夕刻、買いものにいって店を出ると雪が降っていた。帰ってくるまでにコートがしっかり雪まみれに。すこし積もったみたいだ。眠たいから早寝。
2025年1月2日(木)
出かけずに過ごす正月。美術本をいくつかポチる。たまたま検索したトーベ・ヤンソンの『MOOMIN MISCHIEVOUS NATURE』は中古の在庫も見当たらない状態だったけれど、80周年アニバーサリー特別版というのが(2025年版という意味でよいと思う)タイミングよく発売されており、こればかりは金額の問題ではないからと即ポチった。ここ十数年の寝しなには、季節に合わせた小説のムーミンをほんの少しずつ囓り読みするのが心地よい習慣だった。通所するようになってからというもの、ベッドは眠るために入る場所となってしまい、そこでは本も読まずにいる。思うに、眠る直前の一ページにも満たない読書というのはこの世の至福に属するもので、じぶんにとってそれが途絶えているのを常態にするのはたぶん、よくない。ほか、ミュシャの画集とキューバ写真集『ブエナビスタ』。ミュシャの画集は色々あるんだねえという印象で、そのうち出版社にTASCHENとあるのを見つけ、そこのなら外れなさそうに思った。ベネディクト・タッシェン出版はアートや建築に強いところという記憶があり、なんの因果かやはりカール・ブロスフェルトの写真集を手元に持っていて、よいもの。キューバ写真集のほうは、昨年観た『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』というキューバ音楽のドキュメンタリー映画にて、物語よりも街並みや建物のようすが印象に残ったのを覚えていたから。それはそれとして、つくづく思う。筋のわるいことしていると楽しくないし疲れるんだよねえ。雇われるようになるための、大勢の中にいるための、我慢することに慣れるための、そうした現状の努力というのがじぶんにとって筋わるい。どうでもよいことはのらりくらりとうまくやり、なるべく自分の性質に沿うような生計の立てかたを模索しよう。「大勢といっしょに過ごすことに慣れないと選択肢が厳しくなる」とか言われて当座のそれっぽい行動目標が組み込まれたの、じっくり考えてみるとなぜ同意してしまったのかと不快感がある。そこが矯正すべきボトルネックなのではなく、シゾイド向きのひとりで取り組める仕事というのはじぶんにとって要となる要素だった、ということをあとから言語化できたのは収穫だったけれどさ。早いとこ知恵つけて「こうしたい」を明確にしていかないと、「あなたのためだからこうして」に巻き取られてしまうな……。書いててとげとげしてきたからもう眠るほうがよいのだろう。求めるべきは支援であって、そこに迎合も対立も要らないのだよね。
2025年1月1日(水)
穏やかな日。夕方に床でまどろんでいたら軽い頭痛がする。おふとんへ。
2024年12月31日(火)
朝から買い出しへ。海鮮の取り扱いが大きな業務スーパーはひとで混み合っていた。年末の雰囲気。酒屋では商品の在庫を調べてくださった店員さんと「よいお年を」と挨拶。うちでは洗濯機を何度も回し、居室を掃除し、一段落着くころには日の傾く三時頃になっていた。例年であれば前もってもっと念入りにうちを片付けているだろうけれど、ことしは通所を頑張ったしねえ、義務感は下ろしてできることだけすればよいよ。そこからしばしまどろんだり、ランプの灯りと星空を前に年越しそばを食べて紅白歌合戦をRadikoで聞いたり、除夜の鐘が響いてくるのに耳を澄ませたり。この一年はほんとうによく頑張りました。支えられたり見守られたり出会ったり、さまざまなかたちでのひととのつながりがありがたい。引き続き、このままいってだいじょうぶ。これを書いたらもうしばらく夜闇の静けさに耳を澄ましていよう。