これは『植物を撮り続けた寡黙の写真家、カール・ブロスフェルト』自身の写真。
ちょっと言うと、「前髪焦げた」の前にもWebサイトを立ち上げ、投げ出していた。そっちでとある古本を購入した事を書いたところ、検索エンジンからその記事の単語目当てに飛んできたらしい人がいて、詳しく書いたわけでもないのにと後悔した記憶がある。後で調べたところ、その本が結構な稀書だと分かった。「Karl Blossfeldt 写真」という、百ページ足らずの割合薄いモノクロハードカバーの写真集。With atext by Rolf Sachsse、ベネディクト・タッシェン出版(Benedict Taschen)とあるのはドイツが本家の美術本らしい。昔の記憶では、この本の写真を丸ごと含めた大型の美術本「不思議の園」や「芸術の原型」というのがあったはずだが、それらの値段が万単位であったことと僕は美術本の蒐集家ではないのとで(写真だけならばGoogleイメージ検索でいくらでも出てくる)、この写真集の紹介を誰にともなく書き留めておく。
以下の文章は、上記のロルフ・ザクセという人物による10ページにもわたるブロスフェルトの業績についての端的な抜粋。
彼は植物を撮影した。それも、何千枚も。彼の写真にはほとんどいつも、花やつぼみや二股に分かれた茎、あるいは花軸の先頭に放射状に花が咲く散形花序や種嚢が真横から撮られている。真上からのは少なく斜めからとらえたのはさらに少ない。また、ほとんどいつもその背景は白か灰色の厚紙で、たまに黒の厚紙を背景に撮影していることもある。奥行きが感じられる背景は非常にまれである。撮影時の照明は北側からの窓から差し込む光で、拡散性だが、対象を一方向からのみ照らすため、それが立体感を出す効果をあげている。撮影技術と処理条件は非常に単純である。彼はミドルサイズのネガだけを使って平均以上のできばえの写真をものにした。意識を対象そのものに集中して、はずすことがなかったからである。30年以上もの間この男はそんな写真を撮り続けた。仕事、そう、植物の撮影は仕事以外の何者でもなかった。……
画像の裏表紙にも書かれているが、5ページ目の主張ははっきりしている。『カール・ブロスフェルトがわれわれに伝えたかったことの基本はただ一つ、工業デザインにおける理想の構築美はすでに自然が先取りしているということであった。』 悲しいかな僕には英語の細かい文脈を汲み取れないのだが、それでもこの本の主張はシンプルで強烈で分かり易い。どの植物も花弁や葉を摘み取られたり、時には恣意的に並べられたりして、無機質な雰囲気を醸し出している。モノクロであることがより一層無機質さを引き立てていて、はてこれは植物なのだろうかと感じさせる。そして美しい。
実を言うと、この本を手に入れたのは京都市内のブックオフの片隅で、それも五百円という「誰か買うだろうか」的価格設定だった。だから、この本を入手しようと思ってもどこへ行けば置いてあるのか、僕にはちと分からない。上の方で挙げた「不思議の園」と「芸術の原型」について言えば、ググるなり、建築・美術本に強い書店をあたれば見つかるだろう。あとはネットの気儘さに任せて、この辺で。