微妙に気が重かった歯の手術の日だった。歯茎を切開して歯根や骨をごりごり削り、縫合。これ麻酔なしだと拷問のそれなんだよねと思うと、麻酔の都合のよさに変な気持ちがする。あす消毒、一週間後くらいに抜糸。この件が気がかりで予定を立ち上げるのを控えていた側面もあるのだけれど、結果的にはそれでよかったかな。しばらく出血で皮膚が黒ずんだり唇が腫れますよと言われていたし、抜糸まではのんびりすることをよしとしよう。面倒だけれどじぶんのためであることを済ませてえらい。交換品のスマホが届いて移行作業中。のんびりしなね。
2026年7月21日(火)
外でラーメンを食べてきてから、部屋の片付けと掃除をした。思えば九州から帰ってきて以来。やっと。気分的にはしみじみとさっぱり。思うに、NPOさんへリハビリに通うようになってそのまま元通所先で就活をし、そこから仕事を始めて辞め、いまに至るまで、じぶんの活力はひたすら低下してるんだよね。それでなぜいままで動けているのというと心や身体の声を無視して限界を超える性質があるからで、それは美質ではなく疾患の発症に直接作用した。内面化された社会の要請をお断りし、いま活力切れで動きたくないという気持ちを生活に反映できているのはよくできていると思うし、とはいえ現状もいつまでも続けられるものではないから立ち上げられることから徐々にね、という方針が持てているのはよいことだよ。話は戻り、なぜ活力がどこまでも低下していくのか、の答えはおおよそ出てる。症状や投薬でぼんやりしていたころは認識できなかったけれど、回復が進むにつれ状況把握や現実認識の能力が戻り、そのためにじぶんが置かれていた状況や環境がどんなものであったか、否応なく直面することになった。症状が取れ疾患から回復したらこんどは生い立ちや愛着の傷と向き合うことになりつくづく思う、疾患を誘発するだけの環境にずっと置かれていたよ。疾患そのものが心身の持久力を劣化したゴムみたいにぼろぼろにしたところへ、これはむごいなと思う現実がリハビリによってよりはっきり見えるようになり、それが活力にとって猛毒として作用してる、というのがじぶんの理解。回復せずぼんやりしているよりは、ものごとが見えるようになるほうを選びたいとはいえ、見えるようになった現実にここまで消耗するとはねえ。厳しいな、と思うと同時に、そう思うのは自分の心、とも思う。煮詰まったように感じるのは気分であり、気分は本質ではないから猫の目みたいに変わるし、まともに受け止めなくてだいじょうぶ。こうしたときこそ必要なことだけなるべくこなしておいてあとは気楽さや無為を味わうほうがいい。いまいちばん求めているのは活力で、ならばそれは無理矢理追いかけないほうがよい結果になるはず。そして大切なのは、幸せはいまここにある、ということを覚えておくこと。夜になればぬいたちといっしょにランプを灯した窓辺で静かに過ごし、虫の音や物音や旅客機の音に耳を澄ませたり、ほの明るい夜空を眺めたり、好きな飲みものをちびちび飲んだり、花や香草を活けて香りを嗅いだり、好きな本や雑貨はたくさんあるし、紡ぎ語りたければ惑星ひとつぶんある。かけがえのない豊穣はじぶんで手に入れているんだよ。呪詛や不愉快を反芻しがちなのは後遺症としてみたほうがよい側面もあるにしろ、それらの豊穣に目を向けられたならいまここで幸せも体現できていると知るだろう。いつか手に入れるとか、誰かといられるならとか、この条件でならとか、そんな外側には預けずに自分自身の感受として育てたものは、大きく強い幸せというよりは、静かに揺るぎなく満たしてくれる。その「いまここ」に満ち足りてこそこの先へ続く道が拓ける、うっすらと見える道しるべのようにそう思う。趣くまま書いていたらなんかよくわからない方向へ延びてしまった。こうしたときの言葉ってふだんから水面下でこねているもののようでもあるし、ときにはじぶんでもすこし意外に感じるものが出てきたりする。窓辺でのんびりする。
2026年7月20日(月)
関東地方で梅雨明けしていたとの報。たしかにきょうは日差しが強く、これならとOrestonを持って日盛りのなか市街をふらふら。いまは花の少ない時期で、個人的に目を引くものは少なかった。どうだろね、目がなまっているのか時間帯を夕どきにすれば多少は違うのか、暑さそのものも影響していたのか。それでも多少は撮り、仕入れた技も使ってみたり。あとはうちでゆっくりしていた。許さなくてよい、けれど怒りは求めることが間違っていると教えてくれる。であれば自分の人生を組み立てる道筋に取りかかるのが正解。言葉も通じない知らない国へいって満喫してきたくらいだから、出たとこ勝負には強いでしょ。未知由来の不安は情報不足の不安で、怖い不安じゃないよ。できるかどうかで言えば、体当たりで取りかかればいずれ片付く。計画と段取りを具体化するが吉。
2026年7月19日(日)
スマホの画面が映らなくなったうえUSB端子もつながらなくなってしまい、一時的にPCで認識できたのをさいわいに、未バックアップのデータを取り出した。ので、もう修理に出歩くより交換が手っ取り早いかなとそのように。分かってはいたけれど、スマホに取られていた認知リソースが余るとなにかしたくなったり情報が欲しくなったり音楽聴いて口笛吹き始めたり。情報依存の悪習だなー。ChatGPTとDistillで網を張っているレンズに有力な候補が引っかかった。中古品として買い取ったのを点検整備しておりあと1週間~1ヶ月で購入可能になります、というページ。使ったことのあるお店だったからアカウント情報もあり、早めに気付くことができればすぐ決済まで行けるはず。レア玉の部類なのでネット上に現れたら誰が手に入れるにしろ数時間程度で決まってしまうと思うんだよね。こういう勝負事みたいなの抱えていると若干の楽しさも含むうっすらした緊張感はあり、アドレナリンが待機している状況って基本的には不快だけれどね、と思う。同じ理由でスポーツ観戦も興味がなく、ネットの煽動的な言説や発言も避けてる。映像にしろテキストにしろ強い調子を含んだり煽ったりするものは、認識するだけで身体が否応なく反応して神経系やホルモンに影響するから、そうした潜在的ストレスからは遠ざかっておいたほうがいいと思ってる。なんの話だっけ。体調がすぐれないと書く内容もそんなトーンになる。早めに眠るほうがよさそうね。
2026年7月16日(木)
なにごともなく。夜に散歩。KIPONのヘリコイドアダプター二つが届いた。ネットに情報が見当たらなかったので備忘録として。ソニーのEマウントボディにペンタックスのKマウントレンズを装着するKIPONのヘリコイド付きアダプターには二種類あり、手持ちのレンズとどう対応しているかの判断がしづらくて迷ったのだよね。そして今回購入したDAレンズ用とされるKIPON PK/DA-S/E Mでは、うちの絞り環ありなFAレンズも使えた、ということを書いておきたい。まずペンタックスのKマウントレンズには絞り環のついている(おもにフルサイズ対応の)レンズと、絞り環がついていない(おもにAPS-C向けの)レンズがあり、後者はDAというラインナップ、というのが前提。そうすると絞り調整の面からアダプターも二種類ある状態。それが冒頭の絞り環ありなレンズ向けのKIPON PK-S/E M(あるいはP/K-NEX M) with helicoidと、絞り環のないDAレンズ向け(そのためアダプターに絞り調整のためのレバーが付いている)のKIPON PK/DA-S/E M(あるいはPK/DA-NEX M) with helicoid。どちらも製造時期によって表記揺れがあるぽいので併記しとく。ここまではよいとして、当のDAレンズ向けアダプターで、絞り環ありなFAレンズも使えたものの、装着と使用にすこしコツがいるという情報がひとつ。装着して絞りを弄るためには手順が要る。
- 1.アダプターに付いている絞り調整レバーを上げて(絞って)から、
- 2.FAレンズの絞り環の位置をAにした上で、
- 3.装着するとアダプターとレンズの絞りレバーがかみ合い、絞りを操作できるようになる。
- 4.ただしそのあとからレンズの絞り環をA以外に動かした場合は絞りレバーが外れて開放のみになってしまう
……ということ。そしてもうひとつ、このDAレンズ向けのKIPON PK/DA-S/E Mに付いている絞り調整レバーは、シームレスな無段階操作で目盛りもついていない。まとめると、
- EマウントボディにKマウントレンズを装着するKIPONのヘリコイド付きアダプターについて
- KIPON PK/DA-S/E MはDAレンズ以外のKマウントレンズも使える汎用性があるけれど装着と使用にコツがいる
- その場合の絞りはアダプター側での無段階操作となり、数値での目盛り指定はできない
- DAレンズ以外のKマウントレンズを絞り環に従って具体的な数値で絞りたいならそれ用のKIPON PK-S/E Mがおすすめ
なんか時間がかかってしまった。もうひとつ届いたKIPON OM-S/E M with helicoidにはOLYMPUS G.Zuiko AUTO-S 55mm F1.2(後期型)をつけた。オリンパスの癖や傾向はよく知らないのだけれど、F1.2という領域は初めてだし、このレンズは古さもあってか写りがやわらかいようすだね。だからこそChatGPTにおすすめされて手を出したんだけれど。あすのために眠りなね。
2026年7月14日(火)
それなりによかったのではないでしょうか、という日。とくになにかあったわけでもないんだけれどね。
2026年7月13日(月)
なにごともなく。しない、ということができた日。やればできるじゃん。えらいからもう眠るがよい。
2026年7月12日(日)
夜に散歩。指標としてこれができるなら状況はましになってるってことだ。困難は分割すべしと言われるように、課題は手前へ細かく刻んで、できることからできたらそれでよし。ところで、ここしばらくうっすら感じているものの呼び方が分かった気がする。自尊心に傷が入ってる。4~6月と苦しいことが重なり、九州一周はある意味では中和剤でもあったのだけれど。それで杢との時間は結果的に減ったし。まあでもこんな未明に考えることなんてネガ入っても自然なことなので、はよ眠れというのが正解と言えば正解。うん、考えているふうなことをしてしまうね。休むに似たり。眠るべし。
2026年7月11日(土)
ファミレスでお昼ごはんにしたあと花火を売っている模型店へ。ここは昔ながらのお店で、花火も今どきめずらしく全てばら売りで並んでいる。家族連れなのか町内会なのか、お年寄りと女性陣と子供たち、という一団が先に品定めをしていた。大きな打ち上げ花火ばかり何十発も買っていったなー。子供たちよりお年寄りのほうが花火選びに熱が入っていた。そのあとじぶんもあれこれ見つくろいお会計。お店の方が打ち上げ花火を三つばかりおまけで入れてくれた。店内をうろうろしているあいだ、新たにお店へ入ってきた子供もお年寄りもパーツを物色していて、古くからある模型店でのそうした光景に対してよいものを見たような気がした。そのあと買いものをして帰途。うちでぬい一名といっしょに花火をしていた。花火のまばゆいひかりに見惚れていると、昔のことや厭なこと悲しいことも思い出されて、それらが炎の美しさの前でただそこにある感じがしてくる。ほんのしばしのスパークに生きもののいのちが重なって見えるから、花火の炎の美しさは不思議で魅了されちゃうな。思えば夜はランプの灯りで過ごしているわけで、小さな火というものに対してなにか惹かれるものがあるのだろうね。のんびりする。
2026年7月10日(金)
歯科へ。夕食後に散歩と長湯。明らかに心地よい夜で、ぬいたちを抱きながら机の前でくつろいでいるうち、ほぐれるようにまどろんだ。おふとんいこ。
