ことし最後の通院。浮き沈みなく過ごせた一年だった、治療してきてよかったと話すと、やっぱり最善のルートを通れる人ばかりではないから、いざというときに自分の判断だけでなく周りの意見を加味できるかどうかが大切だよね、と話してもらった。僕の耳には痛いはずだけれど、先生の話に実感がこもっていたこともあり、そうだなと思えた。それからうちへ帰って運び出したものの整理。ファンヒーター二台やオーブンレンジなどの不燃ごみを、家族と協力して清掃センターへ時間ぎりぎりに搬入した。ほかにも搬入すべきものがまだ残ってる。そちらの作業はあす以降の自分へ回すことにして、今夜は週末恒例のラジアンFを聞きながらこれを書いてる。金曜ロードショーのナウシカを観た。作品のなかの話ではあるんだけれど、終盤の展開で言い伝えというものがなぜ継承されるのかということを思ったら、ちょっと涙ぐんでしまった。例えば、ひとりの人間が朝起きてその日にすることを(思い出すみたいに)自覚するように、総体としての人類が持ち継承している直感や確信というものが存在して、それが言い伝えや予言というかたちを取るのかも知れない。それら直感/確信の源となる人々(の記憶)へ(想像力によって)近づこうとするとき、こちら(ババさま)の記憶が揺さぶられるのかも知れない。「その者……」と語る場面で、ババさまは語られてきたものだけでなく、語り紡いできた者たちの存在を感じ、その流れの果てに目の前の状況があると理解すればこそ、あれほど慟哭したのではないだろうか。大気中に満ちる王蟲の怒りを感じ取るくらい敏感な人なら、言い伝えを構成する時空の奥行きやその中で遍在する人々の思いくらい、経験と想像力で補ってると思うんだよね。そのへんの流れを一瞬に圧縮して発せられた言葉が「古き言い伝えはまことであった」だったらいいなあと、心許ない深読みだと分かっていても僕は思う。
2020年12月24日(木)
昼前に歯の治療より戻ってきてから物置の掃除を始めた。ものを全て運び出してサッシや床の掃除まで一区切りついたのは、外がとっぷり暗くなったころ。本の入った段ボール箱が見つかった。それはここへ引っ越してくる前に詰め込まれ、以来ずっと手つかずになっていたらしかった。その中から、引っ越しの際に捨てたんだろうなあと未練に思っていた父の持ち物な本が出てきた。山と渓谷社の『山の幸 山菜BEST65 木の実BEST45 きのこBEST50』という、三十年以上前に出版された山菜採りの案内本。まさか出てくるなんて思いもしなかった。ページをめくるたびに記憶ではなく懐かしさがよみがえる。この物置掃除を始めてよかったと思えるくらい、じんわりとうれしい。棚ぼたというか、広義のクリスマスプレゼントというか、そんな感じだ。運び出したものを選り分けてから片付ける作業が残っているけれど、こんな幸運が舞い込んだことだし、あした以降も頑張ろう。幼稚園のころに描いた親たちの似顔絵も見つかり、そちらは母が持っているのがよいと思い手渡した。Steamのウィッシュリストで塩漬けになっていた『サガ スカーレット グレイス 緋色の野望』をセールにつき半額で購入。年末年始にだらだらと遊びたいのはサガフロ2だけれども。年内に掃除が片付くか、分からなくなってきた。
2020年12月23日(水)
結晶美術館さんの薄い本『結晶美術館 厳選版』が届いた。きのうに引き続き二階の物置の掃除。おおかたのものは運び出したから、あした歯の治療から戻り次第、床やサッシの掃除に取りかかるつもり。きょうは市内での感染者がふたり確認されたとのことで、このあたりでも報告されるペースは上がりつつあるように感じる。片付けていたがらくたのなかから、転校する前の小学校でもらったらしいものがいくつか出てきた。何本かの筆記用具やしわくちゃのプリントに賞状など。そのなかに、転校に際して担任の先生からもらった手紙があった。励ましと「落ち着いたらお手紙をください」という言葉が書いてある。ひとは懐かしいとき目を細めるものだな。あのあとからずっと大変で連絡をしていなかった。これだけ時が経つと先生が存命か分からないけれど、あのころを振り返ることのできる数少ない品を見つけられたことで、掃除に取りかかってよかったと思う。
2020年12月22日(火)
二階のスペースを空けたのち物置の掃除に着手した。あれの死骸がそこら中に転がっており生理的嫌悪を催すものの、片付くこと自体は歓迎したい。早めに眠ってそのぶんをあすの掃除に回そう。地元でも感染者の報告がときおり舞い込むようになり、きょうもひとり確認されたとのこと。増えてきているんだなあと実感する。引き続き人混みへ出て行かないのが最善の選択肢だろな。年末年始ごろに寒波がくるという記事がTwitterのTLに流れてきた。
2020年12月21日(月)
定期通院先の一つに行ってきた。病院はことし残りあと二件ある。木星と土星が一つに見えるほど接近するというので、日没直後の低空に光っているのを見た。僕の目には全く一つの光の点に映るのだけれど、#星空の連帯 タグに寄せられたつぶやきからは、肉眼でも分離して見える目のいい人たちが大勢いるようだった。ほんと自分の目を労ろうな。冬至につきゆず湯に入る。
2020年12月20日(日)
二階の洗面所とその周りの床掃除が片付いた。来週は二階の物置に取りかかりたい。あそこはこの家が出来てからの二十何年間か、一度も整理や整頓をされたことがないまま、使わないものやがらくたを乱雑に詰めておく場所になっている。きちんと手を入れたらそれなりなスペースが確保できるだろうし、ほかの場所から物を持ってくるためにも活用しやすくなるはず。嫌いな虫が落ちているから多少神経質になるだろうけれど……。外の物置もこの機会に手を入れたいし、祖父宅の物置も母と協力して片付けたいのだけれど、年内にそちらまで手が回るだろうかと疑問がうっすら湧いてきた。たぶんこれ、なにかしら期限が迫ってくると一度になにもかもやろうとするあれかもしんない。疲れそうならほどほどにやろう。明朝はまた寒いらしく低温注意報が出てる。
2020年12月19日(土)
『砂の惑星(1984)』観た。ダレてしまった……。古い映画なら表現より物語を見ようというつもりで視聴し始めたのだけれど、単調さに途中から気が散った。そんなこともあるさ。スタッフロールの曲はよかったかも。未明のラジアンFをベッドのなかで聞くうちに眠り、昼から二階の洗面台の掃除に手をつけた。年に一度の取り組みで済ませたいという考えから念入りに磨き、夕方までに上半分、水を受ける台までをぴかぴかにした。鏡についた水垢を百均のダイヤモンドうろこ取りでこそげ落とす感触がたいへん気持ちいい。周囲や床周りを綺麗にするのはあす以降に。ついでに階段周辺の蜘蛛の巣も払う。台所のコンロを新品と交換する工事があり、そちらはきょうだいに取り持ってもらった。夕方になり、道の駅と神社に立ち寄ってから買い物へ向かった。日没直後の空は地上のシルエットと相まって、衝動的に記録したくなる色彩をしてる。きょうは疲れた。早いとこ眠ってしまおう。
2020年12月18日(金)
今朝、シャワーを浴びていたら、給湯するボイラーが低温で何度も運転を停止した。なんとか元に戻ったものの、頭を洗っている最中だったからどうしたものかと様子を窺ってしまった。ストーブを点けても部屋のサッシの内側はしばらく凍り付いたままで、窓を開け閉めすると氷が割れるじゃりじゃり言う音がした。本格的に寒い季節だ。冬場はいつもそうだけれど、緑の減った風景や自分の気力の減退が相まって、写真を撮ろうって気はしなくなる。手元でできる好きなことをやろう。
2020年12月17日(木)
指先が痛む寒さのなか、歯の治療に行ったりオイル交換に行ったり。馴染みのバイク屋のおっちゃんは冗談を言いながらも素早く整備をしてくれ、チェーンの弛みや空気圧など注意すべきところも説明してくれた。そのなかで速度違反のため捕まった話をすると、自動小型二輪の免許を取っていまのカブにピンクのナンバーをつける手続きをすればよいよ、とアドバイスをくれた。それなら安く上がるし、普通車の免許があるなら自動小型二輪は簡単に取れる、とのこと。この話を振ってよかった。おっちゃんが頼りだ。いまざっと取得の流れを検索してみたら、僕の場合は上記の条件から、教習時間が短縮され本試験での学科試験は免除されるらしい。愚痴をこぼした友だちと、新しく免許を取るにしても暖かくなってからにしようという話をしてるから、来年四月か五月あたりに取りかかるつもり。ことし最後の瓶ごみを回収場所へ出してきた。残り少ない中継地をまたひとつ離れていく船か飛行機の気分。
2020年12月16日(水)
各地から寒いというつぶやきが流れるなか、ここにもことし初めての雪が降った。日本海側や関東の山沿いにドカ雪が降っており、その余波。たぶんあすにはおおむね解けていると思われるけれど、歯科の通院に支障が出ないといいなあ。
