2020年3月12日(木)

少し前にここへ書いていた自作PCのパーツで、CドライブにあてがうつもりのM.2 SSDが未だに代理店から音沙汰ないのだけれど、世の中/自分の状況的に見て、組み立てがすぐに出来ないのは仕方ないなーという諦めの気分がしてきた。自分ひとりの案件なのだし、段取りの手際はもう気にせずにいよう。

『いやな気分よさようなら』は第七章へ。今年は桜の開花が早めということは、アミガサタケの出現も早いのでは。まだしばらくオフラインのまま。

2020年3月11日(水)

昼過ぎに集まり、祖父に棺の中へ移動してもらった。葬儀屋の都合から明日の予定はなし。金曜の通夜は午後より始まるため、その日の午前中に入っていた歯科の予約はキャンセルせずに受診できそう。大叔父は始め、人の集まる一般的な規模の葬儀を望んだそうだけれど、祖父本人は葬儀は要らないと言っていたらしいことや、新型コロナウイルスが流行っている状況も鑑みて、家族葬の規模で弔うことになった。祖父が残した指示はあるかと喪主の従弟に訊かれ、保存のために埋めた芋類や収穫できる果樹なんかの在処を伝えた。

やっと漫画の『ARIA』を読み終えた。かなり前から本棚に揃えていたにもかかわらず、なんか照れがあって後半に手をつけられずにいたのだよね。よかった。読むべきときに読んだ気がするよ。それからやっぱり本棚の肥やしにしていた、デビッド・D・バーンズ『いやな気分よさようなら コンパクト版 自分で学ぶ「抑うつ」克服法』(野村総一郎ほか訳、星和書店)にも手をつけた。厚みと内容のあるこの本に取りかかる状態って、そのために必要な余裕を捻出できるようになったってことで、すでに心が前向きになれてるんだろね。認知の歪みについてのクイズはまるきり現代文のテストだ……。今日は風が強く暖かかく、今年初めてコートが要らない日だった。例のインクの配送ステータスを見ると、それらがここへ届くのは葬儀が一段落するころになりそう。情報を遮断しての三日目は、自分の感情の範囲が見渡せているような気がするものの、ほかは変わりなく過ごしてる。

2020年3月10日(火)

昼前にNHKラジオ第1の「すっぴん!」を聴いていたら、この番組はこの春で終了ということで、曜日担当ごとの卒業式のような構成になっていた。火曜担当のダイアモンド☆ユカイさんに個人的な好感を持っていたから、ときおりこの番組で彼の声を耳にすると、そのまましばらく聞いてることがあったのだよね。「ラジオだと人柄が出るし、嘘はつけないよね」という彼の言葉に、そんな感じがするよと思う。終了を惜しむ声や「これからもどこかで」といったお便りがいろいろ読まれるなか、リスナーに応えてユカイさんが「ムクロジの木」を歌うと、聴き手の藤井さんは少し泣いていた。いま検索したら「すっぴん!」は金曜が最終回とのこと。

日がなしっかりした雨が降った。明日は晴れて風が出るそう。祖父の遺体を棺桶へ収めるため、昼一時過ぎに集まる予定。通夜は金曜で葬儀は土曜と聞いた。さっきfinalventさんの「考える生き方」を再読し終えたところ。今日はTwitterのアカウントが十周年のはず。二日目は情緒が回復するのを感じているけれど、さみしさが混線しているのかも知れない。

2020年3月9日(月)

午前中に小雨、そのあと微風の穏やかな春の日。陰影のある積雲が流れていた。

朝九時四十五分頃、祖父は周りの者たちに囲まれ、入院予定とは別の病院にて息を引き取った。今朝がた入院の支度をしているうちに容態が変わり、救急搬送されたらしい。心臓マッサージを施してもらったようで胸から電極パッドが覗いていた。大叔父を含む家族が揃い、延命しているだけとなった酸素マスクが外され、それが上記の時刻。本人が入院や点滴を長く拒んだことから、脱水と栄養失調が死因に直接関連したのでは、みたいな話は母から出たものの、少なくとも書類上は老衰ということになった。まばらに解散して再び祖父宅へ集まり、座敷周りの掃除をしたり、葬儀屋との打ち合わせに入ったり、それぞれが勝手に分担していた。日の傾くころ弟と僕は一足早く引き上げ。

祖母、叔父と来て三年連続で喪中か……。去年の秋に祖父を撮った写真をさっき出力し直した。写真嫌いな人だったから、そのほかの顔写真は運転免許証くらいだと思う。遺影向けだろなとここで書いたとおりになった。僕は同居しておらず外孫でもあるから、葬儀やその後の整理なんかの決定には関与しない。それでも「祖父が孤立しないように」という思いから、身辺の作業を手伝ったりただ訪問したりして、ここ数年では最も彼の近くにいた。集まった人たちの様子もほんのり見渡しながら思う、僕は祖父に接する動機を自分の外側に設けてここまで続けてきたことで、本人を含む親族みんなの心理的/物理的な負担をかなり軽くしてきたはず。家父長意識の強かった祖父に対して消化できない思いを皆が多かれ少なかれ抱えているなか、彼のやりたいことを手伝おうと心掛けたことは、それなりにいいやり方だったと思う。

祖父母と叔父が立て続けに去ったことで母がひとりにならないよう、兄弟で見ていく必要があるんだろうなあ。一段落したら屋敷周りの様子をいろいろ撮っておくつもり。

端末画面とオンラインの情報から一時的に離れる試みは「こんな簡単なことだったの」という気がした。まだ初日だし、大きな発見を求めてるわけではないけれど。祖父の死が重なったことで、自分と向き合ってみるときなのかもね、と思う。

2020年3月8日(日)

午前中に雨、のち風の強い曇り空。祖父の下痢は一向に治らず、逆流性食道炎から食事が十分に摂れず身体が弱っているため、あす入院してもらうことになった。ここへの投稿とメール/着信の確認はするつもり。ただ、切り上げるタイミングは決めてない。

2020年3月7日(土)

遠景に霞が掛かるようになった。そこかしこで梅が咲き、花の香りが流れてくる。

カブは修理とオイル交換を済ませて午前中に帰ってきた。バイク屋のおっちゃんはメーターを見てしばしば「おおう、もうこんなに乗ったの!?」と言うのだけれど、あれはオイル交換を促しての発言なのかな……。乗った距離はいちいち確認してないものの、三ヶ月に一度ほどメンテナンスをしてもらう。買い物用にしては乗り回してる自覚はあるけれど、ライダーほどの行動半径はなく、せいぜい県北エリアをうろうろ、といったところ。あとでメーターの数字をメモする。

ルピシアがメールマガジンで使っていた「おこもり生活」は応用しやすそう……。疫病が流行るこの機会に通知を減らすべく、メールの設定をざっと見直していた。SNS関係ではLINEは利用しておらず、Facebookは長らく放置、Twitterは公式アプリを導入していないから通知そのものは希、といった感じ。僕にとって連絡/通知の手段はいまだにメールが最大のウェイトを占めてるのだよね。幾つかのアドレスに手入れしたから、これより手元へ届く情報はきゅっと絞れたと思う。

おこもりしてしばらく紙媒体と音楽を相手に出来たらと思ってる。今どきの音楽はデバイスからの操作が当然のようになっているんだね。情報を表示するディスプレイからちょっと離れてみたい気持ちがあり、その上で音楽は聴きたいため、MP3プレーヤーを繋いで持ち運び可能なスピーカーを探してる。リチウムイオンバッテリーが交換式なら長く使えるなあとか、現状だとBluetoothは使わないなーとか、あれこれ思う。構造を簡単にするより世界を単純に出来たらよいね。

たばこを止めて三年目に入り、お酒を止めて一ヶ月半に差し掛かり、情報の遮断もするのかよと思う。人生から余剰を削いでシンプルさに傾倒すると、存在がのっぺりしてくるんじゃないかと推測してる。それはともかくとして、僕はほかの部分の欲望についてはそのままにしておきたい。

創作ノートをつけることを考えてる。書くことに関してはもうキーボードが指の延長にあり手放せないのだけれど、自身の思考と向き合ったりまとめたりする機会についてはまだまだ工夫する余地が多い、と思ってのこと。それに、単に環境に変化をつけるだけでも言葉の出し方は変化するんじゃないだろうか。考えるより実践していこう。

2020年3月6日(金)

心療内科より帰ってきてさらに歯医者へ向かおうとしたら、タイミング悪く原付の後輪がパンクしていた。そちらは修理に出したからいいものの、歯科の予約は一週間先へ変更することに。急遽入れてもらった枠だったんだけどなあ。以降は必要もなくぴりぴりして、こんなことで心をかき乱される自分がしょうもないな、みたいに感じていた。うっすら考えていることで、このタイミングでしばらく、情報から離れる機会が必要なのではなかろうか。それからForbidden Palaceさんに改修中との更新履歴が入っていて、これはこれだけで嬉しいニュース。無理せずにがんばって。

2020年3月3日(火)

座禅草は午前の光を浴びて苞を広げており、産直や土手には菜の花の黄色を見かけた。自然には花々を軸にした色彩が少しずつ増えてきてる。ここ数日、歯茎の一部が腫れてる。そういえば食生活が偏っていたことに思い当たるものの、まあ今さら後悔しても、節々が疼くようなこの一連の気怠さは消えないしね。早めに眠るがよかろ。