午前中のみ通所。きのうの夜更かしが響いて船をこいでいた。睡眠時間が少しでも足りないと一日の調子に影響が出るのだよね。今宵は早めにおふとんへ。
2025年4月29日(火)
夜更かしの延長で夜明けの空を撮ったり、青いひかりで庭の花たちを撮ったり。ひと眠りして目覚めると午後だった。祖父宅のもう育ちすぎたたらの芽をレジ袋へぎゅうぎゅうに詰めて買い物をして帰宅。たらの芽は天ぷらとお浸しとした。茎は筋張っているものの、お浸しとした葉先は素直に食べられた。なんとはなしに過ごすうち日付が変わってしまった。もう眠るよ。
2025年4月28日(月)
庭のビバーナムとくちなしにベニカスプレーを拭いてみたり、クリスマスローズの古い葉をいくつか落としたり、もう咲きそうなモッコウバラとモンタナ系クレマチスにすこし触って見栄えを整えたり。白花のクレマチスが今春は小ぶりな花を咲かせているのを見てへこむ。この株に人生を変えてもらっているわけだけれど、秋からこの春までの仕込みと世話の結果が花つきに表れているのだなあと思う。花水木も思ったほどの花つきではないなあ。じぶんでがっかりするのは写真撮りたさがほとんどないこと。きのう友だちと話した際には、やり方や視座を変えるタイミングなのかもという話になった。今宵の雨は明朝には晴れるそうだから、夜明けのひかりで花開きはじめたライラックなど撮れないかなと思案してる。こうした話はアプローチが逆であり、その都度したいことをすればよいよということなのだろうね。なってみて分かる、心の動きの不可解さ。もうすこし掘り下げるとゆとりを培う日々が忙殺されているところに活力切れの原因があり、雇われて他者に時間を売る生き方より、じぶんで時間を配分する生き方のほうがまだましのように思う。しょうもないことだけれど、抑圧や強制にアレルギー的な嫌悪があり、この歳までくると付き合っていくしかない性のような気もしている。ぐるぐる考えながらも、お茶を淹れて雨の音を聞いたりランプの灯りで過ごしたりする夜であり、ふと思う、友だちになってくれるひとがほしいな。めずらしいことをいってる。
2025年4月27日(日)
気分のよろしくない日。友だちと電話して愚痴を聞いてもらったりしていた。
2025年4月25日(金)
午前中のみ通所して相談員と面談。こうしないとむずかしいよという話が主で、スタッフさんも用意してくださっていた作品や、訊ねられた期間中に展示会があったことなどについては、こちらから説明してもビタイチ触れられず。これからすることでありじぶんがすることであり、そしてこちらの人生を変えていくものにリアクションもないのはさすがに違和感があるよ。これまでの言動もちらつく。違和感は非言語コミュニケーションであり、言葉とおなじくらいものを申している、というのは分かるようになってきた。じぶんが取るべき方向性は、じぶんに心を砕いてくれるひとたちの反応や感触を最大限に大切にすること。そのようにすることで流れが実際に好ましいものになる。個人的には未来が分からずともやれるだけやればなにかしらの結果はついてくるという、因果は当然あるよねという手応えがある。なんにせよ、じぶんがすることに影響はない。ひとがじぶんの人生を生きはじめたときには邪魔が入るものと相場は決まっているのだよね。わざわざ貴重なオフの時間を割いてまで応援してくださる方々と、その方々に応援されているじぶんを信じる。
2025年4月24日(木)
午前中のみ通所。作品のネームプレートを仕上げたり。気分はかなりさっぱりしていた。スタッフさん方と旅行中の写真を見つつ話すなど。スタッフさんのひとりが喫茶店での作品展示中に来訪してくださっていたとのことで、貴重な時間を割いてくださりうれしいなあ。今宵は早めに就寝。
2025年4月23日(水)
午前中は雨でおやすみ。引き続きなにもせず。
2025年4月22日(火)
あいかわらずのんびり。旅行二日目でむけてしまった両足の指の付け根あたりは痛みも感じなくなってきた。というかよくその状態で歩き回れたね……。あすから通所だけれど雨の予報。早めにおやすみ。
2025年4月21日(月)
引き続きのんびり。身体のあちこちが筋肉痛。
2025年4月20日(日)
身体が疲れてだるく、なにもせずのんびり過ごした日。バンコクのチャイナタウンの茶葉専門店で、大紅袍と薔薇のつぼみのお茶、龍珠茉莉というジャスミン茶、烏龍茶の台湾四季春を、じぶんへのお土産として100gずつ購入したのだった。街角の露店で買ったよく分からない茶葉も。のんびり淹れて旅行を振り返るつもり。