朝、雨降りにつきあすまでお休みの電話を入れた。だるい件は指示した方に報告したところ、話に入ってもらうことに。しんどさから抜けた日。降ったり止んだり、日差しもさしたりと、気温は抑えめで湿度のわりに過ごしやすい天気だった。夜に窓辺でぬいとのんびりしていて旅客機の音を耳にしつつ、感受が外界へ向かっていることにほっとする。ふと思う、頑張りすぎ、引き受けすぎ、とアドバイスしてくれる人たちは周りに複数いるけれど、こういう思いでしているのだから見守るに留めてほしい、というように境界を引いたことがなかった。すればよいことをしなかったのは、いやでも、と返ってくるだろうことに無気力を覚えるからで、望み通りでありたい箇所には繰り返し境界線を引けばよいことなのだった。たぶん、アドバイスをすれば耳を傾けるひとという認識には、よいところもそうでないところもあるのだろう。いまやっと芯を形づくっているところで、ありがたいからといってなんにでも頷くのはそろそろ考え直す時期なのだろな。瞬発的な判断が出にくいのはじぶんの感情形成的な背景からしてひとまずそういうものと前提を置いたほうが楽だし、アドレナリンが即座に出るような神経系でいるよりはくつろぎすぎるじぶんがよいよ。じぶんの善し悪しで選択していることについて面倒でも、そのことだけでも、説明しよう。。。別の話として、孤独と呼ばれているものが世間ではいかに避けたいものか折に触れ語られるのを見るにつけ、あなた方はそうなんですねみたいになる。この話の留意点はただひとりでいられることと孤立感が別物なこと。こんな場末だからひっそり書くけれど、じぶんはおそらくすでにじぶんとの折り合いがついており、じぶんがすき、ひとりでいるときこそじぶんと共にいられる、という状態になっているのだろな。シゾイドパーソナリティーというのは背景や説明用の言葉でしかない。病中の沈潜、暗闇を行く感じ、あの時間が自己との対話になっていたのかもしれず、それと引き換えにいまの静かなよろこびやくつろぎが得られたのかもというのは、物語の様式のような不思議さがある。しんどさから抜けたのはそうとしていつもより書いているような。もう二時。これ書き込んで窓辺でのんびりする。
2025年8月10日(日)
雨降りの日。あすあさっても雨の予報なのでたぶんおやすみに。夜の道を車で出かけてスーパーまで行ってきた。往きて還りし。
2025年8月9日(土)
ねむたい。
2025年8月8日(金)
定期通院先へ。夕餉にすいかとメロンを食べ過ぎてねむたい。おやすみ。
2025年8月7日(木)
くだもの市場へ。帰り道、自転車に乗った高校生くらいの子が視界の端で転び、とっさに原付を止めた。どこが痛いか訊いたり、曲がった自転車のかごを直すのを手伝ったり。血が出るような傷はほとんどなく、立って動けるくらいの打ち身が主のようだった。あんまり気の利いた言葉も出なくて、帰って落ちついたらぶつけた箇所をよく確認してみてください、くらいのことを伝えて立ち去った。以前にも同じ状況に遭遇したことがあるんだよね。そのときは相手が恥ずかしがってこちらもうまく言葉を伝えられなかった、そのことを思い出す。誰かが急な事故や怪我に遭ったとき、車を運転してるから止まれないとか、他人に期待をするなとかではなくて、見かけたひとが駆けつけてくれるものであってほしいなーと願うよ。今回のように車が行き交うところでひとりで転べば、他人の視線と無関心を感じることは、怪我くらい痛いはずだもの。しんどさはきのうに比べて減じたものの、おとといの件でずっと腹が立っており、しょうもないことにリソースを費やしていると思う。夜は比較的涼しめで虫の声がよく通る。
2025年8月6日(水)
日曜までお休みの連絡を入れ、なにごともなく。夕刻に当該のスタッフさんと電話してお礼を伝えた。そのあとほかのスタッフさん方から入った注文の作業を進めていた。そこで唐突に思い出したのは、作品にはサインが要るものだってこと。最初の注文では書き込んでいなかった。おあああー。メンタルがやられているのも重なっていたたまれない。あとで会ったらきちんとしたものに交換可能なことを申し出よう……。初めから100点を求めるのが無茶なことだとは分かるけれど、至らなさに気づくたびへこむ。作業は進んだので偉いということにする。もう起きたことだから悩んでも悩まなくても変わらないこと、挽回の機会はあるということ、深刻になって得られるものはないから心地よくするのがよいこと、分かっていてもついてこないなー。思えば展示会をしていたあたりは温かく穏やかな気持ちでいられたわけで、いまだって理由もなくそうであってもよいのだから、ここ数日は気分に振り回され過ぎている。体調ベースのしんどさとはいえ、溺れてないで足がつくなら立ったほうが楽なんだと思う。
2025年8月5日(火)
どこかで最高気温が記録更新されたという猛暑の日。朝からなんとなくいらだちを感じつつお仕事へ行き、察するコミュニケーションを複数求められたことに不快感を抱えつつ、暑いからという周りの勧めもありすこし早めに退勤。あー、これはストレスを感じやすい周期にいる。せっかく自由があることだし、こういうときはもう休みに入ってひとりになるのもよいかもね。雑記(ここはあくまで雑記の場所と言いたい)って些事のディティールに妙味があるんじゃないのみたいな気もするから書くと、古株の女性社員から「女子トイレの水を使っていいから鉢植えの水やり頼むね」と言われそのようにしていたら、じぶんよりすこし前に入社した女性社員から「水は○○か××のを使ってくださいね」と言われた、というのが一件。ストレスの感じやすさに加えて、じぶんのジェンダーアイデンティティも反応しているなーと思う。自認はどっちつかずでいるから前提的に二分されるとげんなりするし、そうしたことに、どこででも遭遇はする。「(古株の)○○さんが言っているならいいと思います」とは言われたけれど、あなたは納得していないのでしょう、と思う。こういうことを詳細に記憶していたいかというと、別にさしたる妙味なんてないのではという気がしてきた。面倒だけれどこだわりはないし、気持ちはわかるし、穏当にやり方を変えるのがよいよ。察するというのは要求と応答の共犯なので、直裁に言ってもらった方がましと嫌気がさした感はある。こういう具合のよくないコンディションのときは内面から毒が湧いており、他者への評も容易に裏返る暗い感情で勝手に疲弊するだけなので、じぶんご苦労と思う。……書くだけ書いたら多少ストレスが抜けた。えらい。あーもうあしたから日曜までお休みにしちゃおうか。がんばらない。数日前に、高校生の頃から使っているダックスシンプソンの革製ペンケース、の取っ手がちぎれた。手元へきてもう長いもんねえ。数年前にはファスナー部が壊れてしまい、そのときはYKKのカスタマーサービスへ頼んで修理していただいたのだった。公式サイトから修理を相談するとして、おなじスペアはないだろうから手ごろなものに交換、ということに……なればいいなー。愛着はあるから使い続けたい。ざっくり検索したらダックスはもうペンケース扱ってなくない? みたいなあんばいでどうなるん。そういえばきょうはもうひとりの従業員で年配のご婦人から「いい子」と呼ばれ、いい子かー……という総体としては若干おもしろ寄りの微妙な気持ち。
2025年8月4日(月)
昨晩未明の就寝から目覚ましをかけず、遅くに起きて仕事へ。心身のコンディションが微妙にすぐれないなかよく頑張りました。頑張らなくてもよいのだけれどね。朝に相対したコンビニの店員がやな感じで、その感じがうっすら尾を引いている。じぶんもつまらないことを大きくしてしまうものだなと思うけれど、それはベースの体調がよろしくないしるしということで、ほどよいところでお布団へいこう。先日の視聴つながりで、Spotifyにて『菊次郎の夏』のアルバムからSummerを聴いている。このアルバムジャケットがすごくびびっとなるなあ。上のほうではまさおくんが手を挙げており、下のほうではビートたけし扮する菊次郎が手を望遠鏡のようにあてがって遠くを眼差している。少年のひと夏の思い出という表向きのテーマからすると、なんかとても鋭利でぎらっとした感じさえする。無軌道な菊次郎のなかの、まさおくんとのあの道中でいまを生きていた=過去と未来を眼差そうとしていた体感、あるいはそれらが眼差せないという空虚さを伴った体感が、このジャケットからひりひりと伝わってくるような気がする。このSummerという音楽は夏の涼しいところに乗って流れてくるようで、これから先の時代はいっそうこの懐かしさや憧れが強く感じられるようになるんだろね。ほんとうに胸が切なさでいっぱいになる曲。
2025年8月3日(日)
注文された作品をヤマト便に出した。いろいろと試行錯誤のあとが分かる感じだろうけれど、これでよし。あとで注文してくださったスタッフさんに連絡を取ろうか、考え中。あんまり長湯したせいで変な時間になっている。ひとまず眠るがよい。
2025年8月2日(土)
なにごともなくおふとんでごろごろ。