ユンナンエンシスがオンラインで注文できるようになっているのを見かけた。苗が三つか四つ欲しいけれど、当たり前のこととしてその後育てる覚悟を醸造してからでないと、購入ボタンは押せないな……。冬咲き品種は育苗数が比較的少ないのではないかと思う。苗が流通に乗るピークは冬の終わりに来るものの、のんびりしていたら手に入れ損ねてまた次の年、ということもあり得る。早めにはらを決められたら。
2021年7月4日(日)
朝のうちに業者さんが来て、照明の設置や水道の修理などについて、母と一緒に見積もりの説明をしてもらった。こちらの要件を伝え、もう少し安くならないかどうか、一週間後にもう一度説明に来てもらうことに。普段使いのスマホがディスプレイに故障をしたため、あす端末を交換する。グッチ裕三さんと金田朋子さんがパーソナリティを務めるラジオの「今夜もうまいぞぉ!」は、三月に番組が終了していたらしい。あああ、いまさらなにを言うのかという話だ、でも残念……。数日前に比べて気分は多少安定したものの、まったくのポンコツ。眠るがよい。
2021年7月3日(土)
昼過ぎから庭に出て、母と草むしりをする。猫のお墓の周りに去年植えたシュウカイドウは、びっくりするくらいみっちりと種で増えていた。数年も経てばあたりはシュウカイドウで埋まるかもしれない。母が造花を墓へ供えていた。
2021年7月2日(金)
日がな霧雨が降る。しばらく静かに過ごすのがよかろ。
2021年7月1日(木)
血液検査の結果は一週間ほどしたら、とのことだった。自分を棚に上げることではないものの、そこの先生はコミュニケーションが少ないのでは。あしたはうちの猫の命日。彼女の墓に飾る造花を買ってきたと母が話していた。
2021年6月30日(水)
気がかりがあって泌尿器科へ行くと、採血はあす朝にとのこと。市のワクチン接種について検索したところ、僕は基礎疾患持ちに該当するため接種券の送付申請ができるらしい。おそらく申請するけれど、ためらいが生じることにげんなりする。権利は淡々と行使すればよいはずで、公表はしばらく先というのが落としどころかな……。すいかずらのグラハム・トーマスは、すでに六つついてる花序のひとつが咲き乱れるように花開き、近づくときつい香水の香りを漂わせている。茉莉花もぱらぱら咲き始めた。気の塞いでしまいがちな時間を過ごしていることだし、こうした花を見ることに重きを置けたらずっと楽になれるのだろうな。
2021年6月29日(火)
HTML5がメインストリームの規格ではなくなっていたことを、少し前になにかの記事で読んだ。サイトの構文をXHTMLからHTML5へ書き換えたときは、新しい機能を持ったタグの多さに四苦八苦したんだよなー。これから切り替わっていきそうなHTML Living Standardは、それまでのものとの差分が現時点では少なく、個別の機能に小さな修正や強化を積み重ねていくようなアップデートの仕方がされているそう。いずれ書き換えられるだろうか。あー、まだまだ活力は戻ってこないらしい。こういうときに感じる焦りや苦しみは、こうあるべきなのにそれができていないという乖離にあるから、自分を縛る義務感はとりあえず外してしまおう。心がネガティヴな状態はいぜん続くように思う。
2021年6月28日(月)
自分が人より勝っている必要はない/他者と比べる必要もないってことは、日ごろ思い出すことではあるけれど、今のところ際限なく葛藤してしまうことであるなー。常に願って動機付けをしながら認知へ軌道修正を入れていけば、それはいずれ自分の考えになる、ということも知ってる。おとといから茉莉花が咲き始めた。すいかずらもつぼみの付いた蔓を獰猛に伸ばしている。もうじき六月が終わってしまうことに実感が伴わない。外界が閉ざされているときは当たり前だけれど意識の向きが内面へ向かうもので、春からlisnのお香を焚くペースが増えている気がする。言葉に頼らないイメージの世界を続けざまに旅行できるのが心地よいんだよね。「SMOKE TONE 04」に続けて焚く「231 AVENUE」は、日の光がよく差し込む喫茶店からおもての人通りへと繰り出すイメージがとりわけ気に入っており、香を何本も取り出したときのしんがりの組み合わせとして重宝してる。
2021年6月27日(日)
本を読んだりして過ごす。きのう二度目のワクチン接種を受けた母は、今回のほうが副反応は弱いと言っていた。午後から庭いじりをしていたからその通りなんだろう。日没後にしとしとと雨。宵の過ぎにごみを出した帰り、朴の木の下で雨宿りをすると雨音は大きくばたばたと聞こえた。あー、心が弱っていると些細な失態をひどくいたたまれないものとして思い出してしまうなあ。活力があるときにはそうしたことは脳裏を横切ることすらないから、物事というのは主観での受け止め方次第なのだと思う。それはそうとしても客観というのは仮想で、人に生まれたら自分の視野からものを見て生きざるを得ない以上、心の向きやスイッチを入れたり切り替えたり、楽になる認知のチューニングを探しながら試行錯誤しような。
2021年6月26日(土)
アマゾン河の博物学者は半分まできた。