2017年8月16日(水)

もうずっと雨のターン。

一巡り巡った今になり、聞き逃していたBayakaのinner filmを手に取った。なんでこのCD知ってたのにスルーしてたんだろ。疲れているようだから早めに眠ろう。

2017年8月15日(火)

雨続きで近場の夏祭りが一週間後に延期となった。明日の送り火兼花火大会はどうだろ。長年愛用してきたそば殻の枕を、ニトリで買ってきた新しいものと入れ替え。

2017年8月13日(日)

盆行事のあれこれ。明け方にペルセウス座流星群を見る。月が煌々と明るい条件だったが、星は一時間に二十個ほどの頻度で流れただろうか。四時頃の流星痕を伴う火球は空にマッチ棒を擦ったようで、同時刻にSNSでの目撃報告もちらほら見られた。ペルセウスの日は毎年寝不足してるなあ。

2017年8月11日(金)

盆前の墓掃除などしたり。寺の植え込みに白と濃い桃色をした鹿の子百合が咲いていた。

さっき電球が切れてしまった。蛍光灯よりも電球の柔らかい光を好んでいるのだけれど、おそらくコンビニに40Wのクリアランプは置いていないはず。明日買ってくる。60Wでもいいんだよなー。ちらっと検索したところ透明ガラスをクリアランプ、一般的な白っぽいのはホワイトランプ(シリカ電球)と言うそう。

蛍光灯の光がさほど好きではない、というのは僕に限ったことなのかなと思っていたが、ある方が同じように苦手で若いころはずっとろうそくの灯りで生活していた、というふうに記述しているのを見掛けた。

2017年8月10日(木)

昨日は梅雨明け発表以来の青空。今日は曇天。空の色合いに残暑じみたものがあって、雑に言えば夏も後半に差し掛かっているのだなと思う。時折、今夏は日照が足りてないなんて話をする。一昨日雲間に月が覗いたきりで星は随分と見掛けない。

名を知らぬ雑草の区別はそれなりに面白く、先だってここに書き付けていた読み物では種を引くのが大変だし、これなら図鑑を手元に置いても無駄にしないかと、ハンドブックで持ち歩けそうな雑草図鑑を一つ吟味してる。

吉田篤弘の「遠くの街に犬の吠える」、これは表紙だけ見てるのだけれど、空と雲だね。「空ばかり見ていた」で一度やったテーマのように思える。ので、趣きはまた異なるのだろう。直近の「ブランケット・ブルームの星形乗車券」しかり、この作者は青や水色を好むようだ。あ……アンドルー・ラング著「夢と幽霊の書」なる邦訳に吉田篤弘が巻末エッセイを寄せてる。8月22日(火)。

FM COCOLOやFM802の評判が良いから、近くradikoで聞いてみると思う。

宵闇にキリギリス系やコオロギ系の虫の音が響く。緩やかに季節が移ろう気配を感じてる。

2017年8月8日(火)

昨晩は台風が接近していたようで、それ一色になるような激しい雨脚を夢うつつに聞いていた。

他者への好感→取引(の失敗)→嫌悪という経緯を引き起こしやすい人やされやすい人がいる、というある述懐に半ば感心、半ばげんなりしてる。どちらの側でも僕に心当たりはあるんだもの。それとは関係ないのだけれど、人は変わるものだって認識していると、過去を許しやすくなるように思う。許すというか、手放すための思考というか。

この頃疲れやすくて、たぶん春先からそれなりに頑張ってきたのがここへ来て軋んでいるんだろなあ。

それから近ごろまたちまちまと本を読む。本はこちらから開かないと読まないものなので、良い傾向。

2017年8月6日(日)

すいか収穫して食べちゃった。包丁を入れたところ亀裂が走り、ほどほどに甘くて美味しい。派手な感動は無いにしてもこつこつ重ねてきた世話が報われるのは良いね。

すいかは、というか瓜の仲間は、乾燥した土地で果実に水分を蓄えるよう進化した植物だと聞いたことがある。日曜美術館だったか、すいかの品種改良の歴史が絵画で解説されていたのを見ると、味はともかくいつの時代でもその瑞々しさが有り難かったことだろうなと思う。まくわうりは完熟までの期間が若干長めのようで、熟した印である、へたの周りに輪状の亀裂が入るのを待ってる。

来週明けに台風か来るとのこと。過剰な水分の供給で残りの実が割れなければと思う。

2017年8月4日(金)

Eiya(旧Å)さんが現在、新たなハンドルネーム(kugumo)で活動されていると知り、さっそく聴いてる。ああ、この透明感がある音はそのひとのそれだ。良いなあ。No.9なるアーティストも今日知ったので、後々聴き込んで行けたらいい。

ようし。あれこれ滞っているけれど、一昨日しかり、ここまで自分の好きを手放さなかったぞ。

関東で梅雨明けの発表がなされて以降、晴れらしい晴れ空を見ていない。

2017年8月2日(水)

エノキグサなる雑草然とした植物にさえ特徴と名があることに、面白さを感じてる。

それから、なにかひとりでやっていると、どこかで見返りを求めてしまって駄目だなあ。落胆がそれ以外のものに変わってきたら潮時だと思う。

finalventさんの「finalventの日記」のおよそ続きのようなものが、noteで有料コンテンツとして継続されていた。三年前の、僕がこの日記を付け始める約二ヶ月前から始まっていて、日記というかエッセイに近い。僕はそれを見つけ浮き足だっていたけれど、こうして読んでいる今、歓喜以上に懐かしい気分というか、そういう穏やかな表情をしていると思う。なんだろ、いなくなった友達から手紙が届いたような気持ちが近いか。友達じゃなくて知らないおっさんだけどさ。

すでにだいぶん記事としてのボリュームがあるから、当面はそれを読んでかみ砕いたり、噛み締めていると思う。