2021年10月16日(土)

祖父宅の物置にあるガラス板や火鉢を処理センターへ持ち込む作業を、母と行った。その屋敷内にあり義母やいとこたちが売りたがっている亡き叔父の家について、彼らと大叔父がとりあえず売買価格を提示し合うところまでは話が行ったらしい。ちょっといきさつがあって互いの価格がかみ合わないため、大叔父はどう出るんだろうね、ということを母から聞いた。こうした一連の事柄については、大人の対応ができているかどうかという基準で振る舞ったほうがよいし、各人への評価もそうあるべきなんだろう。それから、どう表現したらよいか、あるいはここに書かないほうがよいのか分からないけれど、義母(と特にいとこである彼女の息子)はASD傾向がありそうな気がしている。親戚に新書の一冊も読んでもらえたら摩擦が少なかろうと思い、とりあえず一度手放したその手の本を中古でまた取り寄せることにした。うちの母は読んでくれそう。

2021年10月15日(金)

教習所にて実技を二時間。(このあんばいだと)ちょっと遅れるよ、と教官から言われた。それは僕の飲み込みの遅いことが大きい。教習車のバイクは一度クラッチ操作を間違えると完全なバッテリー切れになるくらいぼろくて、いちいち押しがけしていただいていたから、それもあるけれど。でも、普通車と比べたらごく短期間で済む免許であるし、機材がぼろいのは前もって説明してもらっていたし、疫病の第6波がくる前に免許を取れたらというのが達成目標だから、気にせずに通うつもり。でも、こうした身体動作の下手さは、自分の認知機能はほんと低下しているんだなーと思う。あまりこの方面でなにかを求められることのない生き方が楽かもね。『ロンドンゾンビ紀行』観た。ゾンビものに接したのはこれが初めてだったのだけれど、わりと朗らかというか前向きな作品だったようで、そのおかげでグロテスクな表現もあまり気にならず、観てて楽しかった。お年寄りがつよいのはよいことだよ。この視聴を始める前に走った。そういえば月曜も走っていたのに書き忘れていた。身体の変化は今のところ感じないなー。それでも、アディダスのランニングアプリ/ポケモンGO/あすけんと行動のフィードバックが利くことを、なんとなくの報酬にしてる。んー、当座は一日のカロリー調整であるけれど、走れる距離が伸びたらいいなあという願望もあるのだよな。気が向いたら走るという縛りの緩さで様子をみる。

2021年10月14日(木)

地元のNPOにて、月一での相談の日だった。自分の得手不得手について、それはこうかもねという話をしていただいたり。趣味の多さのことをこの職場にもそこまでの人はいないですよ、というふうに言っていただいて、あまり実感が湧かないもののそうなのかもしれないと思った。一つの事柄にどれほどリソースを投じることができるかはまた別かもしれないし、趣味が多かったらえらいという話でもないけれど。目的を持って始めるうちにすっかり馴染んだ写真やお香をはじめ、自分の趣味は感覚的に没入できるものが多く、それらは自己治癒というか癒やしの側面が強いように思う。二十四時間つねに回復をし続けていないと精神は削れていく一方だから、いろいろな手札を揃えてさまざまな状態に対応できることは、生き残るための切実な戦略だったのかもしれない。ほか、頑張りすぎないことや追求しすぎないこと、ひとりで抱え込まないことの話題が主。

2021年10月13日(水)

面談はあすへ延期。「この人と友だちになれるか」というのは場とタイミングの要素が大きくて、それなりに年月が経ったあとからもう一度交流を結ぼうとしても、記憶が残るだけでひとたび他人レベルへ離れた関係をつなぎ直すことは容易ではないのだなー、と思った。一方的に友だちと信じ続けたことは、人生のある時期において心の支えになったとしても、いつかはなにかから剥がれ落ちるかけらのように、目を伏せさせるものだね。だとしてもそれが無駄だったってことではない、少なくともそう思いたい。さみしいのはこちらに勝手な期待があったからだけれど、もし期待通りになるのなら、それは自分の想像力の範囲内のことしか起きないってことだ。期待通りでない現実を受け入れるなら、自分の想像力よりもずっと豊かな現実を享受できる、はず。メンタルよわよわだからボコボコにもなっているけれどさ。大嶋啓之feat.茶太『睡眠都市』の情報を漁るうち、新居昭乃『覚醒都市』へたどり着き、中古CDを取り寄せてリッピング処理を済ませ、いま聞いているところ。音がゆがんだように聞こえるところがとてもよいね。少し前にBoothを経由して送っていただいた、海辺の音楽屋(yo-ake)さんの『青と回答』もよかった。物静かで内省的な雰囲気がすき。そういえば、ミシェル・ベロフ『ドビュッシー:ピアノ作品全集』が手元にある。この曲目リストがよく分からないくらいに美しい。こうしたタイトルへのセンスを自分の創作中で再現したいと思いつつ、単語チョイスだけではこうはならないだろと思えて、じゃあなにが違うのと思っているのだった。今どきの言葉は彩度やコントラスト、エッジの精細さが高いように思う。でも、そこを回避したらこのアルバムのようになるのかというと、たぶん違うのだよね。

2021年10月12日(火)

茉莉花の挿し芽をしたり、シャコバサボテンの葉摘みと短日処理をはじめたり。挿し芽用の発根促進剤であるルートンをつかったことで、季節外れながら六本の挿し穂がどれくらい定着するか興味があるから、一月くらいは様子を覗うつもり。鉢が二つあるシャコバはどうだろう。若い葉は摘んでやったほうが花芽が付くのだけれど、株がまだ小さめあるいは中株くらいだから、あまり葉をむしるのはかわいそうかなあ、という落とし所があるのだよね。とりあえず、夜間の照明の影響がない部屋の窓際へ二つの鉢を置いた。あとは水をやらないまま、二週間ばかり窓際へ放置して短日処理を施せば、花芽が形成されるはず。シャコバは大株なほど花の見応えがあるから、いずれは鉢のサイズを現状の8号から10号くらいへ移植するタイミングが必要なのだろな。今年はまだ必要なさそうだけれどね。茉莉花の挿し穂は合計6本を、ルートンをまぶした状態で、3号か4号のプラ鉢2つへ赤玉土を入れて挿した。これはどうだろうね。季節こそ外してはいるけれど徒長枝を使うことができた。前回は全滅だったから、今回はルートンの効果がどれくらい発揮されるのかが気になるところ。

2021年10月11日(月)

茉莉花の徒長枝を切るついでに挿し芽をしようと思いついた。前回は失敗したんだよね。挿し木の基本というページに植物の生理的な仕組みが詳しく説明されていた。つくった挿し穂は水を吸わせているところ。発根促進剤のルートンを用意したから、それを使ってあしたあたり鉢へ移し替えられたら。枝を切る際になにかぐにゅっとしたものに触った。それは鉢へ水をやっていた土曜にも姿を見せたアマガエルらしかった。そのあたりにいついてほしかったから、鉢を動かして脅かさないように徒長枝だけ剪定して切り上げた。

2021年10月9日(土)

教習所にて適性検査をした。この場で成果を気にしても仕方ないし、そもそもなにかをはじく検査ではないのだから、と思うと気が楽なものだね。最後の大問は気性についての問いのようだったけれど、なにかしらの特徴的な傾向が出そうだという手応えがあった。それはそれで自覚があればよいので。一時間くらいで終わり、帰着。

2021年10月8日(金)

創作の断片の中に、連れだって旅をしているきつねとウンディーネの話があるのだけれど、そのふたりはなんなのということを考えていた。ウンディーネは人と婚姻関係を結ぶことで魂を得て、浮気をされると相手を殺害して魂を失う、という生活環をしているみたいだ(Wikipedia調べ)。この場合、婚姻の状態とその相手の生死とは、条件が重なっているように見えてじつは切り分けられる、ということも考えられる。そうすると、結婚相手と良好な関係を維持し続けたウンディーネには、伴侶をまっとうな理由で喪ったあとには魂を所有したまま自由の身へ、という可能性もありうる。そのケースでは魂いっこぶんの残機があるためにもはや人と変わらないから、それ以降はどんなにただれた恋愛もし放題になるかもしれない。また仮に、結婚した相手がそのあと不死化するか、あるいは初めから内縁状態を維持するなどの手段で、この種族特有の悲恋を回避することが可能なんじゃないだろうか。魂を残機として考えた場合には、残機だから複数持てるかもしれない。猫は九つの命を持つとかきつねは所定のしっぽの数だけワイルドカードが使えるとか言われるように、いくつかの伴侶との暮らしのすえ魂の残機を増やしたウンディーネは、なんらかの状況で切り札となるのでは(なんらか?)。そもそも一方の気持ちが離れた時点で淡々と離婚の手続きに移れたら、物騒な手段に及ぶ必要はないような気がした。あるものがないというところから出発すると多様なあり方が想定できてしまうね。魂の話をしているのに人の心がない話になっている気がするけれど……。手元にフーケーの『水妖記』があり気になっているのだけれど、周辺の情報をWebで漁るうち、なんとなくアンデルセンの『人魚の姫』を先に読み始めてしまった。こちらは既読本で、やっぱり手元で温めている車椅子の人魚の話について、種族と周辺のディティールを拾い上げることができるのでは、と考えているところ。きょうはいつも利用している薬局の方から、痩せました? と聞かれた。服のシルエットが変わったことに気付いて食欲不振を心配してくださったらしく、一年前からダイエットをしてます、という会話を少し。周りの人たちから反応をもらえると励みになるものだね。ちょっと気が緩んでスナック菓子やプロテインバーを食べてしまったけれど、たまにはいいよ。教習所では本申し込みと視力検査など。視力はぎりぎりOKですねと言われた。教習車のバイクは一台きりですと聞いていたから混み具合を訊ねたところ、いまは特に待たなくても受講できますよ、ということだった。明日の午後に適性検査が入った。