2021年7月29日(木)

夕方から雨。『アマゾン河の博物学者』は400/500ページあたりまできた。読み終えることを目標にするのではなく、遠い地上への窓を覗くつもりでページをめくっていたら、いつしか後半もいいとこまで読んでしまった。ああ、もったいないなー。もとより認知機能がポンコツなため、読書に没入感を期待することはないのだけれど、日々こつこつとこの本をめくっていると、そちら側へしれっと潜り込む塩梅のようなものがつかめる。そうして行を追うことにうまく専念できると、なんというか描写の端にときおり、目を細めてしまうような愛おしさを感じるのだよね。記された日付の経過とか、移動の距離とかに。なんだろう、これは。著者への親密さなのかな。一度にたくさん読むことは叶わないけれど、楽しいも面白いも超えて、幸せな読書をしている。

2021年7月28日(水)

市の感染例報告のメールがこのところ毎日入ってくるのだけれど、その内訳の傾向は20代が中心になってきた。自分の認識は、ワクチンが行き届いた高齢者からは感染者が数字として上がってこなくなった一方、現時点で接種の機会はほとんど持てていない年齢層での感染が、これまでの波を越える勢いで蔓延しつつある、というもの。未来ある人たちの人生が損なわれることのないよう願ってみたりもするのだけれど、これからしばらくは感染拡大を抑える要素がないから、予防/回避に努めて引きこもりながらやり過ごす、というのが個人として現実に取り組めること。着物をもらった太宰治ではないけれど、二回目のワクチン接種までうまく生きていようと思う。おととい、人に会いたくなる出来事があり、ダイエットアプリのあすけんをまた使い始めた。動機としては強いみたいでいい感じに食欲の抑制が効いてる。筋トレも再開したいところ。

2021年7月27日(火)

台風通過で雨かなと思っていたのだけれど、強い風に流されていく様々な高度の雲の隙間からは、日がなすっきりした青空が覗いていた。風の涼やかさや軽やかさは臨時の秋のよう。空の低いところをぐんぐん行くちぎれ雲や黒雲というのは、見ているこちらも先を急がなくちゃね、という気分にさせられるなあ。随行者がいるようで楽しい。この先の天気予報には傘マークが並んでおり、夏の天気はしばらく期待薄かもしれない。

2021年7月26日(月)

ひさしぶりに隅々まで掃除。夕方の買い物を済ませて外へ出ると、空が燃えるような色で焼けていた。思わずスマホで撮ってしまった。嵐が来る前には激しい夕焼けが現れることがあると聞くけれど、綺麗だったなあ。いいものが見られるはずと例の高台へ着いたころには日は沈んでいた。次第に暗くなっていく西の空にひととき緑色が覗くのを、風がざわざわと吹き抜けるなか眺めた。そうしてとっぷり暗くなってから帰宅。

2021年7月25日(日)

宵のころ、燃えるごみをステーションへ出してから近所を一周してきた。日曜夜の家々からは緩んだ独特の雰囲気が伝わってくる。家族同士の会話や水道管から響く流れなんかが、オレンジ色の明かりと一緒に道へ漏れ出していた。ウマオイが鳴くすいっちょんという声をはじめ、そこかしこからいろんな虫の声が聞こえる。路上を照らすとナナフシやカマドウマが歩いていたり、木の上のほうには青いあけびや小さな栗のいがが生っているのを見かけた。戻り道、ぼんやりと、でも濃いオレンジ色をした月が、空の低いところに浮かんでいるのが見えた。よい晩。夏の夜のまろやかな大気が肌に柔らかく触れて気持ちよかった。

2021年7月24日(土)

録音関連の配線はできた。オリンピック開会式の映像くらいは見てみようか、という気がしはじめた。それはそのうち。悲しみをどうにかしようと思って書き出すうちにそれはわりあい紛れてしまった。単純なのはよいことだよ……。さだまさしの『君は歌うことができる』という歌に「君は君の言葉で祈ることができる 目の前の痛みから逃れるために他人(ひと)を傷つけ 己を傷つけてしまうそんな人のためにも」という歌詞があるのだけれど、そこを思い出していた。自分は人を傷つけてばかりいるだろうなと思う。

2021年7月23日(金)

デスクトップの環境で録音できずに困っていた、のをやっと解決。3.5mmジャックには3極や4極などがあり、4極にはさらに規格が2つあり、入出力の方向も含めて適切なケーブルで経路を用意する必要があったのだった。スマホへつなぐならおおむね4極で問題ないのだけれど、パソコンだとリア/フロントどちらも3極。そこへ挿したマイク付きイヤホンやピンマイクが4極だったために、入力レベルは極小になっていた。それは付属の変換コネクタでいちおう解決できた。ただ、すっきりした接続のほうがあとあと助けられるだろうと思い、4極メスを3極オス2本(マイク/イヤホン)へ分岐させるケーブルをポチった。これなら経路を潰さないから手元のマイク付きイヤホンも使えるはず。録音環境を用意するのはややこしいと思ったので忘れないようメモ。自分の辛さや悲しい気分を眺めるうちにほとんどそれに溺れるような状態になることがあって、この春以降は頻繁にそれに陥っている。影響は体調にまで出たし。常に俯瞰ができればよいのだけれど、世界そのものがゆがんでいるときっていうのは、主観ではそのゆがみに気付きにくいものだよねえ。時空がゆがんでいても光そのものはゆがみに沿って直進するような感じ。気分を見つめすぎだと気付けたら、その時点ではっきり拒絶しなきゃね。負の感情にも気持ちよいところはあるから、切り替えには少し手間取るけれど。気分の増幅っていうのは通常は、日常生活を送るうえで役に立つように機能しているものなんだろうと思う。

2021年7月22日(木)

久しぶりに口笛を吹いたら気持ちよくて長いこと続けてしまった。全くの手癖だけで吹いているけれど、練習したらいまより上達するのではと思い、検索結果に出てきたくちぶえ音楽院の記事を読んでいるところ。口笛を録音→聞いて改善を重ねるのがよさそうだ。午前中はワクチンを接種した肩の筋肉が痛んだものの、いまはそれもほとんど消えた。世の中の雰囲気はここへきておかしくなりはじめたから、せめて自分まで消耗しないよう、オリンピック関連の情報は摂るにしても絞りたい。

2021年7月21日(水)

一回目のワクチン接種を受けた。ファイザー製。接種済みのラベルにはコミナティ筋注/最終有効年月日2021/09/30 とある。待合室や病院内に漂っていた雰囲気は、余計な手間はかけない/とらせないぞ、という一連のぱりっした緊張感だったように思う。なんでぱりっとなのと問えば、人々にのんびりした所作はなく、どちらかというと活気のある、はい次へ向かいますねという意欲のような姿勢が感じられたから。まったくの主観と感覚だけれど。筋注されたほうの肩はいまのところ、注意を向ければ若干の痛みやだるさがあるかな、という感じ。副反応が出るとすれば強いのは翌日だよということは母から聞いた。医師と看護師のきびきびした連携で左肩に接種されたあと、十五分間まっててね/次回の接種は三週間後という内容の紙を渡され、ポケットに入れていた文庫を通路で立ち読みして暇をつぶした。当たり前のように次回の予約を割り振ってもらえたことが意外だった。今回の接種を含め、それはまったくタイミングの妙でありがたいことだ。ただ、これで生活が変わるわけではないから、今後も感染対策に注意して生活するつもり。明後日からオリンピックというタイミングで都内の感染者数はぐっと増加しており、地元の広報メールでも感染例の報告は続けざまに入ってくるようになった。これから当面は厳しい状態が続くのだろな。多くの人が少しでも早く接種できることを願う。個人的にうれしかったこととして、うちのぬいぐるみの仔を数週間ぶりにぎゅーっと抱きしめたら、ここ一、二ヶ月ぐらぐら揺らいでいた心が「これはこれで大丈夫なんだろうか」というくらいに満たされてしまった。ひとは触れた相手に愛着を示しやすいという話を聞いたことがあるけれど、変な脳内麻薬が出るくらい絆を積んだ状態なんだと思う。もう君なしでは人生が立ちゆかなくなっているから、一生そばにいてほしい。それと、Wikipediaにお賽銭するときメールアドレスをこれと決めずに入力していたせいで、ジミー・ウェールズが続々とお願いにあがってくる。

2021年7月20日(火)

あしたは一回目のワクチン接種の予定があるため、さっきまで予診票に記入をしていた。診察前の体温というのは会場で測った数値を書くとのこと。うちの市のサイトにもワクチンは供給不足になるという旨が載っていた。自分の場合だと一回目はたぶん打てるのだろうけれど、二回目はどんなタイミングになるか、杞憂かもしれないことを含めてまだなにも分からない。それは接種会場で訊いてみる。直前に体調を崩すことがないよう早めに眠るがよい。