2025年8月4日(月)

昨晩未明の就寝から目覚ましをかけず、遅くに起きて仕事へ。心身のコンディションが微妙にすぐれないなかよく頑張りました。頑張らなくてもよいのだけれどね。朝に相対したコンビニの店員がやな感じで、その感じがうっすら尾を引いている。じぶんもつまらないことを大きくしてしまうものだなと思うけれど、それはベースの体調がよろしくないしるしということで、ほどよいところでお布団へいこう。先日の視聴つながりで、Spotifyにて『菊次郎の夏』のアルバムからSummerを聴いている。このアルバムジャケットがすごくびびっとなるなあ。上のほうではまさおくんが手を挙げており、下のほうではビートたけし扮する菊次郎が手を望遠鏡のようにあてがって遠くを眼差している。少年のひと夏の思い出という表向きのテーマからすると、なんかとても鋭利でぎらっとした感じさえする。無軌道な菊次郎のなかの、まさおくんとのあの道中でいまを生きていた=過去と未来を眼差そうとしていた体感、あるいはそれらが眼差せないという空虚さを伴った体感が、このジャケットからひりひりと伝わってくるような気がする。このSummerという音楽は夏の涼しいところに乗って流れてくるようで、これから先の時代はいっそうこの懐かしさや憧れが強く感じられるようになるんだろね。ほんとうに胸が切なさでいっぱいになる曲。

2025年8月3日(日)

注文された作品をヤマト便に出した。いろいろと試行錯誤のあとが分かる感じだろうけれど、これでよし。あとで注文してくださったスタッフさんに連絡を取ろうか、考え中。あんまり長湯したせいで変な時間になっている。ひとまず眠るがよい。

2025年8月1日(金)

用事をあれこれ片付けるために朝はいろいろ回ったり。ムーミンの切手を購入。注文いただいてデータを送った作品が印刷所から届いたため、その梱包資材やメッセージ用の便箋類を購入したり、プリンタがインク切れなため納品書をネップリで印刷したり、ほか買いものなど。どうしよう? と試行錯誤しているのはメッセージカード的なそれ。便箋類と、筆記用具と、文面。オンライン越しにひとさまの作品を購入した際に同封されてきたものたちは取ってあるからそれらを参考にするとして、改めて思う、皆さん工夫されてるのだなー。便箋的な紙をどうしようかということで、水彩画用紙のワトソン紙といろいろに使われるアラベール、の生成りぽい色味のをAmazonでポチってみた。ミドリのMD用紙は手元にたくさんあり、これが無難かも。とくに意味もなく蒐集している百均のレターセットは一期一会的な側面があるから、使い続けるには向いていないと思う。こうした物品の選択肢ばかりは都市部に暮らすほうが恩恵を受けるよねえ、べつに出かけていけばよいことなのだけれど、ものぐさなのだな。逆にさして凝ることでもなく、さらっとできたらそれがよいのかもしれない。初めてなので見よう見まねの手探り。今夜は台風が近づく影響で風がざわついており、一晩だけ季節の巡りを早めたかのように異邦の気配がそこかしこに漂っている。あすというかきょうからはまた猛暑であるけれど、今夜のおかげで気分はその先も見はじめつつある、かも。

2025年7月29日(火)

きのうは書き忘れた。朝早くから炎天下を作業していたためか、疲れて昼休み中にすこし眠ってしまったのだった。それを皆さんが心配して、もう帰りなさい、あしたは暑すぎるから会社命令で休みにする、となったのがきょう。なにもせずに過ぎし日。当初は三日分の仕事を二日で終わらせてそのぶん休もうという目論見だったのだけれど、まあこういうのも頑張りすぎかもしれないし、どのみち時間給なのだし、適度に休んでちょくちょくさぼる、くらいのあんばいでいまはよいのだろう。ともすると気づかずにいることとして、ここしばらくストレスは感じておらず、メンタルの力みもなく平穏。そうなるととくに考えることもしなくなるようで、これは疾患特有の思考のループから楽になっている点では僥倖なのだと思う。やはり身体を動かして植物相手にひとりでする庭師という仕事は健康によいなあ。もっか欠落している意欲や楽しさの感覚については、主治医からはみんなそんなものだよと認識を変えて楽になる提案、担当スタッフさんからは楽しかったことに一日十五分でも触れて取り戻していく方法、を伺った。いまの気分は後者。関係のない話として、ぬいのうちの仔たちがあんまりかわいいので、じぶんをあげてしまいたくなるね。あげる、差し出すってどういうことかよく分からないんだけれどさ。あした行ったら日曜までお休みにすゆ。

2025年7月27日(日)

朝からすこし遠くの直売所へ向かい、喫茶店でしばし過ごしたのち、山のなかの本屋で散財。写真集などが主。うちへ帰ってきてからは車の運転に慣れるためご近所をうろうろしたり、ベランダで焚き火したり、うとうとまどろんだり。車庫入れの際に車体をすこし擦ってしまった。慣れるまでのあいだにまた擦るかもしれないから、もうしばらく試運転して問題がなくなったらこの件は車屋へ連絡する予定。

2025年7月26日(土)

『プロジェクト・ヘイル・メアリー(下)』を読み終えた。じぶんにしてはさくさく読み進められた、おもしろい本だった。どこをどう言及してもネタばれになりそうな気がする。作品の注文が入ったため、印刷所へデータを送ったり、メールの文面を考えて送ったり。

2025年7月25日(金)

定期通院先へ行ったり、通所先へ行ったり。じつは通所先からの連絡について勘違いをしていて、展示会を開いていているので見に来てねということだった。じぶんの写真展が皮切りとなり、もっとほかの利用者さんたち合同で展示会を催しては、ということになったらしい。見にいくと、おおすごいとなるような作品がいくつも展示されていた。この先はもっと身近な発信をしてみたいという声が上がったとのことで、スマホ写真で撮った身の回りの写真展が予定されているとのこと。先鞭を付けさせていただいて光栄なような、こそばゆいような。連絡先を交換していた方と展示物の感想などやりとり。その方は近年停滞しているものの、こちらの感想を切っ掛けに作品をお披露目することにしたとのことで、素敵な作品を拝見できるのはやはり眼福で面映ゆいね。その方からは、こちらの個展がみんなの心に栄養を注いだからこそのこの流れと言ってくださった。よい流れが生じるときというのは連鎖するのだなあということをしみじみと思う。もうねむたいのでこのあたりで。『菊次郎の夏』を観た。作業の背景動画くらいに流していたら魅入ってしまった。この題名の意味が分かってから再び視聴するとなんだか趣が違うよねえ。久石譲のSummerも、涼しい午前中のうちに夏休みの宿題を片付ける……くらいの軽やかさがあってしみじみとする。まあじぶんは荒んでいた中学時代、夏休みの宿題はぜんぶ忘れたで通したふてえやつなんだけれども。傷のあった作品印刷の再注文をしていたらもう日付を越え真夜中。じぶんの作品はスリーブに入れると紙の表情が失われてしまうので、むき出しのままマステかなにかで蛇腹折りにすることを目論んでいる。急がなくてもよいのだけれど、仕事先の奥さまがこちらの作品を友だちに自慢してくださったとのことで、それでなくともいつ誰に披露することになるか分からないから、作品はまとまったかたちにして原付に乗せておきたいのだよね。もうねむたい。おやぷみ。