選挙はきょう済ませた。週末は寒そう。

スター・ウォーズ/エピソード3を観た。ジェダイたちが反乱軍となり、共和国が銀河帝国へ変貌した物語。場末のサイトだしネタバレは気にしない。エピソード1を観たときに気になっていた、アナキンが執着しているテーマと思われた「母との再会」は、もっと具体的に書くなら「愛するものと別れることへの怖れ」だったんだなー。パルパティーンの「これが初めてではあるまい」が導線になっている。裏切られを口にする人物の孤独と、本人こそが裏切っている周囲の思いのことを、卑近な例とともに思う。なんかしれっと登場してるチューバッカは彼の部族の生き残りになってしまったのだろうか。今さら思うこととして、親子三世代ものって物語として美味しいというか、構造が骨太で秀でているような(身近な作品で申し訳ないけれどサガフロンティア2やジョジョの奇妙な冒険とか)。ダース・ベイダーが完成したしるしとしてのあのマスクの呼吸音が、もう一切の取り返しはつかないのだという冷たい思いがして、ひどく悲しかった。勝手にネタバレを食らって予想はしていたものの、彼の妻パドメから双子へと物語の未来が受け継がれたこと、それだけが現時点での希望として映った。ひとまず、ねじれ構造だった旧三部作と新三部作の整合性は取れた。ここまで見終えたことだし、次はスピンオフ作品と続三部作だなー。

Twitterが狂気や危険性を可愛いらしくリファインして、なにもかもを安全で取り扱い可能なものにしていくのは、それらを過剰な脅威として扱うのと同じように、個人的には不健全に思える。名無し掲示板の大喜利文化が全てを卑小化していった流れと似てるもの。

2019年11月14日(木)

吹き飛ばされそうなくらい強かった那須颪は宵のころにぱたりと止んだ。明日以降に寒気が降りてくるらしく、北日本では吹雪くところもあるそう。

夕暮れの買い物途中に、日の沈んだ西空が微細な色彩をまといながら黒く染まっていくのを見て、眺めの良い高台へ立ち寄った。夕方の空に緑色した領域が現れるのは、空や気象の条件がとても良いときなのだけれど、そうした日も実際に見えている時間もほんのわずかだ。今日の空には、青から黄や橙へと移ろいゆく領域のあいだに、そうと見ればよく分かるような綺麗な緑色が乗っていた。地平線下に沈んだ西の太陽から南の上のほうへ、黄道を可視化するかのように金星──木星──土星が一直線に並んでいる。光の流れる市街を眼下に、大半が濃紺と黒に包まれ減光していく空を見ていて、ふと、その惑星の並んだ黄道のあたりが太陽系の巡る円盤のように見えた。空というものがただ色をまとってそこに広がっているだけではなくて、そこは剥き出しになった宇宙と直に繋がっている、惑星や恒星の運動もそこでまざまざと展開されている、自分たちはそういう躍動する空間の中に存在しているという立体的な感覚が、すっと心へ入ってきたように思う。眺めているうちに金星は地平線へ沈んでいき、ぎらぎらした赤い光はやがて見えなくなった。

買い物を終えた帰り道、今度は逆の東の空を見やると、缶詰の黄桃のような色をした月がちょうど山の向こうから昇ってきていた。こういうでかい月って見慣れないというか、目にするたびに小さな驚きがある。