なにごともなく。
2025年11月7日(金)
のんびり。買いものの帰りに一時間ばかりカラオケをした。前よりも声がよく出るようになっているし、楽しさの余韻もより長くなってる。体感がほんの少しずつ変わってる。バンプとかスキマって歌うと気持ちいいんだね。何周遅れの境地だろ、逆にすごい。というか流行る歌にはそれだけの理由があって歌いやすさも含むことを繰り返し感じる。クロマニヨンズの気持ちよくさせてくれる側面にもびっくりしたし、平沢進よいかもと思うじぶんが意外。そして思う、手元の音楽ライブラリに入ってる歌は女性ボーカルが多いのだなということ、そして圧倒的にインストゥルメンタル(ボーカルのないジャンルの)な楽曲でできているのだな。基本的に時代もジャンルも脈絡なく個別の楽曲をすきになるたちなので、アーティストから入っていくということが多くはないのだけれど、松任谷由実と槇原敬之はなぜかアルバムを片っ端から漁っているのだった。後者は来歴にシンパシー感じるからだろな。これだけ多作な方の歌を聴いていると、その歌が人生のどんなステージで生まれたのか、そのときのありよう、葛藤から許しまでも感じ取れるようで、ただ歌を聴いているだけではなく人生の滋味を味わわせてもらえる感じがする。こうしたことってたまにあって、一時期は椎名誠の大量に出版されているエッセイや紀行をむさぼるように読んでいた。そうしているとやっぱりひとりの作家の人生を追う視点が生まれてきて、直接会ったわけでもないのにその人の好きなとこや嫌なとこや歩んできた風景もよく知っているような気がしてくるんだよね。いまふと思ったのだけれど、あれだけ偏愛しているのにトーベヤンソン・コレクションだけはまだ手を出してない。たぶんそれにふさわしい時期がくれば自然と手が伸びるはず。話変わって、じぶんに安心を教えるってどういうことだろう、と思ったりしていた。おそらくそれはあまりにも長いこと縁遠すぎて、身体が知らないのと同じ状態になっている。ゼロの概念を知らないひとにそれを教えるようなもので、教師がいればいちばん早いというのはそう。たぶんね、細かく具体的な身体のケアを大切にする、大切にされるという実感から教える、というのはよい線だと思う。ストレッチで身体をほぐすとか。もう遅いからねむろう。
2025年11月6日(木)
信田さよ子『共依存 苦しいけれど、離れられない 新装版』(朝日文庫)を読み終えた。本の帯にある「誰かにとって『かけがえのない存在』になることの快楽は、支配の快楽と同じだ。」という言葉のその意味に、自身に起きたことと重ねて、嫌悪(やわらか表現)を感じずにはいられない。じぶんはそこから自力で抜け出したのだなと思う。夕方からベッドでごろごろしていたら変な時間になっている。まあここ何日かはだいぶん活動的だったわけだし、そうでなくともすきにしたまえ。夜更かしってたばこに似たところがあり、それができるときにはよいものだよ。おやぷみ。
2025年11月5日(水)
仕事帰りに相談員さんと待ち合わせていくつもの書類にサイン。今後の支援について、愛着障害から回復するために専門家も介入する、という方針で固まった。ほか、歯科に予約を入れるなど。原付では朝が寒いのでタイツを履いているのだけれど、足が温まると眠たくて、夕餉から日付の変わりそうないまままでまどろんでしまった。おふとんへいこう。
2025年11月4日(火)
地域の作家協会展の最終日にギャラリーを訪問。陶芸から木工、絵画、写真、染色、そのほか幅広い作品の展示が行われていた。この地域でなにかを作っている方々の活動の片鱗が伺えて、なにがというのはむつかしいのだけれど、とてもよかった。なんだろね、そうした方々の存在が分かったことで、物理的な地域と重なる水脈や葉脈のような地図が描かれた、ということだろうか。ひととおり眺めて戻ると、テーブル席で雑談していた作家さん方に招かれ、コーヒーをいただきつつ話に交ぜてもらった。自己紹介する機会などあるかなと持っていったポートフォリオボックスやポストカードはばっちり役に立ち、つぶさに見ていただいて、「エロティック」「抽象的な視点」などの感想をいただいた。連絡先を交換していただいたり、写真家さんを紹介していただけるかもしれなかったり、当のこの作家協会にお試しで入会するかも。こちらを覚えてくださっていたオーナーさんからは、ポストカードにエンボス加工という手もあるよとプレス機を使わせていただけるとのこと。協会の年齢層は高めのようで、じぶんくらいまでの年齢層での在籍(?)となると幾名かだそう。三時間ほどと長居をしたすえお礼をし、帰途へ。途中で豚骨ラーメンを食べた。なんか急に所属する場がまたひとつできそうで、協会で会合などあればいろいろな方々と話ができるかもしれず、それはよいとも悪いともなく、不思議。社会的にはスタンドアローンな存在で長いこと過ごして、それでなんら困るわけもなく好き勝手楽しく過ごせてきただけに、ひととのつながりができるとどうなるんだろうね。未知。思うのは、幸運は準備して待ち構えているひとがすきなのだな、ということ。自信がついたら行動するのではなく行動したぶんが自信になる、みたいな話よね。あるいは、細々としたことを整えているとものごとの流れが滞らなくなり、よい循環へ入っていける、みたいな。こうしたことってここ何日かで身の回りをきっちり掃除/整理したことと、関連というか相関はあるのだろうな。端的に、掃除って流れのありかたを示すものなので。話は変わり、何日か前から仔猫のケージは開け放して、居間と台所は自由に過ごせるようにした。ら、仔猫がなんだかおとなしめになった気がする。閉じ込められているという感覚があったからこそ出してもらえるときには活発だった、あるていど自由になったことで抑圧がなくなり、そのありようも落ち着き寄りになった、ということだとよいのだけれど……。♂は初めてだし、この子はたいへんなやんちゃになるかもとさえ思っていただけに、大きくなるにつれ振る舞いが変化することに対して、ちょっと様子見になっちゃうな。じぶんは仔猫を愛せているだろうか。そういえば仔猫、こちらの肩に乗って過ごすことを覚えた。先代はそうしたことをしなかったから、これはこの子の個性なのかなと思う。うん、こちらはもう眠るのだけれど、階下で運動会してる足音が響いてくる。元気は元気そうね。
2025年11月3日(月)
朝、業者に水道管を応急手当てしてもらい、とりあえずお隣さんで水は使えるようになった。水栓部を持ち帰ってスペアを用意するようで、それはあす以降に。周りの痛めた部分も別の業者や保険屋と連携して修理対応していただけるというので、そのように。うん、ひとまずなんとかなるね。そのあとかつての通所先へ向かい、相談員さんや担当スタッフさんと近況を共有。いまは生活や仕事は安定しているから、じぶんとの関係を結び直すための期間と捉えてあれこれ試みている、と伝えた。それに加えて愛着の傷や複雑性PTSD、アダルトチルドレンといったものに詳しい専門家とコネクションを取れたら、と。相談員さん曰くこの件はNPOさんにも共有してくださるそうで、こちらからも話を通しておくつもり。あとはさまざまな書類にサインが必要で後日またくる必要があったり、当初助っ人として転勤してきたじぶんの担当スタッフさんがこのたびセンター長に就くことを伺ったり、その関係で担当が変わることや、お世話になったスタッフさんがもうじき辞めることなど、いろいろ。帰り際、友だちからそこのスタッフになったと聞いていたLOVOTを抱っこさせてもらった。抱いているとぬくさが伝わってきて、触れると目の表情豊かに声を上げるのがかわいい。いつも利用者さんに構ってもらいたがってますよとのことで、センター長代理という立派な肩書きももらっている子だった。去り際に見送るような仕草をしてくれた。帰りはなんとなく外食をしたくなり、適当に見つけた中華料理店で鶏翅湯麺とよくわからない干焼蝦仁というのを注文。不思議なスパイスと鶏の出汁が利いたタンメンと、身のはじけるようなエビチリだった。中華料理、これまでとくに縁があったわけでもなかったけれど、やっぱり食べるとおいしくてよい気分。うちへ帰ってきてからは残した掃除をしたり、シャツにアイロンをかけたり、名刺代わりのポストカードを組にして詰めたり。ここ何日か行動が前面に出ているのはよいけれど、休んでいるという感触がちょっと薄れてきていることも感じるので、このへんで抑えてもよいかも。とはいえ、もうきょうはギャラリーでの作家協会展が最終日なので、それだけは覗きに行けたら。
2025年11月2日(日)
午後まで部屋の整理にかかりきりでとてもすっきり。掛け布団のカバーも新しくした。夕方、スーパーで食材を買った帰り道、車の車庫入れで何度もハンドルを切り出たり入ったりしているうちにアクセルとブレーキを踏み違え、お隣の柱と庭の水道を壊してしまった……。ものを壊しただけでじぶん含めひとへの被害がなかったことはましと捉えてよかろうな。車屋を呼んで方々に連絡を入れてもらい、壊れて漏水してる水道を今日中に修理できる業者がいるかあたってもらったのだけれど、三連休の中日で時間も時間なだけに見つからず、保険屋経由で業者を探してもらったすえ、明朝九時が最速とのことでそのように。お隣さんに平謝りしてミネラルウォーターの箱など持っていき、もうきょうはできることはしたからオフとした。保険は下りるから壊したものも車のほうも修理はなんとかなるとして、憂鬱そうにすることが適切なのではなんて気持ちは誤謬なので、いつものように居心地よく過ごしてる。しばらく面倒はあるけれど対処すれば済むこと。なんかいまじぶんよい表情してると感じて変な笑みがでる。一時的にアドレナリンが出ると生きている感じがするものらしいけれど、そんなとこだろうか。反省はしてもよいのよ。あしたはお仕事お休みして業者の修繕に立ち会うつもり。そして正午からは以前の通所先で相談員さんとの面談予定が入っているのだった。ここ二、三日、なんかばたばたというか、いきいきしてない?
2025年11月1日(土)
朝から粗大ごみをクリーンセンターに持ち込んだり、買い物をしたり、溜まっていた洗濯ものを回したり、床にワックスを掛けて届いた本棚を組み立てたり、そこへ本の収納と配置替えをしているうち、すっかり日付が変わった。腹立つなー。こちらが必死に生活を立て直そうとしているなかで、こんな生活どうでもいいからどうなってもいいしなにもしたくない、みたいに言われると、いままでなぜ改善しない状況に対して頑張ってしまったのかという問題の根が見えるようだし、最後の課題はこれだなみたいになる。じぶんに至る家系の者たちが翻弄されてきたなかで、じぶんだけでも構造を把握して負の連鎖を断ち切ろうと取り組めている、そう考えるほうが精神衛生上はよいのだろう。湧いてくる呪詛をあまり抑圧すると自家中毒を起こすから、負の文章が残るのやだなと思うけれど吐き出しとこ。ポチった椅子が届く前に壊れた椅子を処分したため、今夜だけは座るものがなくストーブのうえに腰掛けてこれを書いてる。これまで部屋の本棚には気に入ったものも置いていたのだけれど、今回からはおもに多すぎる積ん読を視界に入れるための運用に変えた。本棚が個人用の出張書店くらいの認識。掃除はあすに回しておふとんへ行くがよい。しっかり眠れば気分は切り替わる。
2025年10月31日(金)
仔猫を放すために床の掃除だけしていた二階のスペースの、そこにただ置かれているだけの家具や雑多な品々を、思い立った勢いですべて片付けたり粗大ごみに分けたりした。後者はあす市のクリーンセンターへ持ち込んで処分する予定。こうしたときたくさん積める車があるのって便利。そのスペースは衣類を下げているラックだけになり広々としたから、床を掃除したらワックスをかけよう。そしてそのスペースに置く本棚や収納棚、衣類チェスト、それに部屋用の椅子をポチった。こうした決断って認知コストが高くてなかなか着手できないことで、勢いでこなせてえらい。雨が降り始めるなか定期通院先へ行き、帰りにスーパーで買い物をして帰宅。注文したオフセット印刷のポストカードが届いていた。んー……非塗工紙のアラベールだと色が沈んでぼやっとするんだね。手触りや質感と、あとおそらく書き味は素敵なんだけれど。オンデマンド印刷のときは塗工紙のグランヌーボを使い、そちらは発色やコントラストは高いものの、やや光沢が見えて紙質は硬めなのだった。もうちょっと試行錯誤ということで、それらの中間的な微塗工紙のヴァンヌーボV(ホワイト/235kg)に加えデータも若干弄って印刷を再度注文。好き好んであれこれしているのではあるけれど、落ち着かないというか、のんびりするために片付ける必要あるものごとの多さを感じる。アクリルで車椅子の人魚と呼ばれたひとは地上の天文学を郷里へ持ち帰るために尽力するのだけれど、彼女は後年、ただ星を眺めていたいだけのために回り道をしたものだな、と振り返る。あくせくする必要なんてどこにもない一方で、そうせずにはいられないなにかというものもおそらくありうるのだよね。話変わって、冬のあいだにどこか遠出したい? というまだ願望のかたちをしていない問いかけをほんのり感じる。九州や小笠原を巡るなら暖かい季節がよいなとか、じゃあいま暖かいとこっていうと南半球ではとか。このへんにしてのんびりする。
