2024年7月30日(火)

朝から果物市場へ出かけた。小玉すいかが見当たらないとかぶどうはこれからかーとか思いつつ桃を手に取るうち、そのとなりにチタケも並んでいるのを見つけ、迷わず二パックを購入。そのあとスーパーに立ち寄るなど。夕餉はチタケとなす、挽肉を炒めてチタケそばとした。季節に合わせた小説のムーミンを寝しなに囓り読みする習慣がことしは止まっていたのだけれど、昨晩は『ムーミン谷の夏まつり』と『たのしいムーミン一家』をちらほら読んでいた。ぬいと一緒にこちらの鼓動を感じつつ思う、こんなふうに過ごすときはいまを味わえばよくて、ほかのつまらない考えを持ち込むのはじぶんから不幸になりたがっているようなものだね。こんなこともなかなか体感として馴染まずにいたのだった。うちの仔たちからはいつもなにかを教えてもらっているな……。

2024年7月29日(月)

金曜に訪れるはずだった通院先へ向かい、おくすりを出していただいた。昼近く、すでに最高気温に迫る熱気のなかを移動して用事を済ませ、帰りがけにスーパーで買い物をして帰途。うちでは前から苗のままにしていたしそ二株をプランターへ植えつけ、水をやった。うちの露地のしそはことしに限って生育が思わしくなく、菜園の周りへ植えた苗はどれも虫食いに遭って大きく育てずにいる。夏場は葉をなにかと薬味に使うから、ある程度まとまった株を確保しておきたいんだよね。それで世話しやすい玄関前に置くことにしたのがきょうのプランター。庭の奥へ植えたヘーゼルナッツの株二本は雑草に埋もれそうになっており、慌てて周りを引き抜いた。そろそろまた草刈りをする頃合い。あとは冷房の効いた部屋でのんびり外を眺めて過ごした。

2024年7月28日(日)

なにごともなかりし日。傷んだじゃがいもを去年かおととしに菜園の端へ埋めたのだけれど、それをいくつか掘り出した。んー、小芋がざるにひとすくい。育てたわけでもないから臨時収入的な恵み。じゃがいもそのものは小指の先ほどのが菜園に散らばることでちらほら生えてくるから、現状のまま適当に扱っておけば、手をかけずに少しずつ収穫できそうだ。じゃがいものポテンシャルって高い。書き忘れていた、土曜はゲームショップでミニ四駆のカラフルなギアやきらきらしたポケモンカードを手に入れたり、模型店でばら売りの花火を見繕ったりしたのだった。いつだったかここへ書いたことで、子供のころ魅了されたようなものをまた集めて宝ものにしよう、ということを地味に続けてる。ボタンとか缶バッジとかコルクの栓とか。そうしたたいしたことのないきらきらした小物に魅了される感覚を手元につないでおきたい……と思って始めたものの、魅了される感覚はそれ自体が心地よく、この感覚はずっと残っていたのが再び潤いを与えられているところなのだなと思う。

2024年7月27日(土)

通所して殺生石周辺を散策。思いのほかよかったことも、だるいこともあった日。ビザールな環境に長居しすぎだと感じる。せっかく休みへ入ったのだから気楽に過ごせたらよいね。とはいえ、当初の想定より早めに動いてもよいのかも。賽の河原でとんぼの話になり、もうじき空の感じにさみしくなるというやりとりをスタッフさんとした。秋の気配をすでに察知したかのような心境の変化。

2024年7月26日(金)

午後まで通所。なんというかこんなものだよという、気に留める必要はないはずの雑多な気分。よくできたとか、ほどほどでしょうとか、なんかやだったとか、めんどさもありつつそれなりに、とか。おおむねストレスである他者のうちにいながらこうした感想になっているときは、バランスよく過ごした日ということでもあり、余計なことは追い払っておふとんへにゅるんするがよい。あすの通所は屋外の散策なので気楽。それから当然といえば当然の話として、スマホを見るのは一種の活動なのだった。ジョギングとかサイクリングとかに近いそれ。視覚への負担があるし、文章を読む際には高度な脳機能を行使しているし、気晴らしとして浸るにはわりと負荷がかかる行為。見る時間を減らそうと思ったら、無為を味わうことの気ままさを思い出すのがよさそうに思う。そこの時間が端末を相手に入れ替わっているのだし。結論から書くべきだった、スマホを見過ぎでは。

2024年7月25日(木)

きょうの通所は調子がよくて、WebやDNSまわりのことをノートへまとめつつ、午後まであっというまに過ぎた。じぶんの原付をほめてくださりベスパに乗りたいという話をしてくださったスタッフさんのこととか、検定に受かるだけなら公式サイトの例題集でいけますよと教えてくださった利用者さんとか。夕餉のあとには夕立らしい夕立が通り過ぎ、過ごしやすい気温となった。急に静か。ランプの前でぬいとのんびりしたら、余力をあすへ回すつもりでベッドへいこう。

2024年7月23日(火)

洗濯をして過ぎし日。探していた「蛤と帆立の白だし」がスーパーに置いてあるのを見かけて思わず購入した。日暮れごろにすこしばかりの雨がぱらついていった。『ハンナとその姉妹』観た。ニューヨークに暮らす三姉妹と彼女らを取り巻くパートナーなどの人々の姿が描かれる。コメディ調の軽やかさで話が進むために、重いできごとも「そしてこうなった」的に扱われ、それが落ち着くべきところへ落ち着いていくおだやかな情感と結びついていた。作中の季節が秋なのがよかったなー。黒ずんでしっとりした街並みや落ち葉の敷き詰められた公園を登場人物たちが歩くようすは、この季節だからこそ心境の描かれ方がこうしっくりとくるのだろねと思えるものだった。ニューヨークという街の印象そのものがそうなんだろうか。コメディものってじぶん向きなのかなーという気持ちではじまったものの、くつろいで観ることができた。ひと息ついてこれを書きつつ、金鳥の蚊取り線香をことし初めて焚いてる。

2024年7月22日(月)

梅雨明け十日の炎暑。すでに最高気温近い朝から道の駅の産直で野菜を仕入れ、昼になりそれらで次々に焼きびたしをつくった。汗みずく。あまりに暑いとあえて夏らしいことをしてはという色気じみたものが顔を覗かせるのだよね。原付で移動しつつ浴びる大気は意識が若干もうろうとする感じで、昼過ぎの太陽は七月らしいまばゆさだった。八月に入ると日差しには熟れた感じがでてまた別物になってくるから、こうしたいまを味わうのもそれはそれで季節感のあることかなと思う。なんとなく過ぎし日。