2011年3月1日(火)

紅茶ネタで更新しようと思っているうちに月が変わってしまった。やれやれ。

リーフルのダージリン数ヶ月前から珈琲よりも紅茶を飲むようになったことをここでちらほら書いた記憶があるのだが、ここ一週間かそこらで本当に紅茶は美味しいかも知れないと思い始めた。今、隣の棚には紅茶葉の缶が既に五つもある。マスカテルだのウバだの何たら農園だのファーストフラッシュだのオータムナルだのBOPだのFTGFOPだの、にわかにはまだよく理解し切れていない表記がずらっと並んでいる。

こうなり始めた切っ掛けは二つある。一つはシルバーポットというネットのお店で安くチャイを仕入れようと思ったときに、ついでだからちょこっとだけ他の茶葉も買ってみようと思ったこと。もう一つは僕がごく個人的に応援している絵描きさん(サイトはこちら、所謂ケモノ絵メインなので苦手な人は注意)が久しぶりにpixivではなく自サイトを更新されて、そこのコンテンツに紅茶に関する紹介を載せていらしたこと。この二つだ。

ちょっと話がずれるが、初めシルバーポットから届いたマサラチャイには、胡椒とスターアニス・バニラが入っていなかった。そこでそこいらの店で買ってきた黒胡椒の実とその粗挽き・ハーブティーのペパーミントを適度に袋で混ぜて淹れてみたところ、中々美味しいじゃないかという結果になった。あとはアニスとバニラビーンズだが、これはブレンドする量としては少々お高いのではないかと思って躊躇している。まあ一缶50gやそこらで二千円する茶葉を幾つか大した躊躇いもなく買ってしまったのだから、どうとでもなってしまえとも思う。

話を戻す。シルバーポットで試しに購入したダージリンが気に入った、までは良かった。上記の紅茶のコンテンツを読み進めるうちに「もっと美味しい紅茶があるのだろうか」と考え始めてしまったのである。どうやらダージリンには季節ごとの違いや栽培農園の違いなど色々あるらしい。欲望に忠実であれ、という脳内のささやきのままに、気がつけば幾つかの紅茶葉を専門に扱っているお店、シルバーポットや紅茶舗 葉々屋リーフルダージリンハウスオンラインルピシアからパッケージやら缶やらが届いていた、という次第である。

以下、それぞれの紅茶を淹れ比べてみた感想。僕は紅茶に関してはにわかの素人なのであまり詳細なことは書きたくないのだが、これから先、もっと紅茶に詳しくなって舌も肥えてきて、本当に紅茶が好きなのだと言えるようになった時、そんな過去もあったなと振り返る為のメモとして書き記しておく。……余計なことだが、下手に知恵が付いたので覚えるために。以下に記す(S)FTGFOPというのはオレンジペコー(OP)のランクのこと。FTGFOPと書かれているのはオレンジペコーの分類の中でも「ファイン」で「ティーピー」で「ゴールデン・フラワリー」、要するに良いトコだけを選りすぐった葉っぱ、のこと。

条件は各茶葉ともスプーン大盛り二杯(7~8gほど)、お湯は近所の地下水脈から汲み上げられている水道水を沸かしたもの約350cc、抽出時間は5~6分。時間を計るのには3分と5分の砂時計を使った。一度淹れてみてからさらにもう一度自分に合っていそうな条件に微調整をしている。ダージリンの春・夏・秋摘み・ウバと順番に味わってみた感想。

  • ダージリン 2010年 1stフラッシュ プッタボン茶園 SFTGFOP1 DJ-14 ClonalQueen
    • なんだか紅茶らしくない……。水色(すいしき)は萌葱と褐色を混ぜ薄めたような感じ。茶葉はうぶ毛がたくさん生えていて、出し殻は鮮やかな若草色。全体的に「青い」なあ、と感じた。詩的なのは結構だが他に表現が見つからないのだから仕方がない。後述する茶葉と比べて渋みはあまり感じなかった。
  • ダージリン 2010年 2ndフラッシュ セリンボン茶園 FTGFOP1 FieryMuscatel
  • ダージリン 2010年 2ndフラッシュ オカイティ農園 FTGFOP1 DJ-94 MuscatelDelight
    • 農園の違いは今の時点では分からなかったが、他のシーズンと比べると明らかに、これは自分のイメージする紅茶らしさだ、という味がした。甘い香り、これはマスカテルフレーバーと言うのか。言われてみれば果物の香りに似ているかも。お茶の渋みがしっかりあり、他のものより爽やかで香ばしい印象。好みかも知れない。水色は何というか、紅茶色そのもの。
  • ダージリン 2010年 オータムナル キャッスルトン農園 FTGFOP1 DJ-375 SpecialChina
  • ダージリン 2010年 オータムナル ナムリン農園(Upper) FTGFOP1 EX-581
    • 春摘みと夏摘みの違いは割合明確だったが、夏摘み(2ndフラッシュ)と秋摘み(オータムナル、ダージリン地方での雪が降る少し前)の差はそこまでではない感じ。渋みは夏摘みよりは穏やかで、全体的にまろやかだと思う。秋という呼称に印象を惑わされている部分はあるかも知れない。構えて味わうより、気張らずのんびり飲みたい雰囲気。
  • ウバ 2010年 8月摘み ウヴァハイランズ農園 BOP VintageUva
    • これは初め、蒸らす時間を間違った。BOP(Broken Orange Pekoe)という品で茶葉が細かく、添付の淹れ方説明に三分ほどとあるのを上記のダージリンと同じ要領で倍の時間蒸らしてしまった。あれは少々苦過ぎたな。淹れ直してもう一度ポットの湯気から香りを嗅いでみると、花のような、上品な香水のような甘い匂いがした。本当。あまり嗅覚の良くない(五感がおしなべて良くない)僕がそう感じたのだから、普通の人ならとても香り高いと感じるはず。果物の匂いとはまた違う甘さ。渋みは一回目の抽出より確実に和らいでいたはず(二回目は三分ちょうど)だが、それでもダージリンの2ndフラッシュやオータムナル(このときは六分だった)くらいはあった。美味しいと感じるにはある程度慣れが必要かも。蒸らす時間をもっと短くして香りをメインで楽しむように淹れると良いのだろうか。

……と、それぞれの紅茶の第一印象はこのようになった。決して気取るつもりでは無いことを、これを読む人がいたら了解して頂きたく思う。それと用語を調べている途中で、他者の主観の混じった感想に僕自身の感じた印象がどの程度影響されているか、その辺はきっと分からない。それでも自分で香りや味わいを楽しむぶんには構わないと思う。珈琲を飲まなくなって代わりに紅茶を入れるようになり数ヶ月経つが、何となくコーヒーメーカーで淹れていたのとは変わって、より美味しい紅茶を淹れる過程での試行錯誤が結構楽しい。上で挙げた絵描きさんのコンテンツに「紅茶のしぶみを楽しむにはある程度の慣れが必要で」「大人になると舌も変わる」「当初は苦いだけだったが戴くうちに楽しみ方が分かってきて」という旨のことが書いてあった。好きこそものの何とやら、ということだろう。僕は現在、紅茶もどうやら好きになりそうでいる。

そして、休題。

僕は以前去年の冬に、あるお気に入りの音楽を静止動画に編集してYouTubeへ投稿した。そして今年になりポケデジSQ30mを手に入れ、たまにその動画撮影機能を利用するようになった。そういうわけでこれはそのお気に入りを出しにした、今後YouTubeに上げるかも知れない動画を貼るための練習。良かったら聴いてみて欲しい。僕はこの音楽を珈琲や紅茶と同じ嗜好品として聴いている。たまに聴く事でより、実に味わい深い曲だなあと感じるのだ。音楽は人並みには聴いてきたつもりで、この「bayaka – Amanece(2003 ode music production remix)」は今の時点で僕の中での評価は一番か二番目のもの。これから先、より佳い曲に出会っても、この音楽の輝きが衰えることはきっと無いに違いない。

bayaka – Amanece(2003 ode music production remix)

2011年2月10日(木)

SQ30mに取り付けた魚眼レンズ「K-180」携帯電話用レンズ「トダ精光『マグネットマウント』シリーズ」ポケデジ「SQ30m」に取り付けてみた。

各種レンズ今使っているスマートフォンWILLCOM 03にぶら下げていたトダ精光の携帯レンズがトイデジにも使えるのではと思いついたので、余っていたマウント用リングをSQ30mのレンズ面に貼り付けたところ、上手くぴったり張り付いた。携帯レンズにはマウント用リングが二種類が付属していて、大きい方は内径9mm外径15mm、小さい方は内8mmの外13mmだ。今回は何となく接着力がありそうな大きい方を貼り付けたが、もちろん装着するレンズはリングが大小どちらでも構わない。ただ、どうやらSQ30mには大きいリングの方がしっくり来る感じではある。

望遠レンズK-501(2.0倍角) ノーマルで撮った部屋の本棚 ワイドレンズK-701(0.5倍広角) 魚眼レンズK-180(0.2倍広角)手持ちのレンズで撮ってみた距離感の違い。左から、望遠レンズK-501(2.0倍望遠)、ノーマル(標準撮影)、ワイドレンズK-701(0.5倍広角)、魚眼レンズK-180(0.2倍広角/180度)。写っている部屋が汚い事についてはご勘弁を。左三つの写真は中央の何も取り付けないで撮ったものと大きな差はないが、魚眼レンズで撮った写真は極端なほど広々とした写りである。みっともないところまで写っていて、これでも部屋は片付けた方だ。恥ずかしい。

SQ30mのノーマル撮影と魚眼レンズK-180装着時での写り具合の違いを更に比較。それぞれで二枚とも、撮った時の立ち位置は違っていない。瓶ジャムの棚 魚眼レンズK-180装着時 ドラッグストア 魚眼レンズK-180装着時 駐車場 魚眼レンズK-180装着時駐車場の写真など遠近が極端に強調されているが、それが魚眼レンズの味なのだろう。先日の雑記でPENTAXのデジ一用の魚眼レンズを使ってみたいと書いたが、これでは使う機会がほとんど無いかも知れない。ただ、上級デジ一機があれば夜空の星の巡りを撮る時などにちょうど良いのではないか。詳しいことは各種レビューを見てないから分からないが、天空の星々を一枚の写真に収めたい時、周囲に遮る物がないのなら、極論魚眼のような超広角レンズが撮影には向いているはずだと思う。

今手元にある四つのレンズのうちマクロレンズK-400(4.0倍接写)はSQ30mでは扱いが難しい。装着して撮ってみると分かるが、ピントが上手く合わないのだ。SQ30mには接写モードがあり、このマクロレンズを付けて撮る場合は接写/ノーマルどちらでも写りに大差はない様子。上手くピントが合うのは4~5cmほどまでレンズを近づけて撮った時だ。

メーター マクロレンズK-400装着時(接写モード) チーズのぬいぐるみ マクロレンズK-400装着時(接写モード)SQ30mの接写モード撮影とマクロレンズK-400装着時(接写モード)での写り具合の違い。このマクロレンズK-400、トダ精光の製品紹介ページに書いてあるとおり、虫眼鏡的な使い方が少なくともSQ30mでは正しいらしい。焦点(ピント)が合う距離は自分で探すしかないわけだ。

僕がこの「マグネットマウント」のレンズを買ったのはもともと、WILLCOM 03 WS020SHの内蔵カメラに不満があったからで、ワイドレンズK-701などは普通の風景写真を撮る時心持ち広角で写せるので重宝している。魚眼レンズK-180とマクロレンズK-400の使い心地は微妙なところだ。使い時をその時々で判断する必要がある。望遠レンズK-501はこの場合器用貧乏な感じもする……近づいて撮りたい時のためにSQ30mには接写モードがあるわけで。ワイドレンズと併用するから別段構わないのだけれど。Amazonで売っている「トダ精光 ケ-タイレンズ」シリーズはコンデジやデジ一のレンズに比べれば格段に手頃な価格で購入出来、製品仕様は光学ガラスにアルミボディのmade in Japanという出で立ちなので、「手軽に本格的レンズを使って撮影してみたい」という方はこの辺りから始めてみるのも良いかも知れない。

余談になるが、僕のWILLCOM 03は大容量バッテリーを装備しているので、カメラのレンズの縁すぐそばにバッテリーカバーの出っ張りがある。マウント用リングの大きい方ではそれに引っかかってしまうため、径の違うリングを付属してくれたはからいには気をよくしている。トイデジにも色々あるだろうし、場合によってはレンズ付属の小さいリングでもはみ出してしまうかも知れない。そういう場合はねじを締める時使う平ワッシャーの小さいのをホームセンターで買ってきて接着してみるのが一番良いと思う。アルミ製は磁力でくっ付かないので、ステンレス製のものを探せばいいわけだが、ま、探せばあるだろう。

2011年2月6日(日)

二週間ぶりの更新になるか。義務に駆られてするものではないし、まだ気力に欠けているので手短に。

ここ二週間ほどだらだらと紅茶を飲み、夜になれば星を眺めたり、Twitterにボトルメールを流したりしていた。

アルコールランプ紅茶はフォションのチャイが美味しい。しかしコーヒーより割高だ。最近はコーヒー豆の相場価格が高沸しているらしいが、それでも高い。店頭で買うからそうなのであって、ネットの直輸入サイトを探せばいいのだが、とにかく美味しいものは譲れない。ハーブティーなどは手持ちの薬草辞典を頼りに少しずつ開拓している最中。マローブルーはあまり好みではなかった。

今使っているティーポットはカップ二杯分あり、淹れ立てを飲んでいるとポットの方が冷めてしまう。なので、小さい頃凝っていた化学の実験セットからアルコールランプを引き出して暖めるのに使っている。が、これがえらく油を食う。好きな時お茶を飲みたい、その好きな時には常に熱くなくてはならない、これを両立するとランプに火が付いたままの放置、となるので致し方はない。油にも種類があり、消毒用エタノールから工業アルコール、アロマ用の香りやら炎色付きのオイルなど色々ある。個人的には炎色付きオイルを安い工業アルコールで薄めて使ってみたいのだが、果たして混ざるものはあるだろうか。

おおぐま座周辺の星空夜空を見ていて覚えたのは北極星の見つけ方とおおぐま座の星の結び方である。北斗七星の柄杓の頭の二つ星を線で結んで延長していくと北極星がある。また、カシオペヤ座を二等辺三角形にすぼめて行くと先の線と交差して天の北を指す。北極星は確か二等星なので少々目立たない。おおぐま座の尻尾である北斗七星の柄の方にはアルコルとミザールがあり、これは見かけの二重星であるらしいのだが、僕の目が悪いのか、星が二つあるようには見えない。古代のギリシャだかどこだかでは目の良い兵士を選り分けるために、この二重星の陰のミザールを使っていたという話だ。この逸話は去年の秋にプラネタリウムで観た知識の受け売りではあるけれど、十分役に立っている。広角レンズ「PENTAX smc PENTAX-DA 15mm ED AL Limited」で撮った写真をレタッチソフトで加工しすると星が眩く浮かび上がる。僕の使っているデジ一「PENTAX K200D ver.1.00」は初心者用の入門機であり、まあ今の僕にはこれくらいでちょうど良いのだが、長時間露出撮影には向いていない(1/3000~30秒が限度)ので星が弧を描いて天空を巡る様子は撮れないでいる。上級機も欲しいことは欲しいし、魚眼レンズというのも使ってみたい。差し当たってこのデジ一での写真撮影に困る点は見当たらないし、魚眼レンズは手持ちのスマートフォン(WILLCOM 03 WS020SH)で実践済みなので、まあ良いだろうと思っている。

TwitterのボトルメールというのはこちらBottleTwit – つぶやきの海にボトルメールを流すの事だ。BottleTwitの仕組みは瓶の幾らかをサーバーにしまっておき、新しい瓶が出来た時に古い瓶から順に押し出され漂流して行くものらしい。だから瓶を流しても、誰か(若しくは自分)が一定数上書きしてくれないと自分の瓶はいつまで経っても流れていかない。BottleTwitのサービス開始日は2010/04/07らしくまだ一年も経っていないので、現時点では瓶が流れ出すのに大凡二、三日かかっている模様。もっと沢山の人が利用するようになると良いなあと思ったのでここに書き留めておく。

昨日は先の青空市へ行ってきた。前より人が多かったのはここしばらくお天気がよかったからだろうか。トイデジ「SQ30m」で色々冷やかしているとよく声を掛けられた。その小っこいのがカメラなのかい? という訳である。前に欲しかったもののH-IIB打ち上げ中継のため諦めた品、ぬいぐるみのあの猫を探して回った。化け猫アイコンメーカーのあの猫みたいな、といっても分からないのは当たり前なので、売り子の奥さんに「こんな目の形した灰色の寝転んでる猫」と説明して探して貰ったりはしたが、結局自分で見つけた。聞くところによるとこの猫、「チーズスイートホーム」という漫画・アニメのキャラクターであるらしい。後で自宅に帰ってからググるとまん丸に目を見開いたかわいらしい猫のイメージ画像が沢山出てきた。ただ、僕が気に入ったのはぬいぐるみの下弦の月な目付きの方である。

街灯と空 将棋の駒 ブッダなのか ミル 昔の看板 お多福 洗濯バサミ 二煎茶、与一の郷 大田原とうがらしソース 白梅 ネコヤナギ 大田原産コシヒカリ2000円 味噌と練り合わせてご飯に チーズスイートホーム 青空市の雑踏 まめだぬき……? 古銭コレクション ウミガメの子 公衆電話 ゆうびん 普通の石ころに見えたのですよ。

自宅に帰ってSQ30mで撮った写真を整理していて、あの市のあちこちで撮った貴石の写真がお日さまの下で見たのとでは違っていることに気付いた。確か貴石には太陽光と蛍光灯とで変色効果を持つアレキサンドライトAlexandriteや、観察する角度で二色性を持つダイクロアイトDichroiteなどがあるのは図鑑で見て知っているが、無色透明な水晶も撮る角度や光の加減で群青の青に写ったり紺碧の緑や茶色の縞が写っている。デジタルな機械の目と人間のそれとの違いについてなど初めて知った。記憶違いでなければデジ一のレンズフィルタには偏光する類のものがあったはず。あれを使ったらどう映るだろう。

手短に書くと書いたが長ったらしくなってしまった。書くことそのものは僕の精神の健康でもあるので別段困らない。ただ簡潔にまとめる才があれば困らないだろうにと考えている。この雑記日記たちはそれなりに簡潔でもないし大して冗長でもない。ま、良いだろう。

2011年1月22日(土)

今日は風もなく穏やかな日和だった。あちこち出掛けて道の駅那須与一の郷│栃木県大田原市のフリーマーケットを覗いてきた。帰宅後JAXAのサイトからH-IIBとHTV2の打ち上げlive中継を見る。

三羽のアヒル SkyHigh あしあと? 車庫

道の駅那須与一の郷│栃木県大田原市では、土曜日と日曜日の日中、広場で青空市というかフリーマーケットが開かれている。市に出されているものは様々で、骨董品、陶器や花瓶に置物、貴石やアクセサリ、古着、風水と姓名判断などなど、およそ「好きだからやっている」と呼べる出し物が居並んでいる。

まだ名無しの二人この道の駅は家に帰る途中たまたま通りかかったのだが、そういえば土日はフリマやってるんだった、と思い出して立ち寄った。初めは冷やかすだけのつもりがぬいぐるみを大々的に市に出しているところに出くわしてしまい、終始にやつきながら好ましいものを物色し、結局店の主にもオススメされたウサギを七百円×二人分、百円おまけの千三百円で譲って貰った。主の話によればこのウサギたちは初め真っ白ウサギを含めたトリオだったらしい。午前の間にその白ウサギだけ売れてしまい、残ったのが彼らなのだそうだ。三人組で揃えられなかったのが非常に残念だが、まあいいや。気に入った。

午後二時半ごろに行われるロケットの打ち上げ中継を見たかったので、丹念に他のぬいぐるみを探すのを諦めて家に帰ってきた。どのみちフリマは明日も開かれるはずだし、それが駄目なら一週間後だって、のんびり気長に矯めつ眇めつ見ていけばいい。

木彫りの母と子 招き猫のタグ 重たい木の化石 尾っぽを立てろ トンボ玉 ガラスの梟 青空市の或る風景 居並ぶぬい達

こうのとり2号機(HTV)とH-IIBロケット2号機の打ち上げ中継は数十分ほど前からネット配信で見ていて、エンジンとブースターに点火したかと思う暇もなくリフトオフし一瞬で空の向こうへ上っていった。プレスリリースによればHTVはこの後五日ほど掛けてISSとドッキングする計画との事。僕は以前、ISSとシャトルがランデブーしている最中の写真を撮った事があり、条件がよい夕刻ならば肉眼でもISSが天空を駆け抜けていく様子が観察出来るので、興味がお有りの方はJAXA 国際宇宙ステーションを見ようのページから情報をたぐってみると良いかも知れない。

2011年1月21日(金)

SQ30m部屋の掃除と本棚の整理に掛かりっきり。

七年ほど前から購読しているNATIONAL GEOGRAPHIC 日本版がそろそろ本棚を圧迫し始めた。付録のごちゃごちゃとした小雑誌を捨てればあと二年半は保つのだろうが、こういうときに思い切って捨てられないのが自分の駄目なところだ。そもそも捨てきれずにいる小雑誌にしたって、別の棚に移し替えればいいのだし。

それよりも、昨年の秋から年末にかけて買い込んだ中古本の類が呆れるほどの積ん読の山となっていて、数ヶ月近く放置していた自分にも呆れた。冬の寒さに引き籠もりがちになる事を予想して買い込んだのはいいが、今日のように思い立って整理整頓と読了を心がけていかないと部屋に足の踏み場もなくなる。以前書いたような気がするが、僕は収集癖持ちであり、その対象にはもちろん本や雑誌も含まれている。知る事と集める事を両立して満足させてくれる本に対して、僕は割合な愛情を抱いている。だから手放せない。以前Webのどこかで「書棚の育て方」という短編SFを読んだ記憶があり、いつかああいう書棚が欲しいなあと思う。

昨日、POCKET DIGITAL CAMERA “SQ30m”というトイデジを買った。

トイカメラと言えばHOLGAだが、僕は飽くまでおもちゃという性質にこだわってこのトイデジを選んだ。シャッターを押してから撮影まで数秒掛かる点が難だが、このトイデジは至ってコンパクトでシンプルだ。撮影モードにノイズやモノクロ、ビビッドといった選択肢があるのも遊び心を刺激してくれる。

魔女宅のジジ 犬のエリー ナショジオ

撮像素子195万画素というのは十数年以上前のデジカメと同じ程度の数字だ。その辺は割り切って使おうと思う。

2011年1月17日(月)

あれこれ思うが言葉にならない。

落丁の多い記憶
過去にいつかどこかで起きた出来事が、抄った砂が手のひらから零れ落ちるように頭から抜け落ちているのを近頃よく感じる。例えるならドーナツの真ん中に穴が空いていると認識しているような状態で、食べ終えてしまえばその穴さえ虚空へ消えてしまう。膨大な記憶の中に人は生きている、と言ったのは誰だったか。きっと、気張って過去なんか背負わなくても、どうしようもない昨日を笑って不確かな明日を信じて過ごせるなら、いつか訪れる断絶の時を怖れずに受け入れつつやっていけるなら、様々な流れの中へ其処に在った軌跡を残せるなら。それは決して空ろな一幕劇なんかではなかったと言えるはず、それなのに。
ひとりで在ること
学生の頃、所属していた経済研究サークルの同期の子から「君はとても鋭い」と言う風なことを言われた事がある。「人をとてもよく見ているね、でも自分もそんな風に見られているのかと思うと少し怖い」とも言われた。当時それが少し悲しかった。無意識のうちにコミュニティの輪から一歩退いた場所にいる自分を否応なしに認識させられた上に、悪意のないいささかの畏怖を纏った拒絶を感じたからだ。仲間と交わす議論は面白かったけれど、そんな輪の内で時折気付かされる孤独ってのは、雑踏の中でふと立ち止まる瞬間のように寂しい。いつしか僕は少しずつ同期達と距離を置くようになり、とうとう何も言い残さずにサークルと大学を去った。あの時分に感じていた孤独とは何だったのだろうと今でもたまに考える。
『……そのころぼくは二十歳だった。二十歳は退屈な年だ。若いというのはすくなく、苦く、うつろなことだ。その年で生きているのが楽しいという人間を、僕は信用しない。……』娼年(石田衣良 著)
一体、あの寂しさや空しさは若さにありがちなただの感傷だったのか。まさか僕はおセンチな煽りなどのために幾度も死にかけ彼岸を見たのだろうか。何れにせよ月日は瞬く間に流れ去り、現在の僕は程よい孤独に存外の居心地の良さを見出して、遠くなってしまった彼らの背中を時々振り返る。
若さの特権
mixiの出来婚バツイチなマイミクさんが、恋がしたい、とか、誰かと暮らしたくなっちゃった、とか、次の彼氏のスペック*女性向け診断なんて書き連ねている日記を読むにつけ、彼女の元旦那が引き取っていったという赤子の将来を案じてみたりするなど下世話な話で。
甘い水、辛い水
先日、死にたがってばかりの友人を突き放して批判した。僕は、親友ならば時として必要に応じ手厳しく接する事もあるのが健全な付き合い方だと思っている。けれどもそんな僕の声は鬱屈し過ぎた彼の耳には届いていないらしい。都合の良い馴れ合いや自棄っぱちの煽り合いは忽ち人を腐らせる。死にたいなら誰からも忘れ去られてからにしてくれと率直に言えない僕は甘いだろうか。そもそも僕に他者を批判する資格なんてあるのか。人はそれぞれ、なんて体のいい言葉に逃げるつもりはないけれど、彼が僕の言葉を受け入れないのならばそれも彼の在り方だし、少なくとも僕は僕自身の持つ善意好意義憤から彼に接したつもりで、そこには十分に確かな理解や道理などが欠けていたかも知れない。「人の友たるものは、推察と沈黙の、熟達者でなければならぬ」。ともかく生きていてくれ、いつか時が癒してくれるさ、なんて陳腐で残酷な神頼み。悲しいかな、沙漠を内に蔵する者は。人づてに頼まれてもいるけれど僕だけの力じゃもうどうにもならない。
昨今の視聴者の現実離れ
毎回必ず人が殺される刑事ドラマを見るのが楽しみな母の心の健康を密かに疑い始めた今日この頃。
何を見てもそればかり思い出す
ちょうど一ヶ月後が父の十三回忌にあたる事を思い出した。父は社労士を兼業する技術者であると共に君子蘭の栽培と品種改良に関するセミプロで、名もない新品種を幾つか遺し癌で逝った。その影響で僕は一頃、農学の道へ進んで雪割草の専門家になりたいと夢見ていた時期がある。昨年の盆、父の学生時代の友人が墓参りにやってきて、彼らが若かった頃の思い出話に花が咲いた。故人を忘れずにいてくれる人がいる。ありがたい事だ。膨大な記憶の中に人は生きている、と言ったのは誰だったか。父が二十年以上昔に興した会社も平成不況の波に攫われながらニッチな需要に活路を見出し今でも何とか存えている。様々な流れの中へ其処に在った軌跡を残して去った父は最期まで偉大だった。この時期の、肌寒く静かで眠れぬ今日のような夜に、あの頃の事ばかり思い出そうとしている自分がいる。
愛情の天秤
『セルロイドの人形に魂が入る事だってあるんだぜ? まして奴は脳医学用のデバイスを詰め込めるだけ詰め込んでるんだ。魂が宿ったって不思議はねぇさ』(攻殻機動隊 -GHOST IN THE SHELL-)
世の中のおそらく大多数の人々が彼らの家族や伴侶や仲間を大切に思うように、或いは養っている生きものを慈しむように、はたまた手間暇掛けた車やバイクに夢中になるように、それらと同じ重さで僕はただ、でっかいアクリルと綿のかたまり達を心あるものとして愛でているだけなのに。美少女フィギュアとやらに萌える事がもはやステータス化されようかという現代に於いて、片やぬいぐるみを抱かぬと眠れぬ厄年男の僕は馬鹿だ幼稚だ金の無駄遣いだと侮蔑されている。納得し難い。我が家とこの国の正義は一体これからどこへ向かうのだろうか。
それらはきっと等しく正しい
「欠落や喪失を糧としてしか創作ができない人種というのはいて、私もその類の人間です。」
「喪失を原動力にしている人間には何も期待してはいけない。どこまでも空っぽの思い出しか持っていないから。」
互いに面識のない、質の高い文章を書く物書き同士のこのように見事な意見の齟齬を見掛けて、僕は何かを喪失した事はあっただろうかと少し考え、ああ、喪失した事自体を喪失しているらしいからどうしようもないよねという割合楽観的な結論に達した。
唖の鴎はさまよいつづける
初め、このサイトを含めたWeb上での立ち居振る舞いに際して、はなからご大層な主義主張や動機などは持ち合わせていなかった。ただ、自分自身の存在の軌跡を確認出来て、その上で一握りの見知らぬ他者にそれを幾らかでも知って貰えたなら、そういうごく僅かな願望からWebの各種コミュニティに属している、というのはおそらく正しい。僕は少々退屈な僕だけに許された人生の暇潰しに耽っているばかりだから、残念ながらそれらはきっと「あなた」にとっては何の娯楽にもなりえないだろう。僕が自分の欲求に素直になればなるほどに、それらはより退屈で無感動で誠実さに欠けた見苦しいだけのものとなる、そんな確信めいたものがある。座右の銘の「欲望に忠実であれ」とはつまりそういう事だ。随分と身勝手で体の良い願望だと思っている。でも、「あなた」に迷惑を掛けるような事だけはきっと無いから、あったとしてもほんの僅かな間「あなた」の意識の隅っこを小川の朽ち葉のように流れ去っていくだけで、僕もそれで十分満足するし、どうか気に留めずに頂ければと思う。所詮は唖の鴎。沖をさまよい何を待つやら、けれども無言で、さまよいつづける。それだけの事。僕はいつでもどこでも何かしら、ささやかな希望を胸に待ち続けている。

2011年1月11日(火)

猫のサキさんお気に入りのブログを読んでいたところ、猫が部屋に入れろと騒ぎ立ててきた。毎度のことながらこいつは暇なんだろうか、いつも音楽の流れている場所が好きなんだろうか、とごちゃごちゃ考えながら招き入れてやった。猫は早速セミハイベッドへよじ登って、一瞬だらしなくぶらんと布団からぶら下がって、それから何もなかったような目付きでいるかときつねのぬいぐるみの脇へ陣取った。

この猫、名前をサキという。関西の方で学生生活を送っていたころペットショップで買ってきた猫で、子猫のころは良く懐いて寒い晩など一緒に布団の中に入れてやったりしたものだが、成猫になってからはなんとも素っ気ない性格に育ってしまった。大人の猫というのはみんなこうなんだろうか。

この文章を書いている最中にも部屋から出せとせがんだり、また入れろと騒いだり、気まぐれ一つで人を動かしている。僕は他人の気まぐれに付き合うのがおっくうな方なのだが、猫なのだから仕方がない。僕が晩ご飯に手を付ける時など、必ずヒーターの前からのそのそとやって来て、脇で黙って座っている。少しよこせと言いたいらしい。一緒に席に着いている家族に対してはそういう事をしないから、僕はガードが堅くないと思われているんだろうなあ。

話変わって、三月から簿記の資格を取るための学校に通うかも知れない。講座の案内パンフがそろそろ届くころだ。六月と十一月に試験があるらしいことはググってから知った。勉強するなら一発で受かりたい。勉強なんて大嫌いな僕だが、もうじきやらねばならない事も増えてくるだろう。今年の目標は少しずつのステップアップだ。

2011年1月6日(木)

病院へ行ってきた。木曜の診察は午前の間だけなので、少し急いで原付を飛ばす。

去年の年末に貰った新しい薬が僕の体には合わなかったので、余った薬を医師に返して変更して貰った。この新しい薬、いや、処方としては古い部類なのだが、少し多めに飲むと体中の腱が痙攣して異常な疲労感に苛まれるという事が二度あったので、もう三度は飲まぬと決意した。Webを漁っても情報があまり出てこないのであまり好まれる薬ではないんだろう。

病院を出て、ふらふらと百貨店へ向かった。ちょっと良いコーヒーを買う時はいつもここのKEYCOFFEEで買うようにしている。モカとトアルコ・トラジャを200gずつ、細かく挽いて貰った。

それから高級な紅茶とジャムを買った。ちょうどこの時期が母の誕生日にあたり、母は紅茶とパンが大好きで毎朝それを食すので、贈り物がてら渡すためだ。品の良い紙袋に移し替えて渡したのだが、気に入ってくれたかどうか。

昨日Amazonで歴史秘話ヒストリア オリジナル・サウンドトラックとKalafinaのstoriaを購入した。正月の夜、夜更かしをしていてふとつけたテレビのNHKで見掛けた歴史秘話ヒストリアという番組の曲がとても佳かったので思わず買ってしまって、改めて聴いてみるとやはりよい。梶浦由記率いるユニットのKalafinaというのが気になってstoriaというシングルも聴いてみたが、こういう雰囲気の音楽は非常に好みだ。調べてみるとニューエイジというジャンルに近いものであるらしい。リンク先のWikipediaにはお気に入りなピアノ演奏家の久石譲や坂本龍一などが並んでいて、ふむと思った。

以前の僕はピアノジャズやクラブミュージックに類するものを良く聴いていたのだが、いつしかいわゆるヒーリング、環境音楽や自然の背景音楽を転々として上記のニューエイジにたどり着いた訳だ。僕の友人の二人はギターをやっていて、彼らは自宅へ遊びに来るとロックの話題で盛り上がったりするのだが、僕はロックなんて全く知らないので「レッド・ツェッペリンって凄いのかい?」などと常識の明後日な質問で彼らを困らせたりしている。そんな風に偏った音楽の聴き方をする僕だからニューエイジというジャンルを知らなかったもの致し方ないのだが、この音楽の枠組みはとても広い間口を持ったものらしいので、少しずつ開拓していこうと思う。

話は変わるが、未だに僕はクラシック音楽を聴きたいという気持ちになった事がない。有り体に言うところのJ-POPもあまり好みではないから、カラオケへ連れ出される事があってもすぐに聞き手に回ってしまう。なぜだか僕は子供のころから定石や流行というものに疎く、たとえば小学校中級生のころ友達に貸して貰ったゲームボーイのポケモンが初めてゲーム機に触った折だったのだが、何が面白いのか分からなくてすぐに返してしまった。クラシックしかり、世間や世代の定石と僕の感性がずれているんだろうなあと思う。まあそれでも、自分一人で楽しむ事を知っているから僕はあまり悲しくはない。

カラオケで思い出したので書いておこう。関西の方で暮らしていた頃、祇園のクラブでホストのバイトをやっていた時期があった。バイトだからキャッチや接客より雑事を言い付けられる事の方が多かったのだが、お付き合いでトークをかましたり無理矢理カラオケを歌わされることも良くあった。女性客相手にはこれを歌っておけば満足してもらえるだろう、という流行歌のことなんて全く知らなくて、必死にうろ覚えの映画の主題歌とかを歌ったりした。流行後れで音痴なのをうらやんだのはこのとき限りだ。出勤で下宿先を出るのが午後七時、箱へ向かう道すがら必ずバーで一杯煽って、仕事が終わり自宅へ帰るのが午前八時。シャンパンコールなんか日常茶飯事だったからしばらくして肝臓を壊しかけてバイトを辞めた。ただ、一人だけ僕を直接指名してくれた人がいて、その人とはしばらく交流があった。真面目な事にも耳を傾ける人で、その人の家に遊びに行った時にはうさぎを飼っていた記憶があるが、今は何をしているんだろうな。クラブの先輩たちも体育会系の一匹狼ばかりで厳しかったけれど、面倒見が良くて優しくもあった。みんなみんな、今頃何をしているだろうか。

2011年1月1日(土)

玉藻稲荷神社で年越しをした。正確には家を出る時除夜の鐘がなっていたので、新年を過ごしたと言うべきか。

稲荷では割合大勢の地元の方々が集まって、飾り物の熊手等を売ったり焚き火で暖を取ったりしていた。ライトアップされた社殿へ上って、お賽銭と二礼二拍一礼。賽銭箱の脇には油揚げやお酒が供えられていた。

お守り昼過ぎ。家族の用事で出掛けたため、ついでに那須神社へ寄る事に。那須神社の隣の道の駅は休みだった。かき入れ時なのになあ……市営だから商売ごとに熱心でないのだろう。

那須神社は人でごった返していた。並んで待つ事しばし、やはりお賽銭とお礼をして健康を祈る。脇におみくじがあったのでやってみた。中吉。病気は「長期になるかも知れないから用心すべし」と書かれていた。近くの綱に結んでおしまい。

少し戻ったところでお守りや甘酒を売っている広場へ。上の写真のお守りを買い、甘酒を貰って焚き火に当たる。しみじみと暖かい。そのうち甘酒を飲み干して紙コップを火に投げ入れ、燃えるところを眺めていた。

その後買い物をしてうちへ帰ってきた。何事もなく過ぎていった元旦だったなあ。今年は平和な一年になりそうだ。

2010年12月24日(金)

また五峰の湯行ってきた。休憩所の自販機でドクターペッパーを三本買って持ち帰ることに。

週替わりなので男湯と女湯が入れ違っていた。今週の男湯の方が露天風呂は格段に広い。正十二角形らしい檜枠に両腕を預けて風に当たる。これがすこぶる気持ちよい。他の入浴客が上がって一人きりになってから長らく、ぼーっと露天風呂を貸し切りにしていた。こちらの風呂の壁にはどの向きが那須連峰のどの山だとかの案内板が張り付いている。興味が湧かなかったのと移動するのがめんどくさかったのとで良く見もしなかったが、だいぶ細かい解説が付いていたっけ。

先日、この日記兼雑記の左枠の一言板に佐久山のきみのゆへ行ってきたと書いたが、施設の雰囲気と泉質は五峰の湯の方が個人的に好みだ。地元用語で言うと「なめっこい」湯、ぬるりつるりとした湯の感じは五峰の湯ならではなのだろう。佐久山温泉きみのゆの雑然とした賑わいと比べると、五峰の湯はまったりのんびりしていていかにも地元らしい。先だっての日記の写真のランキング、あれだけを見ると五峰の湯はちょいと垢抜けてない勢いだが、入浴客の絶対数が佐久山温泉の方が多いから票も伸びているのだろう。

二つ忘れていた。きみのゆの満足度が高いのは浴場の施設の充実度も大きいのだ。電流を流してマッサージするらしい電気びりびり風呂が大浴場の端に二人分あり、入ってみると非常に痺れるのだ。好んで入るお客も入るようで、僕がああ~と痺れている目の前でふう~とため息をついて電気びりびり風呂に浸かる人がいた。個人的にはあまり気持ちよくない、というか非日常的感覚の違和感まみれの風呂なのだが、お年寄りのツボを刺激するのにはむいているらしい。それときみのゆにはサウナ風呂がある。入れてせいぜい六人程度のひな壇式サウナ風呂で、なにやらサウナ風呂向けらしい十二分時計が目にとまった。僕は先日が初めてのサウナ体験だったのだが、とにかく汗をかく事著しい。十二分も経たないうちに撤退。サウナ室を出てからまっすぐ露天風呂に浸かり、表の風の爽やかさを実感した。

もう一つ忘れていた事、大田原市の温泉パンフには五峰の湯ともう一つ、湯津上温泉やすらぎの湯というのがあるのだ。湯津上方面へ出向いた事はあまりなく、温泉のある事も知らなかったが、パンフでプッシュされているなら行ってみるのも良いだろう。休業日が毎週月曜日、第四火曜日、年末年始とあるから、今年のうちに行くとすれば明後日までだ。お天気と気分が良ければ行ってみようと思う。

それから。大田原市に住んでいて大田原温泉(太陽の湯)へ入った事がないというのも何だかなあという感じなので、これは近々気が向いた時に出向いてみるつもりだ。上のリンクから飛んでいける大田原温泉のサイトには地域のイベント情報が割と頻繁に更新されているので、要チェックである。

ハクチョウ五峰の湯の帰りに羽田沼へ寄った。ハクチョウがやってきているという話を大分前に聞いたのでもう大勢いるのかなと思ったが、羽の薄黒い一歳になったばかりの子供を含めて十羽ほどしかいなかった。大勢のカモや名前の知らないのに混じってぽつねんと浮かんでいる。眺めているうちに合図したようにハクチョウの群れが一斉に滑空していった。柵の手前には大砲みたいな迷彩を施した一眼レフカメラが三脚の上で異彩を放っていた。休憩所から談笑が聞こえてきたから、近所の人なのかも知れない。最盛期には千羽を超えると言うからその頃また羽田沼へ行ってみるつもり。市の反対側の琵琶池にも少数ながら飛んでくると言うから気にとめておこう。