2024年8月29日(木)

ふつうに通所して帰途。ここで通所と書いたときはおおむね、読書含めた自習をしてる。いまはP検の資格を取るためにテキストを元にした調べものとそのノートへのまとめが半分ほど、あとは人文・思想や詩集、歴史、地学あたりの本をとりとめなく読むのが主。あたまのなかでまとめたことをノートへ書き出すときのホルダー鉛筆の芯の感触とか、ノートのレイアウトや情報密度がよい感じに決まったときの満足感とか、最近そのへんが気持ちよくて集中できるのだよねえ。病前にはあった感覚で、病んだことやそれにより認知機能にダメージが入ったことでそのへんとはとっくの昔にお別れしたつもりだったけれど、時間経過とリハビリの合わせ技であるていど戻ってくるのかもしれない。気の長さはじぶんの指折りの美質かもねとひとりで褒めておく。資格の調べものについては周縁のことごとをわりと好きに追っているため進捗が遅いけれど、じぶんの歩みそのものが道草や放浪みたいなものだし、と気楽に思う。台風の影響で夕方あたりからまとまった雨が降り始め、土曜にかけて降り続く予報が出てる。台風そのものは週明け以降にこのあたりへ最接近するようだけれど、進路がなかなか定まらないらしく、来週の空模様は様子見。網戸の向こうから届く雨脚が激しくなってきた。

2024年8月28日(水)

朝うちを出るとすぐにしっかりした雨が降ってきたため、戻って通所先へお休みの連絡を入れた。雨脚はそのあと強くなりいっとき大雨警報も出たから、これでよかったのだろう。台風の足が遅くなっていることでしばらくは天気予報に左右される生活になりそう。うちではひたすらのんびり。快不快の振り幅が大きい雑多な思考や、なにかできそうでなにもしない余剰なのか好ましい無為か、そういうのが内側でひたひたしている感じ。あふれ出さないものを無理にすくい取らなくてよいという気はする。例えるなら川や海のおもてが凪いでいても下のほうには流れやうねりがある、そういう状態では。考えるよりお布団へいくがよかろ。

2024年8月27日(火)

静かに過ごした日。気になって購入した山田カオルという方の絵が届いた。The Watcherのいちばん小さいサイズ。プロフィールにはAIとデジタルツールで製作との紹介があり、じぶんはこれをどう受け止めるのかわからない。用紙の丸みが取れたら壁に飾ってみて、AIという技術に対してどんな気持ちになるのか感じてみるつもり。たぶん、写真が登場したころの人々もこんな分からなさを抱いていたんじゃないかなー。上に挙げた絵は夜の雰囲気がとても好みなのだよね。部屋に小窓が増える気分。

2024年8月25日(日)

午前中は何カ所かで買い物をしたのち、気晴らしのつもりで道の駅・明治の森へ向かった。来てみて驚いたのだけれど、リニューアルされた直売所は観光地風情のあるおしゃれな建物に生まれ変わっていた。品揃えもぐっと増え、青木邸や周辺の散策スポット含めてここ自体を観光の目的地にしても楽しめそうな印象。こういうのはよいね。外の苗もの売り場にはシュウカイドウの大苗が300円で並んでおり、おもわず購入。そのあとはよく知らない道を抜けつつ残りの用事を済ませて帰宅した。夜は大雨となり、日付の変わる前後には近場に各種警報や避難指示が出た。雨脚はいまはいくらか落ち着いたものの、場所によっては増水や浸水の心配があるんだろねえ。数日後は台風でまた大雨の予報になってる。

2024年8月20日(火)

シャツにアイロンをかけたりネイル塗ったり。『46億年の地球史: 生命の進化、そして未来の地球』という本を読みはじめた。地球史年表の各年代になにが起きたかをまとめたうえで書き出したいと思ってのこと。ここ数年で世界史に手を出したときもそうだったけれど、知らないジャンルに飛び込んで一気にその骨格が立ち上がってくるときのぐっと眺望が開ける感じ、空間が広がる感じ、そうした気持ちよさは初心者だけが味わえる蜜よね。ことしはまだ好物のいちじくを見かけてすらいないなーと思ううち、一年前にウォッカで漬けたいちじく酒の存在を思い出した。あしたからまた通所でこの時間だけれど、味見くらいならどうだろ。そして庭の苗を思うに、じぶんはいちじくを育てるのが下手かもしれない。最近思う、居場所は大切。とくにその向き合いかたにおいて。いまの自分の場合、居場所が限られていると狭い世界の些細なことに汲々として、気持ちの余裕を無くしがち。ほんとはそんなのどうでもよくて、いずれはそこを去るわけだし誰かに好かれる必要もべつにない、他者の反応もその人の自己紹介でしかなく、必要なことをして悠然としていられるなら、些細なことを拾ってわざわざ気を揉むような後ろ向きな真似は手放せるはず。そういうのは理念としてはある一方で、フィジカルから解きほぐすのもおなじくらい大切なのだよねえ。このへんで眠る準備しよ。