2020年10月21日(水)

今宵のオリオン座流星群は曇りにて閉店。流れていればなにはともあれ見て数を稼いでおくのが流星群との付き合い方なのかもしれない。ステラナビゲータ10を起動しているうち、星景写真を撮るのもいいかもな、という考えが浮かんできた。いまならLrの使い方も多少分かることだし、何年か前の天の川写真よりも見栄えのよいものを形にできそうに思う。あのときは知恵が回らなくて、Limitedシリーズの小さいレンズにぴったり合うソフトフィルターを選んでしまった。じつは、径の大きなフィルターにステップアップリングを噛ませて使い回せば省コストで済み、それは写真趣味を持つ人にとって定石ともなっている使い方なのだった。そうした各種リングやレンズ保護のプロテクター類は、ハードオフなどのジャンク屋で漁るとよい、と以前に身近な方から教えていただいた。そのうちどうにかするかも。

2020年10月20日(火)

日没のころ、カメラを持って市街のあたりを少し歩いた。黒く減光していく西の空には美しい緑色がはっきりと広がっていて、風景のシルエットと一緒に撮れないかと思ったのだけれど、数も上がらず成果はたぶんぱっとしなかった。たぶんというのはまだSDカードをLrへ読み込ませていないから。撮りに行く試行の数が正義よね(枚数ではなくて)。好きな感じの街灯が1シーンぶん写っているはずだから、あとでデジタル現像するつもり。ハッブル宇宙望遠鏡が通過するかもと宵のあぜ道へ出かけていったり、一日早めな夜更けのオリオン座流星群を眺めたり。前者は月明かりもあって空振りだったものの、流星群のほうは散在流星も含めてちらほら流れる。極大のピークはいくらか分散しているらしい。あす夜は雲が出てくるかも知れない予報になっているから、今夜のうちに流星群を見られてまずは収穫あり、といったところ。

2020年10月19日(月)

エンジン掛かるのが遅いために、玄関を出てしばらくしてから「ついでに写真も撮りたい」という欲の湧いてくることが多々ある。きょうがそれだった。もう何ヶ月ばかりか、もののついでにデジイチを持っていくことをサボりがちなのだよね。原因は自分の中に求めるべきなのだけれど、道具頼みな趣味者の常で、カメラストラップを新調したらカメラを持っていきたくなるのではという、周辺に解決を求めたい考えが解消されずにある。それはまやかしだから受け流そうな。すいかずらの花芽には十一月に咲きそうなものがあり、花期の長さが意外。

2020年10月18日(日)

夜の大気はもうかなり冷たい。さっきごみを出しに行く道すがら、鳴く虫はすっかりまばらになっていた。このところ少し気が抜けてる。気分転換になるのなら、甘くて柔らかくてハイカロリーなもの、例えばバターどら焼きとかワッフルとかを食べたい。減量中だからしないけれどさ。こうしたときに大切なのは、余計なストレスを抱え込まないように過ごすことだ。

2020年10月17日(土)

今季初めてストーブを点けた。雨音を聞きながらぬくい部屋の中でごろごろしていると、希薄ながらも淑気が漂う。そのまま過ぎし日。

2020年10月16日(金)

地域名物なたい焼き屋さんが今年も営業を始めていた。隣接する城趾で風景を見ながら食べるのもいいなと思い、病院の帰りに立ち寄った。並んだ列の前のお客と店員さんの会話からすると、ここは今月一日に開店していたらしい。車を止めて買いに来る人たちで店の周りはわりあい忙しなく、まとまった数を買っていく人もちらほら。香ばしくまだかりかりしているたい焼きを紙袋に二尾入れてもらい、小高い土塁の上のベンチへ移動して、ひとりでもしゃもしゃやっていた。桜のほかの木々もすっかり葉を落としたころなら、街の景色はもっと見晴らしよく眺められるんだろう。桜が咲く季節のこの場所のことを思い出しながら、風景に記憶が宿っていくことを思う。今朝は十度台まで冷えた。タイミングよく用意した毛布のおかげか、昨晩の眠りはいつになく深かった気がする。

2020年10月15日(木)

眠たい。毛布とストーブを出して布団カバーなどまとめて洗った。19年3月に祖父と菌駒を打った椎のほだ木からまた椎茸が生えていた。成長しきったでかいのが五つ収穫され、ただいま干しているところ。こうしたものは思い出込みの収穫物だ。きっと、郊外に住まう人種は多かれ少なかれ、こんなふうにして他者の思いを継承しながら作物を世話しているんだろう。そして、椎やら桜やらの丸太を手に入れること自体が稀少な体験なんだと、ひしひしと感じている。きょうは北海道や青森で今年初の積雪があったそう。このあたりの明朝の最低気温は8度という予報が出てる。きょう道の駅へふらっと立ち寄ったら、地元産丹波の黒豆が並んでいた。おおお、おお……。これは去年たまたま食べる機会があり、その濃厚なうまみと甘さは一年経っても鮮明に思い出せるくらいに感動したのだった。食い気味で購入し、夕餉に塩ゆでの枝豆とした。うめい。ところでNHKR1の早朝のジングルは目覚まし時計のアラームを聞いている感じがして、おっ朝がきたいい感じだね/無理に起こさないでくれえという、相反する気持ちを抱く。

2020年10月14日(水)

ずいぶん眠ってしまう。きのうカメムシが窓に群がり始めたのを見て、やっと忌避剤をサッシへ吹いたのだった。それなりに掻い潜って屋内へ入ってくるけれど、気休めにはなるはず。もうそろそろ最低気温が十度を割ってくる気候なので、このあたりで毛布を洗ったりざっと用意をしておけたらいいな。カメラが逆です:写真の部屋|ワタナベアニ|note このCが写るということは、被写体との関係性や思い入れが写るってことだろうか。だとすると、肝心なのは相手や場とのあいだに関係を築くことで、撮るという行為はほんのおまけに過ぎないのかも知れない。素人の何気ない写真がよいという意見は、そうしたことを裏付けるように思う。

2020年10月13日(火)

「~とは思う」のとはが、なにかに対する留保とは思えない。でも、と思うに挿入されたあの「は」は市民権を得てるよなー。文章的にスマートではないと思うから、僕は使わないけれど。いま気が立っているかもしれない。リングフィットをやっていたら胃の内容物がこみ上げてきた。横になろう。