2010年10月11日(月)

家族でりんご狩りに行ってきた。市をまたいで三十分程度、長井りんご団地と呼ばれる地域へ。

今日は朝早くから自宅の庭掃除をしたりと慌ただしかった為、途中のコンビニで朝食を買い、市の西を流れる箒川の河川敷で一時休憩。河川敷の両端はススキとセイタカアワダチソウでいっぱいだった。看板が立っていて、ここから上流16.9kmに塩原ダムがあり……とある。僕らが目指しているのは寺山ダムの方向だったのでさして気にもとめなかったが、その看板の脇に小川が流れていてうぐいだか何だか魚が数多く泳いでいるのを見つけた。確かこの近くにはオオタカの保護区があったんじゃなかったかな。

長井りんご団地の一帯の各農家ではりんご栽培を柱とした兼業農家をやっていて、一本の道を入るとそこかしこにりんごの直売所がある。直売というからには朝摘みが喜ばれるのだろう、早朝でも辺りにはひとけが多く、彼方此方の売店に家族連れが集まっていた。販売のおばちゃん達も忙しなく試食用のりんごをむいている。

しばし迷ったのち、僕らは加藤農園というりんご狩りとその直売を行っている売店へ入った。りんごジュースやら何やらと一緒に今年の新米が売っていて30kg7500円。りんご狩りをしたい旨を伝えると、まず現在狩れるりんご三種類の品種を味見して、それから、という流れになった。紅玉、秋映、ジョナゴールドの三つが今の時期に狩れる品種だという。王林は酷暑の影響で二週間ほど先にならないと、らしい。んで、味の方。紅玉は身が締まっていて酸味も強い。僕好みだ。秋映は口当たりがよい。さっぱりしている。ジョナゴールドは先の二つを足して割った感じで、身が程よく柔らかい。結局紅玉を狩ることとなった。

りんご1 りんご2 りんご3りんご園の木は太くてごつごつしていた。紅玉は園の奥にあるという。行ってみるとしたたるような赤いりんごがたわわに実っていた。下の枝の方はすでに狩られていたらしく良さげな実が残っていなかったので、脚立を使って上の枝を探ることに。手のひら一杯の大きな赤いりんごをもぎ取った。数えること、十個。写真を撮ったりしながら園内をぶらついて、直売所のカウンターでお会計、1500円だった。端数はおまけ。

売店の駐車場の脇には濃い色をしたコスモスが茂っていた。風が吹いていて上手く写真に収められなかったが、ビビッドなピンクとチョコレート色をしたコスモスがりんごと山々を背景にして花盛りだ。隣ののぼりに「クール宅急便 りんご便」とあって、こんな需要もあるのか、そうだよな、遠方から来る観光客もいるんだな、とそんな事を思った。

次に向かったところは栃木県民の森方面。こちらには寺山ダムと、その支流につながる尚仁沢(しょうじんざわ)がある。尚仁沢の上流には尚仁沢湧水があり、これは名水百選の水源地の一つに数えられている。高地の冷涼な風を突っ切り曲がった道を上って行く。途中の道のりでツクツクボウシが季節を間違えたように鳴いていた。15分ほどで下流の駐車場に到着。小さな駐車場だが車で満席だ。案内板には、ここから遊歩道を1500米登ると湧水に至る、とある。高原山の山麓590mに位置し、山岳仏教の盛んな奈良時代には修験者はここの水で身を清めたことから精進転じて尚仁となったという。

僕ら一行は沢の下流から来たが、母によれば十何年前に来たときには上流から下ってすぐの位置に湧水があるルートもあったはずだとか。来てしまったものは仕方がないし、体を動かせとも言うので、1.5kmの山道を登っていくこととなった。途中までの道のりは舗装されていたが、手前にあるあずま屋を通り過ぎると、途端に岩と木の急な斜面が広がっている。しばらくして汗がにじんだ。よくもまあ昔の修験者達はこんなところに道を作ったものだ。思い切り大股でむき出しの階段を上り下りしてぜえぜえと息を吐く。途中で何人かとすれ違って挨拶。降りてくる方は息が軽い。湧水はどこまで行けばあるんだろうなあと思っていると看板に500m先、湧水、とあった。スクウェア 締め付ける蔓ともすると下ばかり見て歩きがちだが、木の根がスクウェアに交差している所を見つけてぱちり。そのとなりでは太い藤蔓か何かが木をぎゅうぎゅうに締め付けていた。

下りの夫婦連れに後どれくらいかと尋ねると5分程度だという。登り道ではそれ以上に感じたけれども、しばらくして親子連れやカップル達が散らばって一休みしている場所に出た。どこに湧水があるのだろうと辺りを見まわすと、あった。尚仁沢湧水岩の隙間からぼこぼこ水が湧き出している。一息ついて清水を手に掬い、ごくりごくりと飲む。うまい。汗をかいたのが良かったのか周囲の冷涼な空気と光がそうさせるのか、ひんやりとして爽やかな感じのする水だ。手頃な木の根を見つけて腰かけ、目の前に立っている看板を眺めた。……日量6万5千立方メートルを噴出し、四季を通じ湧水量は一定で水温は年平均11度と変化なく……昭和六十年七月二十二日環境庁より全国名水百選の一つとして選定された……とのこと。名前が変わる前の環境庁とあるとおり、看板には苔と落ち葉が積もっており、脇に朽ち果てたテーブルが一つ転がって、そこにいろんなきのこが地味に主張するように生えていた。

辺りはまだ緑濃く一面に苔むしている。座ってのんびりしていると溶け込んでしまいそうな空気だ。ときおり眩しく日差しが差し込み生き返るような気持ちがした。しかし座り込んだままでいるわけにもいかない。しばし休憩を取ったのち下山することにした。

下りは足も軽い。先ほどすれ違った夫婦連れがあと少しと言っていたがその通りだ。行きは40分ほどだったか、下りは30分と経たずに歩くことが出来た。半ばで沢が三方から集まって集合しているところがあり、緑と白の調和した様子が目に良く映えた。

ふもとの駐車場に着いて、熊出没注意と看板が立っているのを見つけた。確かにこの辺りは広葉樹も割合多く、以前近隣の八方ヶ原で角の生えていない鹿を見た事やその仲間のふんを見掛けたこともある。秋口には熊も出るかも知れない。休憩を入れてから山を下りた。もう一度来るときには真っ赤に色づいていることだろう。ネット上の書き込みで茶臼岳の頂上は紅葉が始まっている、と言うのを見掛けたが、高原山や八方ヶ原はあとどれくらいだろう。

昼下がりの帰り足、塩谷町から各方面に出でる交差点で、宇都宮方面の道路が延々と渋滞しているのを見掛けた。三連休最後の日だからなあ。これからの紅葉シーズンはもっと混むだろう。一応は首都圏から日帰りで秋を楽しめる距離だしね。日光や那須に比べれば今いちマイナーではあるけれど、塩谷や八方も近年訪れる人が増えた。これからも身近にお山と親しめる地元であって欲しい。

2010年10月6日(水)

煙草の量は減ったのだが、イマイチ止められないので、医師から禁煙用の薬をもらった。

チャンピックスという煙草のニコチンがまずくなる薬なのだそうだ。もらうまでの各種診断測定やサイン書きにずいぶん時間を費やした。0.5mg錠を三日、0.5mg×2回を四日、1mg×二回を7日と、結構細かい処方になっている。飲み始めの七日間は煙草を吸っても良いよとのことで、昨日から薬を飲み始めているが、確かに煙草がまずい。わざわざ煙草をまずくするのは妙な感じだけどこれは吸う気が起こらなくなる。三ヶ月で禁煙が完了とのことなので、それまで頑張ってみるか。

朝夕の冷え込みが激しくなってきたので毛布を取り出すことにした。半年近くクローゼットの中に置いていたので、近所のコインランドリーで洗濯と乾燥機にかけることにし、合わせて一時間弱でおしまい。ふかふかだ。今晩は冷えなかったので、明日からお布団に入れよう。

ぬいぐるみもお洗濯にかけたいが、形が崩れるからやれずにいる。重曹水で拭くのが良いと聞いたことがある。そのうち試してみようかな。

2010年10月3日(日)

運動せねばと思い立ち、昨日買ってきた万歩計を持って散歩に出掛けた。手頃な距離の所に神社があるのでそこを目指し出発。

普段全く運動らしい運動をしていないので、歩き始めること十数分でヘタる。息切れはしていないのにふくらはぎの辺りがぱんぱんになり、神社に着くまでに計四回ほど休憩を入れる事となった。そういえば八月の半ばに自転車で海へ行ったが、あの時はふくらはぎより太ももの辺りの筋肉が腫れたなあと思い出し、ひとくちに足腰を鍛えるといっても色々あるらしいことを実感。

田畑の稲は見たところちょうど今頃が刈り時らしく、割合で言うと半分ほどの田んぼが刈り取りを終えていた。途中でおっさんと雑種犬が綱引きをしているところに出くわす。おっさんは犬を軽トラックに乗せようと、犬は車を嫌がっているのか、視界の端でチラ見しているうちに犬が首輪抜けをして稲刈りの終わった田んぼまっしぐらに逃げていってしまった。そんなおっさんと道をすれ違って少し苦笑いの挨拶。彼は慌てる風でもなく犬が逃げた方向へ車を向かわせるのだが、犬は追いかけっこのつもりでもいるのかどんどんあぜ道を走って行く。あんな風に軽々と走れたらいいなあと思いつつ興味が逸れたので再びひたすら歩いた。

那須篠原玉藻稲荷神社農道をてくてく歩いて行き、気がついた時には目当ての神社への入り口道。「那須篠原玉藻稲荷神社」とある。農道脇の石碑からおよそ200メートルほど奥まった林の外れに境内へ至る参道があり、その手前にこじんまりとした駐車場と公衆トイレ。朱の鳥居の横には境内案内略図が立っていて、神社の由緒と云われがこう書かれている。

那須篠原玉藻稲荷神社

ここは、お稲荷さんと称える作神さまと玉藻の前(九尾の狐)の神霊とを祭った由緒深い社である。……

建久四年(一一九三)源頼朝が那須遊猟のときこの社に参詣したという伝えがある。また元禄二年四月十二日(陽暦五月三十日一六八九)松尾芭蕉は、この篠原の地を訪れている。……

……また九尾の狐退治の伝承地としての「鏡が池」と「狐塚」の霊を移したという祠がある。なお「狐塚趾」は、ここより北東の地の県道沿いにある。

芭蕉の里 黒羽町

最後に黒羽町とあるのは平成の大合併で我が市に編入された町のことで、その頃からこの案内板は変わっていないのだろう。参道の回りに広がる杉林は下草から落ち葉まで整然と掃き片付けられており、どうやら近所の農家の方か誰かが常に手入れをしている模様。参道脇に小さな石碑があり、「稲荷神社創建八百年記念 奉献鳥居一基氏子一同 平成五年二月二十日」とある。僕は氏子ではないものの年始の初詣にはここを訪れることにしていて、大晦日の晩にはたき火が焚かれつつ、かなり多くの人々が年越しをしにやって来ているらしい。

御稲荷さんのかけら鳥居の脇の足下には、ところどころ欠けた陶器のお稲荷さまとお賽銭が置いてあった。社殿の脇ののぼりに正一位玉藻稲荷大明神とある。稲荷神社の裏手にはよくキツネの巣があったりするものだ(だから稲荷神社が立つとも)という話をどこかで聞いたが、裏に回ってみたところ本殿の延長が山の斜面にくっついていて何があるのかはよく分からなかった。初詣の時のお供え物には油揚げとお酒のワンカップがよく見られたけれど今の時期は農作物、りんごや梨らしい。正一位玉藻稲荷大明神 駒狐様とちびコウ実は家を出る際に財布を忘れてしまい、本殿の前でお賽銭をしていこうとして鈴を鳴らしたときそれに気がついた。二礼二拍手なんとかだったか、参拝の細かい作法なんて僕は知らない。とりあえずお賽銭を忘れたことを心の中でわびて、写真を撮るときと鳥居をくぐるときにもお辞儀をした。それぐらいでも良いだろう、また散歩で来るだろうし、とりあえずは。

狐塚祠こちらの写真が上記の引用の中にある狐塚。かなり小さい。玉藻の前、白面金毛九尾の狐伝説の一つの最後の地(諸説あるが)としては何ともあっけない感じだ。鏡が池この狐塚祠の鳥居の手前には小さな湧水池があり、季節になると周囲にミズバショウの群落が白い大きめの花を付ける。この「鏡が池」にもいわれがあって、へたくそな写真しか撮れなかったので文章で引用しておく。

八溝県立自然公園

鏡が池

三浦介義明が九尾の狐を追跡中、姿を見失ってしまったが、この池のほとりに立ってあたりを見まわしたところ、池の面近くに延びた桜の木の枝に蝉の姿に化けている狐の正体が池にうつったので、三浦介は難なく九尾の狐を狩ったと伝えられ、これが鏡が池と呼ばれるようになったという。

池の縁に立って辺りをざっと見まわしてみたが桜の木はどこにもなかった。むかしむかしのお話、ということか。玉藻の前の詳細についてはこのリンク先の「玉藻の前 – Wikipedia」をどうぞ。

さてさて。参道脇のベンチに腰掛けて休憩を取ることしばし、ふくらはぎをよく揉んで軽くならしてから帰途へと出発。前半よく歩いたのが効果があったのか、休憩したからかは分からないが、足取りもだんだん慣れてきたものだ。僕は飽き性なので、来た道とは別のよく知らない脇道に入り自宅方面へ向かって進んだ。農家の前の草むらで雑草と化している朝顔だか昼顔だかを見つけ写真に撮るうち、花が赤と水色との二種類あることに気がついた。小振りな花で葉っぱがカードのスペードのように丸いのが特徴。ヒエの畑脇の草むらでも元気よく雑然と蔓を伸ばしている。外来朝顔そういえば、と以前Webで見掛けた新聞記事のことを思い出した。今引っ張ってきたこの記事がそうなのだろう。アサガオ類、全国で雑草化 大豆畑覆い、収穫妨げる 記事には、夏から秋までだらだらと開花して、とある。すでに十月の頭で日差しの強い日中に、まさしくだらだらと咲いている。見るぶんには構わないが除草のことを考えると投げ出したくなりそうな生え方だ。

再び歩くうちに犬の散歩でたまに通るあぜ道に出た。ここから自宅まではさして、と言っても今来た距離を考えればのことだが、遠くはない。気力も出てきたし、道脇のアザミやら落ちている栗を拾ったり、近所の梨畑から聞こえてくるラジオに耳を澄ましたりと、足取りも軽いもの。そうこうしているうちに昼のサイレンが正面にある鉄塔から鳴り渡ってきた。自宅を出たのが朝の十時少し前だったから、休憩を除くと一時間半ほど歩いていることになる。最後の道は上り坂でふくらはぎが腫れるようだったが、とにかく足を引きずらないように注意を注ぐ。ようやく家に着いた、と思うまもなく我が家の犬がすさまじい剣幕で吠え掛かってきた。大抵のことでは吠えない犬だが、何をどうしたのか見知らぬ他人と間違えたらしい。こら、と呼びかけて近づくと、一瞬妙な顔をしてお腹を見せるように仰向けに転がった。この野郎。

自室でくつろぎながらお茶を飲み、パソコンを付けてちょいちょい弄り、はっと思い出して万歩計をジャージから引っ張り出した。僕は万歩計なんて使うのは初めてなので、歩ききってから何歩だったか見るのを楽しみにしておいたのだ。液晶の表示板を見ると2686とある。そんなものなのかな、もっと歩いたような気がするけどな、と各種機能を弄っていて気がついた。表示を逆さまに見ていたのだった。正しい結果は9892歩、6.92km。もう少し歩いていれば一万歩か。まあ常日頃から出不精の僕にしてはよく動いた方だろう。これからも出来るときは歩いてみようか。

2010年9月29日(水)

今日は車屋の奥さんから格安で譲って頂いた中古の原付の納車日だった。

夕方。歯医者に出掛ける少し前に、車屋さんが軽トラックでDioというらしい黄色いスクーターを運んできてくれて、自宅の車庫の前で基本的なことごとのレクチャー。鍵回りの機能が割と多くて、キーを差し込みONとOFFの間にして押し込むと座席が開く、などということは初めて知った。原付は自動で常時点灯だからねというのも聞かされたが、原付試験の記憶はすでに曖昧になっている。教習では30キロ制限だったが実際のところ広い道では何キロ程まで出しても良いものだろうかと聞くと、時速50キロくらいまでは大丈夫だろうとのこと。最近の若い人は飛ばすし、渋滞の原因にもなるしね、と言われ何となく納得したが、警察のねずみ取りも多いから注意しなよと市内外の待ち伏せスポットをあちこち教えてくれた。2000キロ走ったらオイル交換だから店に来なさいだとかガソリンタンクの開け方だとか、あれこれ懇切丁寧に指導して頂いた。

ヘルメットは新品の、視界の広い少し大きめのを渡して貰った。金具二つで一本のあごひもを止める方法に手間取ることしばし。それでは早速とご近所一週の旅に出掛けてみたのだが、一時停止してからの発進の時、少しふらついた為に道の縁石でボディの左下側をがががっとやってしまった。要は慣れだから練習しなさいという旨を残して車屋さんは帰っていったが、差し当たって僕はふらつかずにまっすぐ走る練習から始めるべきなのだろうな……。

そうだった、本日の歯医者への通院で、八月半ばから続いていた虫歯の治療が終わった。計六回も通ったのは情けないが、今はとにかく心底ほっとしている。のど元過ぎれば何とやらと言うけれども、カリエスだか虫歯の箇所を削られるときの痛みは筆舌に尽くしがたい。放っておいたらいずれはその痛みを再体験することになるのだから、早めに治して貰ったのは感謝すべきなのだが、もうしばらくはあの消毒薬のものらしいニオイと高い音は御免だ。

2010年9月29日(水)

那須連峰の茶臼岳に途中まで登ってきた。登頂していないので山体の写真はない。

出掛けるときにカメラを持って出るのを忘れてしまった。先日の日記で間が抜けていると書いたが、やはり間が抜けている。15分ばかり後戻り。

那須街道の観光街を抜け、九尾の狐伝説の伝承の地である殺生石を通り過ぎると、ぷわんと硫黄の匂いがしてくる。地面の下が動いているのだな、と思う。くねくねと曲がった上り坂を登り切ると、車で通っていける突き当たりにロープウェーが見えてくる。このロープウェーは11月の7日まで、午後4時半をめどに運行しているらしい。僕らが来たのは午後二時ごろだったが、あまりに寒い風が吹いていたので登頂は諦めた。

リンドウ代わりにリンドウやススキ草らしいのや、高山の植物を見つけて写真に撮った。ロープウェーの頂上駅ともなると下とは打って変わった植生が広がっていて、背の低い木立が鋭く砕けた岩石の隙間に風に踏ん張って生えていた。登山道の途中で黄色く変色した岩があって誰かがスプレーで印でも付けたのかなと思ったがちょっと違う。頂上付近だからガスがたまに出るのだろう、硫黄の黄色だった。ススキ?

帰り道に山の駅とでも言うのか、まあそういった休憩所兼観光街を通り抜けたのだが、あまりにも寂れていて驚いた。全ての店がシャッターやらドアに休業中の看板を出していて、動いているのは飲み物の自動販売機だけという有様だ。山の上だからか缶コーヒーが一本150円と高い。そのお高い缶コーヒーで下界をちらりと眺めながら一服。

実は禁煙をしようと考えていたのだが、山の上で缶コーヒーをちびりちびりと飲みながらの煙草は美味いのだ。高原の空気がそうさせるのか、一本吸い終わるまでにずいぶんとくつろぐことが出来た。

途中でチーズガーデンと書かれている御用邸という店へ入った。ここではチーズとチーズケーキを売っていて、ここのチーズケーキがやたら美味いらしい。白ワインとミモレットチーズ、そして名物のチーズケーキを買った。パルミジャーノチーズも欲しかったのだが高くて手が出ない。美味しそうだったのになあ……自宅へ着いてから食べたチーズケーキは真に美味しかった。安っぽいスポンジではなくふんだんにクリームチーズを使っている。濃厚でまろやかな味だ。ミモレットは熟成18ヶ月とあって、どれ、と封を開けて食べてみたのだが、これも美味しい。ちょっと硬いがからすみのように旨みが口に広がるのが分かる。ああ、幸せ。

書き忘れた。下界へ降りるときにフラワーパークというところへ寄ってきた。今の季節はケイトウが見事な色をして咲いていたので、もう少ししたらコスモスの時期だろう。この春にもフラワーパークによったことがあり、その時はチューリップと桜が咲き乱れていた。冬を覗き通年で何かしら花が咲いているので、興味がある方は寄ってみると良いかもしれない。

2010年9月11日(土)

昨日、原付免許の試験を受けてきた。結果は満点で合格。

恥ずかしいことだが、僕は三年ほど前に自動二輪の無免許運転で罰則を受けている。試験でその事を票に書き忘れてしまい、合格票の受け取り時に注意されてしまった。

実技の講習では「君は緊張しすぎ。もっと力を抜いて」と言われる。筆記試験の合格で力が抜けていたかと思ったが、実際に運転してみるとやはり難しい。講習でこれなのだから、一般道を余裕を持って走れるようになるのはもうちと先になりそうだ。

僕は詰めが甘いというか少し間が抜けている。たとえば出先で財布やら携帯電話やら筆記具なんかの小物を忘れて後々困ったり、まあ細々とした事々で今まではどうにかなってきているのだが、それは学生時代からずっと感じていたことだ。今回の原付試験は良かったものの、この先いろいろな場面で詰めを怠る事が多々あるんだろうと思う。これはもう自分の性格の一部なのだから、直すよりは諦めて、他にどうにかなるような手を打ったり受け入れる他にないのだろう。

当日の夕方に、合格した旨を知らせた友人が祝ってくれたので遊びに行った。自転車で出掛けたのだが、帰り道の足取りが妙に軽い。自宅へ着いてベッドへ寝転ぶと急に疲れが襲ってきて気がつくまもなく眠ってしまった。一日中緊張が続いていたということか。この日記を書くのも翌日になってしまったし、今はだらしなくクエン酸の豊富らしい梅干しなど食べて過ごしている。原付を買うのはもう少し先に延ばそう。

2010年8月30日(月)

沼原湿原気晴らしに那須の沼原湿原へ。湿原を見下ろせる駐車場から標高300メートル下にある沼原池は揚水発電の貯水池で、今回が初めての来訪だ。

お天気があまりよくなかったので自然遊歩道へ入るのは控えることにし、代わりに貯水池を一望したりと、少しばかりぶらぶら散策。ガマズミやクヌギらしき木の実がなっており、すでに辺りは秋口に入っているだろうか、爽やかな風が高山の散歩を楽しませてくれた。ガマズミ クヌギの実あかとんぼがいっぱい居たのは貯水池があるからだろう。半草原の芝生が広がっていて、そこに捩花がぽつりぽつりと咲いていた。アキアカネ

山に登るときには気圧計を持ってこようと思っていたのに今回は忘れてしまった。この沼原湿原、まだ本格的な秋の訪れには幾分早いようなのでまたもう一度来よう。その時に気圧がどの辺まで下がるものなのか調べてみようと思う。

山々の間から重たい雲が割合な早さで下界へ流れ出していて、これは帰り道に降られるかなと思っていたのだが、その通り帰途につく途中で激しい驟雨に襲われた。自宅近くでは全く降っていなかったので、雨雲は逸れて行ってしまったらしい。山の上から撮った写真には霧の立っているような所や暗雲に覆われて日の差さないところ、または窓のように陽光が差している場所もあり、この辺りの地形と気象の関係はかなり複雑な様子だ。本日夕方の山沿いの降水確率は高かったが、自宅付近は山沿いとはいえ扇状地の扇端の手前なので、降るかどうかいつも微妙なのだ。あまり関係ないが、自宅を含めたこの小高い丘の上の住宅地は地下湧水を生活用水として利用している。近所の農業用水も地下水を水源としていて水が綺麗な為にホタルがよくいる。要するに扇状地に位置するこの地はボーリングで深く掘らないと水が出てこないのだ。ここから見上げる那須連峰は活火山帯であるため、地の利を活かし市内には多くの温泉ホテルが散在している。

話が逸れたが、山のふもとである地元にはまだ秋は訪れていない。ツクツクボウシの声が多くなると夏の終わりを感じるものだが、今年は例年になく暑い八月だった。このまま九月へ踏み入るのがちと惜しいように思うのだけれど、まあ、秋も良いか。

2010年8月20日(金)

テント 月居トンネル 明神トンネル自転車で茨城の海まで行ってきた。道中、八溝山地と呼ばれる小高い山々があり、そこを通るのにいたく難儀した。

何が辛いって、緩やかな上り坂とカーブだ。ママチャリを漕いで登れないので降りて押したが、足にまめが出来た。

海それでも、自分の体を使って海を見られたのは感激だ。ざぁー、ざざぁー……という音を聞きながら、仲良くなった地元の方と寝転んで空を眺めてた。

で、帰ってきてからが本題だ。なにやら喉の調子がおかしい。酷く咳き込むのだ。病院で診察して貰ったところ、気管支炎が悪化していて、喘息のようになっている、とのこと。あああ……。峠のぼりを頑張りすぎてこうなったらしいのだが、とにかく抗生物質とステロイドその他諸々をもらって今も咳き込んでいる。咳き込みすぎて頭の奥が痛い。正直日記どころじゃない感じだ。

仲良くなった地元の方には手紙を出すよと言ってあるので、一宿一飯のお礼にビールも送ろうかなと考えながら今日はここでおしまい。

2010年8月14日(土)

庭のライラックの木の下に、カブト虫やクワガタがわらわら死んでいるのを見つけた。ざっと数えただけで十匹以上、どれも固い殻だけを残して散らばり転がっていた。

カブトなんて小学生以来だ、なんてワクワクどころじゃない。茂みの下にかたまって、まるで誰かが世話を放り投げて死骸だけ捨てていったかのようだ。なぜライラックの下なのか、どうしてこんなにたくさん死んでいるのか、まるで見当が付かない。木の下からは道路を挟んで背の高いフェンスがあるし、死骸以外には何も転がっていない。うーん、謎だ。

T字に広げた革紐 首輪を付けたちびコウ話変わって、今日は腰に引っかけていたぬいぐるみに首輪とつり革を作ることにした。

今までは安い皮のチョーカーで結んでいたのだが、そのチョーカーもはげてきてしまったし、いつ切れるか分からないので、革紐など買い込んでおいたのを使い回すことにする。

レザーパンチだかなんだか、そういった工具で革紐に穴を開け、留め金のジャンパーボタンをプレスして出来上がり。かんたん、かんたん。

これでもう切れたり無くしたりする心配はしなくて済みそうだ。他のぬいぐるみ達にも何かアクセサリを作ってあげたいが、彼ら彼女らは超特大とか3Lとかの一抱えもある大きさばかりなので、ちょいっと作るわけにはいかない。今日はしとしと雨が降り続く様子だし、ぬいと戯れて過ごすとしよう。

2010年8月12日(木)

喉の調子がおかしかったので病院へ行ってきた。

朝の九時ごろ電話を入れると「大変混んでおりますが……」とのこと。この病院、木曜日は午前中しか診察を受け付けていないので、たぶんそのためだろう。少し急いで自転車を漕ぎ一時間弱、受付にはすでに28名の予約が入っていた。「診察の順番まで一時間以上待つ事になるから、病院外で待っていても構わない」という旨を言われ、冷房の効いた待合室を後に近場の河川敷運動場へ向かった。

自販機でお茶を買い、運動場の芝生に寝転がってぐうたらと過ごすことしばし。直射日光で焼けるように暑い。そのうち屋根の付いたベンチに移動したが、そばの切り株で20cmほどのきのこを見つけて写真に撮った。きのこ

るりまつり オニヤンマ

近くの川風のためだろう、日陰のベンチに心地よい風が吹いてきて過ごしやすい。ぼんやり見ていると、ランニングをしているおっちゃん、何かのトレーニングなのか後ろ向きで歩き続ける人、ゲートボールをしながら暑い暑いと騒いでいる一団など、晴天の日中でも河川敷を訪れる人々は割合多い様子。一時間ほど暇をつぶしたのち再び病院へ赴いた。

診察では医師の判断でレントゲンと採血、尿検査をすることとなった。少し大げさな気もしたが。診察の結果は「喉の粘膜が慢性的に荒れているようだ、煙草と冷房のせいだろう」ということで、レントゲン写真に妙な影でも映っていたらと気にしたのだが、一安心。気管支拡張剤と鎮痛・鎮咳薬を二週間分貰うことになった。尿と血液は少し日を置いてから結果が出るらしいので二週間後にまた病院だ。ちなみに待合室に血圧測定器があったので使ってみた。僕の最高血圧は116mmHg、最低血圧71mmHgだった。たぶん平均的な範囲だと思う。

帰り際に小雨がぱらついてきた。そういえば今日辺りに台風が東北地方へ上陸するはずなんだった、と思い出したが、さして降りそうでもないなと判断し、のんびりきこきこ漕ぎながら帰途についた。